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30.逃走

「動くな。ここで、布団を被ってじっとしていろ」


 イェルドはそれだけ言うと、一切物音を立てずに寝室の扉を閉めて廊下に出た。

 今度は足音を立てることを気にせず、ベケ夫妻の寝室まで歩いて扉を二回叩く。


「入ってもいいか」

「…………おう、こんな夜中に何の用だ」


 ベケは扉を叩くとすぐに起きたようだが、ホアナは少し身動きをするばかりで目を覚ましてはいないようだ。イェルドは窓を一瞥してからベケの耳元で囁いた。


「何者かに家を囲まれている。おそらく、俺を追ってきた奴らだ」

「……それで?」

「隠れる場所が欲しい」

「それなら地下がある。戦や獣災の時のためのものだが、他の民家とも繋がってる。廊下の一番奥、物置の木箱の下だ。そこを王城の方向に走れ。分かるな?」

「ああ」


 ノクサルナが統べるこの水峡台地は、古くから人が住まう街だ。人々は地盤が強い台地の地下を掘って災いを耐え抜いて来た。


「お前の剣ついては、紹介状を書こう。西へ向かうんだろ。治癒師のミラーナに渡しておく。余裕があれば立ち寄って受け取ってくれ」

「わかった。感謝する」

「それと――――」

「なんだ」

「あの娘にもっとしっかり向き合ってやれ。あれじゃあ……あの娘が可哀想だ」

「…………ああ。では、失礼する」


 分かっている。このままではいけないということは、彼は百も承知だった。しかし、今は彼女との向き合い方を考えている余裕はない。イェルドは踵を返して少女が居る部屋へと向かった。

 彼女は言われた通り、布団を被って動かないようにしているようだった。


「おい、行くぞ」


 説明をしている暇はない。イェルドは少女の布団を剥ぐってそれだけ言うと、また速足で歩き出した。少女は訳も分からぬことにうろたえてはいるが、大人しくついて来た。もう一つ、余計な足音がくっついてくるが、彼はもうこの際無視することにした。

 イェルドは言われた通り、物置部屋の木箱をずらした。すると、取っ手の付いた板が床の一部にはめ込まれているのが目に入った。同時に、正面口の扉が小さく音を立てて開く音がイェルドの耳に聞こえる。熊のような小動物も耳をわずかに動かしてそちらに注意を向ける。

 板には錠前がついていた。鍵が必要だが、探している暇はない。イェルドは指先にぐっと力を込め、ばきっ、という鈍い音を立てて金属の錠前を破壊した。そしてなるべく音を立てないように板を持ち上げる。下は真っ暗闇で何も見えない。梯子が続いているのは見えるが、少女には段差が大きすぎる。


「よし、俺がいいと言ったら飛び降りてこい」


 イェルドは身を小さくして地下街へと続く穴を降りていく。少女はそれを、身を乗り出して見ていた。やがて、穴の奥の方から「いいぞ、降りてこい」と聞こえる。しかし、下は真っ暗で何も見えない。


「何をしている、早くしろ」


 確かに、自分を呼ぶ声は聞こえる。しかし、どうしても足がすくんでしまう。あの洞窟を思い出すからだろうか。少女がためらっていると、今度は後ろから怒鳴り声が聞こえてきた。激しく扉を叩く音も聞こえる。この部屋ではないが、足音はどんどん近づいてくる。


「くそっ、どこへやった!」

「だから、知らないと言っている。そんな奴はうちには来とらん」

「お許しください。あなた方に危害を加えるつもりはありません。ただ、人を捜したいだけなのです」

「うちを荒らしまわることは許しません」

「黙れ、ノクサルナの愚民め。貴様らの許可など端から求めてはいない」


 廊下の向こうとはいえ、会話はよく聞こえた。何やら怖い人たちが自分らを追っているのだということは少女にも察しがついた。


「早く!」


 その時、彼女の足元についてきていた白い小動物がなおもためらう少女の背に体当たりした。彼女は体勢を崩して頭から落っこちてしまったが、イェルドはそれを軽々と抱きとめる。

 暗闇に目が慣れてくると、地下の状況がよくわかった。そこは街というよりも通路のような場所だった。街のように栄えていた時期もあったが、現在は必要なくなって廃れてしまったのだった。

 イェルドは少女を地面におろすと、彼女の前にひざまづいて懐から小さな首飾りを取り出した。そして、それを彼女の首に留めてやった。


「これがお前を守ってくれるはずだ」


 彼女は物珍しそうに青い石を触っている。それは、魔除けの加護を宿した宝石だった。これがあれば、そう簡単に魔物に襲われることはないだろう。

 イェルドは二つに分かれた道の一方を指して言う。


「あちらへ向かって走れ。俺もすぐに追いつく。いいな? わかったら行け」


 追手はおそらく、少女の存在に気づいていない。気づいていたとしても、大して気に留めていないだろう。ならば、先に安全な方に逃げてくれたほうが都合がいい。

 しかし、今度は彼女はぎこちなく、それでいてはっきりと首を横に振った。


「なぜだ! ここにいたほうが危険だ。俺はすぐお前に追いつくから––」


 すると少女はわずかに口を開き、よほど注意して聴かなければ分からないほど小さな声で言った。


「…………ぃ……いや」


 少女は自分を守ってくれる人のそばから離れるとどうなるのか、この前の事件で痛感していたのだ。あんなに恐ろしい思いはもうしたくなかった。

 一方のイェルドは彼女が初めて言葉を発したことに驚きはしたものの、それどころではなかった。早く逃げてもらわなければ困る。その時、上の方で扉を乱暴に開ける音が聞こえる。


「見つけた! 見つけましたよ、副団長! ここです」


 追手はもうすぐそこまで迫っている。苛立ちを募らせたイェルドはつい強い口調で、強い命令の意を込めた言葉を発してしまう。


「いいから早く行け!」


 その瞬間、少女は自分の身体に電流が走ったかのような感覚に襲われた。同時に首のあたりが()()()と熱くなり、一人では行きたくないという自分の意思が何か別のものによって無理やり捻じ曲げられるのを感じた。少女は泣きながら走り出すしかなかった。白い獣も彼女に続いて走っていく。

 イェルドは言ってすぐに自分の言葉を後悔した。絶対にしないと誓ったのに、彼女に刻み込まれた負の印を使って自分の意思に従わせたのだ。こんなことでは、ますます彼女との溝が深まってしまう。

 しかし彼は頭を振って、ひとまず余計な考えを追い出すことにした。彼女には、すぐに追いつくと言った。約束をたがえることはもう許されない。

 イェルドの背後で、誰かが地下通路に降り立つ音が聞こえた。


 お読みくださりありがとうございます。

 よければ評価・感想等よろしくお願いします。


 最近、少し前に流行った例の感染症にやられてしまい、苦しんでおります……今更って感じですが、油断が仇になりました。早く治して執筆スピード上げたいと思っていますが、まだ定期的に上げるのは難しそうです……すみません。ゆっくりでも継続していくつもりですので、気長にお待ち頂ければ幸いです。

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