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31.ノクサルナ地下通路

「俺に何の用だ」

「分かっているはずだ。その背に負った剣を寄越せ。そうすれば血が流れることはない」


 声は若い。若いが、自信に満ちた声だ。暗くてはっきりとは見えないが、背格好はイェルドよりも一回りか二回り小さいようだ。


「……またそれか。どうしてそこまでしてこれを欲する?」

「まさか、知らぬと言わせない。それは言わばアルリーム王国の価値そのものではないか。みすみす見逃すと思うな。渡さぬというなら、力づくで奪うまでだ」


 若い男が腰に差した剣に手をかける。両者の間に重い緊張が走る。


「やめておいた方がいい。それ以上近づけば、お前は二度と剣を握れなくなるだろう。それに、アルリームはすでに滅びた国だ。なぜ滅びた国に執着する? あそこにはもう何も残っていまい。貴様らが略奪を繰り返したおかげでな」


 最後の方は、少し声が震えてしまった。しかし、イェルドはこんなことで冷静さを欠いてしまうような男ではない。


「ハハッ! 貴様の国はいとも簡単に落ちたと聞いているぞ。やはり竜の加護がなければ、脆弱な国と王だったというわけだ!」

「……サヴィル王ほどではあるまい。弱者の前で虚勢を張ることが生きがいのあの男とは比べることもおこがましい」

「貴様……我らが王を愚弄するか。覚悟しろ! 今や主を失くした野良犬など、取るに足らん。剣の錆にしてくれる!」


 男が地面をける音が聞こえた。同時に、鞘から剣を抜き放つ金属音が聞こえる。一気に間合いを詰めるつもりのようだ。

 対するイェルドは徒手だ。正面から迎え撃つ姿勢をとる。

 一瞬のことだった。

 男は正面からイェルドに斬り掛かった。イェルドは小手で斬撃をいなすと、手刀で剣を持つ男の右腕を打って剣を落とさせた。次いで、脛に重い蹴りを入れて体勢を崩し、思いっきり頭突きをして男を気絶させた。


「口ほどにもない」


 イェルドは男が落とした剣を拾い、彼にとどめを刺そうと近づく。


「止めろ!」


 女の声とともに暗闇の中から矢が放たれ、イェルドの頭の横をかすめた。


「ルッカ、生きていますか? ––––っ!」


 瞬時に距離を詰めたイェルドは、そのまま持っていた剣で女に切りかかる。彼女は咄嗟に弓を捨て、短剣を抜いてこれをいなした。

 しかし、イェルドはその巨体からは想像もつかない速さで次々と斬撃を繰り出す。


「––くぅッ!?」


 弓使いの女は短剣を持って必死に応戦するが、徐々に壁際に追いつめられていく。イェルドの攻撃は一撃ごとに速く、それでいて重い。

 そこで、彼女は異変に気づいた。体の動きがいつもより鈍いような気がするのだ。


「どうして––––まさか、そんな」


 剣の動きを追うのに必死で気づくのが遅れた。この地下通路の気温がどんどん下がっていることに。いつの間にか、ひとりでに手足が震え出すほどの酷寒になっている。


(これは、魔術……?)


 開けた外ならば通用しない攻撃だが、狭い地下通路ならば通常の人間に対する搦め手として強力なものだ。しかし、これほどまでに精巧な魔術を、しかも戦いながら発動させることができればの話である。


「戦いのさなかに考え事とは、舐められたものだ」

「––うっ、ぐぅッ!」


 彼女の気が逸れた一瞬の隙を突き、イェルドが一撃、二撃と拳を腹に打ち込んだ。そして脚を払って体勢を崩させると腕を使って拘束し、首に剣を突きつけた。

 イェルドは女の耳元で警告した。


「一度、命を助けられた恩に免じて、こちらも一度だけ貴方と貴方の仲間を見逃そう、ナルフィーネ。これで十分借りは返せたはずだ。まだこの剣を諦めず、俺を追うというのならば、その時は容赦しない」


 イェルドは確信していた。首を捻って矢を躱したのはほとんど勘だったが、矢は正確そのものだった。それに、声も似ている。彼女は谷でイェルドを助けたナルフィーネであると。相変わらず頭巾を被ってはいるが、吸い込まれるような珍しい黒髪が、はみ出ているのが見える。

 気づけば、地下通路の中はすっかり冷え切っていた。弓使いの女––ナルフィーネは、指がかじかんでろくに動かせなくなっていた。息が震えた。全く敵わなかった。剣術も、魔術も。

 やはりあの時ティンバールートに負けたのはわざとだったのだ。実力を隠していた。


 イェルドは得意とする水魔術で二人の追手を壁に拘束した。時間がたてば氷が溶け、ひとりでに拘束が解けるだろう。こういうことには土魔術の方が適しているが、あいにくイェルドは苦手な部類だった。

 イェルドはそれでも脱出が困難なことをしっかりと確認すると、急いで少女が逃げた方へと走った。





 ◆





 少女は必死に走っていた。走らされていた。奴隷は奴隷契約の力から逃れることはできない。


「はぁっ、はぁっ……」


 白い小動物はそんな少女の後を追って来ていた。その真意はいまだわからない。

 一方、少女の脚はもう限界だった。力無くから回りするようになり、やがて足がもつれて転んでしまった。

 それでも奴隷印は彼女に進むことを強要する。何度も立ち上がろうとするが、脚が挫けて一向に進めない。イェルドは失念していた。奴隷に対する命令というものの強さを。

 少女の背後から、やっと待ち望んだ声が聞こえた。


「待て! もう走らなくていい。立ち上がろうとしなくていい」


 その一声で、少女は再び膝から崩れ落ちた。イェルドは走り寄って彼女を抱き上げた。


「すまない。本当にすまない。分かっているつもりだった。俺の考え方など関係なかった」


 そう、関係ないのだ。イェルドが少女を奴隷として扱わないとはいえ、奴隷とその主人という関係に変わりはない。それはつまり、いつでも何でも彼女はイェルドが言えば従うほかないということだ。


「俺は二度とお前にこんなことはしない。そして、早くお前を解放すると約束する。奴隷契約と、呪いから」


 少女は疲れ切った顔で、イェルドの腕の中から彼を見上げていた。しかし、その表情は安堵に満ちていた。そして、イェルドの言葉にわずかに首を縦に振った。

 イェルドはこの時ようやく確信できた。彼女には聞こえている。

 彼女からの答えは決して分かりやすくはない。

 しかし、走れ、ここにいろ、などという命令に対してではなく、自分の思いに対して頷いてくれた。それが、なぜだか少し嬉しかった。


 イェルドは少女を腕に抱いたまま歩いた。地下通路は普段はほとんど使われていないのだろう、通路を補強するために木材で作られた柱にはところどころ蜘蛛の巣が張られていた。

 暗闇に目が慣れてきたとはいえ、灯りの全くない地下だ。イェルドはひたすら音を聴きながら歩いた。どこかから、水が滴る音がする。そのほかに聞こえるのは、後ろから岩をひっかきながら小走りでついてくる白い小動物の足音だけだった。

 腕の中の少女が少しまどろみ始めた頃、上の方から微かに物音が聞こえた。民家か、あるいは何かの施設か分からないが、このまま歩いてこの通路から抜け出せるとは限らない。

 少しあたりを手探りで探すと、上へと向かう梯子があった。イェルドは一度上に登って見ることにした。


「背負うぞ、しっかり捕まっていてくれ」


 少女は眠そうな目をこすりながらイェルドの背中によじ登ると、案外しっかりと帯を掴んでくれた。


「よし」


 イェルドはなるべく音を立てないように梯子を登り、扉を持ち上げようと力を込めた。

 動かない。

 もう少し力を込めて持ち上げようとするが、それでも扉は動かない。鍵がかかっているのだろう。イェルドは少し焦っていた。追手が二人だけとは限らない。前の街で見たとき、少なくとも三人はナルフィーネやあの若い男と一緒にいたはずだ。

 イェルドは大きな音が鳴ることを承知で、扉を力いっぱい殴った。

 ばきっと音がして、上方から灯の明るさが漏れた。上の方では何かがごとりと動く音、一瞬遅れて『うぎゃあああああ!』という叫び声。気のせいか、どこかで聞いたことがあるような声だ。

 イェルドは半壊した扉を持ち上げて上へと登った。


「や、やめて! 私、おいしくないよ! 食べるとこ少ないし……」


 顔を覆って何かに怯えているのは、小さい女の子だった。いや、小人族が小さいのは当たり前だ。明るい栗色の髪に、森の木の葉が日に透けているような明るい緑色の瞳。

 腰には小さな鞄をつけていて、そこには色とりどりの粉や液体が入った小さな瓶がいくつも結んである。


「……ミラーナ、すまん。お前の家だったのは驚きだ。急だが、少しの間泊めてくれないか」

 お読みくださりありがとうございます。

 よければ評価・感想等よろしくお願いします。

 完全に不定期投稿になってしまっていますが、このままいくと思います。すみません。ただ、投稿は確実に続けるますので気長にお待ち頂けると幸いです。

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