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29.孤独

 気が付くと、目の前に恐ろしい爪が迫っていた。しかし、それは堅い岩に阻まれて少女には届かない。あの水の中にいた女性は少女を守るためにそこに押し込んだのだ。


「――ひっ」


 何度も、何度も、狂ったように振り下ろされる凶爪。砕けた石の欠片がぱらぱらと落ちてくる。少女はただただ身を縮こまらせ、息を殺していることしかできない。

 どれほど経ったのかわからない。あの恐ろしい化け物はもう彼女を手に掛けることは諦めたようだ。穴の上に、白く小さい毛の塊のようなものが見えた。低い唸り声はその塊から発せられているらしい。

 少女はまたしばらくして、やっとその生き物が彼女を守っているつもりなのだという事に気づいた。その小さな体はとても化け物に敵いそうにはないが、化け物はまるでその小動物を恐れるかのように腰が引けている。

 やがて、どこからか人の声が聞こえてきた。少女は瞑っていた赤い目をはっと見開いて穴をじっと見つめる。聞いたことのある声だ。あのイェルドという男と、鍛冶屋の家の少年の声だ。

 何が起きているのか、わからなかった。化け物は何度か凄まじい叫び声を上げていたが、それもそのうち聞こえなくなった。

 裂け目の入口に顔から顔が覗いてきた。白い髪に、青い瞳。忘れるはずもない。イェルドだ。

 それを見るとなんだかとてもほっとして、思わず涙がこぼれてきそうになった。


 安心も束の間、今度は突然たくさんの人が入ってきて戦い始めた。イェルドは腕が立つとは言え多勢に無勢だった。人が血を流し、倒れている。苦痛に叫び声を上げている。

 突如、彼女の脳裏に一つの光景が浮かび上がった。


 燃え盛る街。逃げ惑う人々。逃げろ、という叫び声が聞こえる。鉄の鎧をまとった兵士たちが、がしゃがしゃと音を立てて彼女のいる部屋に近付いてくる。


「あ……ああ――――」


 少女は頭を抱えて蹲った。痛ましい記憶。忘れていた記憶。彼女が思い出したのはその断片だけ。しかし、それが確かにあったということは否が応でも分かってしまった。


「…………っ」


 苦しい。酷く苦しい。また、右腕の呪いが蠢き出しそうな気がしたその時、頭の中に語りかけるような声を聞いた気がした。大丈夫、守ってやる。そんな、彼女を安心させるような声が。

 彼女を真っ黒な影が覆う。

 それは、外から見れば三つ又の蛇の形をしていた。頭の一つ一つが成人した男と同じくらいの背丈をしている。

 彼女には見えなかったが、蛇は完全に戦意を喪失していた一人の男を除いて、イェルドとフィースに敵対していた傭兵たちを全て喰らい尽くしてしまった。その間、彼女はずっと蹲ったままじっとしていた。









 少女はイェルドの腕に抱かれてベケの家に戻った。二人は彼女が無事に帰って来たことを喜んでくれたが、それよりもフィースのことを心配していた。

 少女が彼女を抱えるイェルドの顔を見上げると、彼は抱き合うホアナとフィースを目を細めて見ていた。視線に気づいたのか、イェルドは少女の顔を見た。彼は全く無表情だった。フィースの母親のように少女を叱るわけでもなく、無事を喜ぶわけでもない。

 イェルドは少女を抱いたまま寝室に向かい、彼女を寝台に寝かせた。


「何かあれば壁を叩け。すぐに行く」


 その一言だけを残して、そのまま出ていってしまった。

 扉の向こうから話し声が聞こえる。何を話しているのかはわからないが、とにかく彼女を除いた四人が皆集まって話している。

 話に聞き耳を立てているとなかなか眠れなかった。鍵のかかった窓からは、昨日と同じように満天の星空が見える。ひどく孤独な気分だった。

 イェルドは自分を何度も助けてくれる。けれど、助けてくれるだけだ。自分が何が欲しいのかはわからない。何をしてほしいのか、わからない。

 それでも、フィースとホアナが抱き合うあの姿は、とてもまぶしく見えた。少女はゆっくりと眠りに落ちていった。

 目の端が少し涙で濡れていたが、誰もそれに気づくことはなかった。




 その晩、彼女は物音で目を覚ました。眠い目を擦りつつ目を開けると、背中に何か温かくてふわふわとしたものがあるのに気付く。


「ぁ……」


 見ると、黄色い双眸が彼女の赤い目を捉えた。すぐにわかった。あの時、洞窟にいたこの子熊のような動物がついてきてしまったのだ。


「おい、そいつを渡せ」


 声のした方を見ると、イェルドがいた。寝室の扉より背が高いので、そこに最初から扉がないように見える。

 少女は迷った。どうして渡せなんて言うのだろうか。この小さな生き物は自分を守ろうとしてくれた、とてもいい子だというのに。


「聞こえないのか。渡せ」


 低く強い声に、びくっと身を震わせる。でも渡す気にはなれなかった。目を見れば分かる。この子をイェルドに渡せば、殺してしまうか、そうでなくてもどこかに追い払ってしまうだろう。そんなのはどちらも嫌だった。


「仕方ない」


 イェルドは無理やり首根っこを引っ掴んで、彼女からその小動物を奪い取った。そのまま窓に向かって歩いていく。

 窓から放り出すかと思われた寸前、イェルドはぴたりと動きを止めた。


 お読みくださりありがとうございます。

 よければ評価・感想等よろしくお願いします。

 またもや遅くなってしまいすみません。時間はできたものの遅々として進まずといった感じです。次回はこれ程間を空けずに投稿したいです。

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