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26.親と子

「なんだ、あれは……」


 ――――ひどく禍々しい、何か。

 さっきまであの少女が居たはずの場所は、黒い靄で見えなくなっていた。黒い泥のようなものが、溶けた岩の如くゆっくりと流れている。


「来る」


 イェルドは魔術呪文を唱える。すると、地面から幾重にも連なる氷の柵が生えた。

 一方、他の傭兵たちは途方に暮れていた。為す術なく狼狽えるばかりで、泥の正体など考えている暇もない。

 どろどろとしたその物体の中から現れたのは――――巨大な三本の蛇の首だった。


「――ひっ……た、助けてくれえ!」

「早く……早く逃げないと!」


 背を向けて走り出そうとした瞬間、長い首……いや、胴体が腕のように伸びて槍使いと魔術師を攫った。

 鈍く、骨が折れる音が聞こえた。攫われた二人の体は、本来あり得ない方向に折れ曲がって、そのまま黒い汚泥の中に飲み込まれていく。

 恐ろしい光景だった。

 確かに生き物――なのだろうか。

 黒い泥に覆われて姿はよく見えないが、確かにそれは蛇だった。二又に分かれた舌ははっきりと見える。それから、全身を覆う刺々しい鱗。泥の合間に光る、計六つの赤い目。


「っこの……!」


 傭兵たちが次々に飲み込まれていく中、ダフェオはやはり頭一つ抜けていた。蛇の頭の突進を躱し、その図体からは想像もつかないような素早い動きで相手を翻弄する。

 壁に向かって走るダフェオを蛇の頭のうちの一つが追う。

 急に飛び上がったダフェオに反応できず、頭がだんと岩壁に激突した。


「喰らえ、蛇野郎!」


 蛇の頭を目掛けて剣を突き出す。ぶすりと刺さった剣は、確かな手応えがあったようだった。しかし、すぐに彼は違和感に気付いた。

 ぐにゃぐにゃとしていて、肉を突き通しているような感覚では無かった。見ると、剣を突き刺したはずの傷口からこぼれ出ているのは赤い血ではなくあの黒い泥だった。

 蛇は口からも泥を吐き出し、洞窟の中は泥で溢れかえっていく。


「う、うわあああ!」


 蛇の頭の上にいたダフェオに、もう一つの頭が襲いかかる。剣を抜いて避けようとするが、剣はもう抜けなかった。

 傷口の中に、剣が沈み込んでいくのだ。剣を諦めて避けようと飛んだダフェオを、蛇の頭が捉えた。

 突進する勢いのまま、彼の身体を咥えた蛇の頭は岩壁に激突する。彼は幸運だった。

 生きたまま食われるとはいえ、意識を失うことができたのだから。

 またばきばきという鈍い音がして、もう一人の傭兵が犠牲になった。今や、生き残っているのはイェルド、フィース――そして、最初にイェルドにやられた槍使いだけのようだった。

 イェルドは必死に泥を押し留めている。蛇の頭たちは気を失ったままの槍使いには目もくれなかった。

 黒い泥は嘘のように引き返していき、蛇の頭も泥の中沈んでいった。


「……無事なのか」


 泥の中から少女の姿が現れると、イェルドは急いで駆け寄った。今の化け物のことも気にかかるが、今は彼女の容態のほうが心配だった。呼吸と脈を調べると、両方ともしっかりしている。


(良かった……)


「お、おい……なんだったんだよ、今のは」


 息を潜めていたのだろう。槍使いがイェルドに呼びかける。イェルドは彼の姿を改めてよく見た。色素の薄い髪に色白な肌。明らかに北の人間だ。大方、ノクサルナ出身だろう。


「……さあな。分からん。お前、フィースを背負えるな?」

「ば、馬鹿言え! 無理に決まってる! 脚が痛すぎて――」

「……情けない。分かった。それならあの荷物を――」

「わ、分かった分かった! 背負うから!」


 イェルドが背負ってきた荷物は、余りにも重たかったのだ。イェルドに対する嫌がらせのつもりだったのかもしれない。尤も、彼にとってその程度の荷は大したことでは無かったが。

 結局、イェルドが少女を腕に抱き、荷を背負った。そして槍使いはフィースを背負い、左脚を引きずりながら歩いた。


「そういえば、名前を聞いていなかったな」

「グラセだよ! 顔合わせのときに言ったろ」

「……すまない。記憶にないな」

「そうかよ、俺なんか眼中に無いってか。まあ、あんだけ強けりゃあな……喧嘩を売る相手を間違えたってことか」


 グラセはため息をついて肩を落とした。彼は、これからのことを考えると気が重くなった。間違いなく、国の衛兵に突き出されて罪を問われるだろう。

 グラセは気を紛らわせようと、ふと疑問に思ったことを尋ねた。


「そういえば、その娘はお前の子なのか? 随分大事そうにしているが」

「違う」


 彼はイェルドが大切そうに抱える少女を見た。そして見つけた。首元に刻まれた、見るに痛ましい印を。


「…………奴隷、か」

「ああ」

「奴隷をそんなに大事そうにするやつは初めて見た。さっきなんて、まるで実の父親みたいだった」

「…………ふん」


 彼はイェルドが少女に駆け寄ったときの表情を思い起こした。我が子の身を案じる父親の顔に似ていたように思えた。


「その子、名前は?」

「……知らない」

「名前が無いのか。名前くらいつけてやったらどうだ? どうせ親もいないんだろ。奴隷の子の親はもう死んでるか、死んだほうがいいクソ野郎かのどちらかだ」


 グラセは吐き捨てるように言うが、イェルドはそれを鼻で笑った。


「まるで自分はそうではないかのような言い草だな」

「そうは言ってない。分かってるよ。俺もクソ野郎だ…………死んだほうがマシなクズだよ」






 ◆






 グラセはやっとのことで風車井戸まで歩いた。ちっとも辛く無さそうなイェルドを見て、ため息をつくほかなかった。

 ぎしぎしと重い音を立てながら、昇降台が昇っていく。

 汚染された水がぽたぽたと肩鎧を打っている。


「着いたな。組合に報告すればいいのか?」

「ああ。さっさと行こうぜ」


 組合に行くと、都合のいいことに風車守りのアンテと近衛騎士のキエリフが居た。井戸の異常を聞いて駆けつけたのだろう。

 フィースに手当てを受けさせている間に、二人は事の顛末すべてを話した。


「――待て待て。全く頭が追いつかない!」

「つまり、まずフィースとイェルドは裏切られ、水の精オンディナが死んでいて、その原因であろう魔獣を殺したが今度は三つ首の蛇が現れてここにいる四人以外を食った、と」


 アンテとキエリフは深刻な顔をして考え込んでいる。


「四柱のオンディナのうち一つが死んだか。南側はこれから厳しくなるな」


 王都ディリ・ノクサルナには四柱の水の精オンディナがいて、水源の清らかさを保っていた。しかし、そのオンディナが死ねば次のオンディナが孵化するまでに一年はかかる。

 それまで、王都の南側の地域は他の三つの地区から水の供給を受けなくてはならない。無論、こういうときのために水路は引いてあるが、水源が四分の三に減るというのはそれだけで田畑に大きな痛手となる。


「早急に黒水蛇の討伐隊を編成するべきだろう。水源の汚染はあの魔獣と、魔獣の食糧であるギセリの数を減らすことでしか解消できない」

「そうだな」

「ああそうだ、オンディナの卵を洞窟の泉の中に置いてきた。気をつけて扱ってくれ」

「ありがとう。適切な判断だ」


 キエリフは受付のところにいた女性を一人呼びつけて、依頼の話を始めた。一方アンテは再びイェルドに向き合って話し始めた。


「……イェルド、ありがとう。本当に助かった。ひとまず今は帰ってくれていい。グラセ、あんたには聞きたいことが山程あるから、残ってくれ」


 二人は彼の言葉に頷く。イェルドが席を立ったところで、、ちょうどフィースが目を覚ました。


「あれ……おっさん。なんで……あれ、なんで俺――」

「フィース。家で話す」


 フィースは少し沈黙していたが、イェルドが家に帰って今までのことを話す、と言っているのだと理解した。この男はいつも言葉数が少ないのだ。フィースは知らず知らずのうちにそれにも慣れてきているのだが。


「……うん、分かった」


 ベケの家の扉を開けると、フィースの胴に巻かれた包帯を見たホアナが飛んできた。


「うわ、ちょっ……母さん――」

「どうしたの、こんな怪我して! 危ない依頼は受けないって約束したでしょ!」

「ごめん、ごめんって! 今から話すから!」


 見ると、彼女の目には涙が滲んでいた。フィースは項垂れて、大人しく抱かれることにした。


「あなたまで失ったら、私……」

「……ごめん。これからはもっと気をつける」


 イェルドはあなたまで、という言葉が引っ掛かった。以前何かあったのだろうか。

 ベケは居間に入ってくるなり普段も固い表情を一層固くした。そしてそのまま黙って自分の席につく。


「フィース、何があったか教えてくれる?」


 ホアナはフィースの目を捉え、肩を掴んで言った。

 お読みくださりありがとうございます。

 よければ評価・感想等よろしくお願いします。

 最近タスクに追われてかなり忙しいですが週に一回は投稿できるよう努力はしますのでよろしくお願いします。

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