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25.裏切り

「信じられない……」


 フィースはその光景に目を疑った。

 イェルドは強いなんてものではなかった。圧倒的だった。




 彼はフィースが両手で投げて寄越した剣をしっかり空中で受け止めると、軽々と振った。


「……やはり軽いな」


 小さく呟くと、黒い魔獣に向かって歩く。魔獣は一歩、後退った。


「なんだ、怯えているのか。お前ともあろうものが」


 魔獣は彼の言葉に反応するかのように目を細くして睨んだ。しかし、その脚はなお竦んでいる。


「何をそんなに恐れている」


 イェルドは黒い魔獣に向かって、剣を握っていない左手を差し出した。魔獣は動かない。


「教えてくれ」


 イェルドには、魔獣の姿がよく見えた。

 黒い鱗。鋭い爪と牙。口元に生える髭。水に濡れて黒く光る鬣。背に生えた小さな翼。

 ――――間違いない。


「古き竜よ、こんなところで何をしているのだ」


 魔獣はなお怯えた目でイェルドを――いや、違う。彼ではなく洞窟の奥を見ているのだ。暗い闇の向こうに、一体何があるというのか。

 突然、魔獣はぶるぶると全身を震わせた。よく見ると、目が血走り、鱗の内側の体表が波打っているように見える。


「うっ……これは」


 魔獣は藻掻くように吠えた。口の端から魔力が漏れ出し、床を這って広がっていく。その場にいれば誰でも分かるだろう。


「うっ……おえええ!」


 フィースは思わず嘔吐した。それほどまでに不吉な魔力。あの少女の呪いから発せられるものに少し似ている。

 汚れた魔力をいくら吐き出しても、苦悶の咆哮は絶えない。


「オンディナの呪いか……もう助からないだろう」


 神獣を殺せば代償は大きい。この竜はどういうわけか神獣オンディナを殺し、呪いを受けたのだろう。

 漆黒と化した魔獣は目の前の生物に突進した。しかし、その凶爪がイェルドを捉えることはなかった。

 横に跳躍したイェルドはそのまま魔獣の右前脚を斬った。振り向く魔獣の横っ面を蹴り上げ、首元に潜り込んで剣を突き刺す。すると、魔獣の頭が自然と下がった。


(この剣、硬さはいい)


 イェルドは半ば動きの止まった魔獣を見上げた。首から顎にかけ、無数に生える鱗のうちの一つに狙いを定める。


「そこだ」


 下がった頭を貫く勢いでありながら、凄まじい精確さで鱗を貫く。

 すると、魔獣は力なく崩れ落ちた。イェルドはことも無さげに剣の血を拭うと、フィースに剣を返した。


「信じられない……こんなに強いなんて。どこでこんな剣術を……」

「その話は後だ、フィース。今は――」

「ごめん、そうだった。あの子を探さないと。早くしないとこの洞窟があの魔力でいっぱいになっちゃう」


 魔獣の死体からは、今もあの恐ろしげな魔力が湧き出ている。

 フィースがゆっくりと立ち上がって見ると、イェルドの前に白くて小さい毛玉のような獣がイェルドの前に立ちはだかっているところだった。


「おい、離れろ獣め」


 イェルドは白い魔獣を追い払おうと足で蹴る動きをした。

 その魔獣は怯むも、退こうとはしない。


「待って、おっさん。そいつ――」


 フィースの言葉に、獣の後ろを見た。そこには、金色の髪が見えた。


「え、なんでこんな所に……」


 理由は分からないが、地面の亀裂に落ちてしまって身動きが取れなくなってしまったようだ。

 それにしても、イェルドが追い払おうとしている白い獣は本当に魔獣なのだろうか。こんなに小さくて大した力も無さそうな獣がこんな過酷な環境でどうして生きていられるのかもわからない。


「まさか、食べようとしてるわけじゃないよな……どっちかというと……」

「なんだ?」

「――俺にはこの獣が、あの子を守っているように見えるな」


 イェルドはもう一度白い毛玉をよく観察した。精一杯毛を逆立て、体を大きく見せようと脚を広げて四つ脚で立っている。


「ごめん。そこをどいてくれないかな? 俺たちはその子を助けに来たんだけど」


 イェルドに比べれば格段に高い声のフィースは、なるべく優しい声を出すようにしながら話しかけた。

 次いで、腰に付けた小さな袋からいくつか木の実のようなものをとりだして獣の前に投げた。

 しばらくは警戒していた魔獣だったが、やがてそろそろと近付いて木の実を食べ始めた。


「ほら、手を」


 イェルドはその隙に少女を亀裂から引っ張り上げた。それを見たフィースはほっと息を吐いた。


「随分と世話の焼ける子だね」

「ああ、全くだ」


 金髪の少女は恐る恐るイェルドを見上げる。イェルドもフィースと同じくため息をついて言った。


「色々と聞こうにも口がきけないのでは仕方ないな」

「……そうだね…………可哀想に」


 フィースは少女に手を伸ばしかけて、すぐに引っ込めた。無意識だった。体が危険を感じて、反射が起きたのだ。


「おっさん。この子、呪いが……」

「分かっている」


 言いつつイェルドはオンディナの亡骸へと歩み寄った。フィースが何をするつもりなのかと怪訝に思っていると、イェルドは懐から小刀を取り出した。


「何を――」


 イェルドはオンディナの腹の辺りの皮膚を小刀で裂き始めた。これにはフィースも驚愕した。


「な、なんてことを! 遺骸を傷つけるなんて……」


 フィースが騒ぎ立てるが、イェルドは手を止めない。ついには裂いた腹に手を突っ込んで探り出した。フィースはたちまち真っ青になった。彼は慌てて少女に後ろを向いているように言った。


「まずいよ、祟られるよ!」

「黙ってろ」


 イェルドはぴたりと手を止め、慎重にゆっくりと何かを拾い上げた。青みがかっていて、どろりとした液体に包まれた丸い物体。


「そ、それは……?」

「オンディナの卵だ」


 言われて見れば卵にも見える。しかし、鶏卵のような形ではなくきれいな丸い形だった。


「初めて見るなあ……すごい」

「あのまま腹にあっては孵化することができない。魔力があって涼しい場所でないと」

「……どこでそんな知識を?」

「――と、聞いたことがある」


 持っているだけで少し寒気がするような気がする。神獣というには、そういうものだ。普通、人とは相容れない生き物でありながら、気まぐれに助けてくれることもある。その逆もまた然りだ。


「それどうするの?」

「水の中に置いておくしかあるまい。孵化できるかは運次第だな」


 イェルドはオンディナが住んでいたであろう池の中心へと歩き、卵を静かに落とした。

 と、そこで聞き覚えのある声が洞窟に響いた。


「――しっかり埋めたんだろうな」

「もちろんだぜ、兄貴。あの剣は俺らのもんだ」


 フィースとイェルドは身構えた。間もなく入口に築かれた壁が崩れるだろう。

 大きな衝撃音が三回、響き渡った。土の壁はがらがらと崩れ去る。来た道から、五人の傭兵が一挙に現れる。


「おっさん……かなり、分が悪くないか?」

「……ああ」


 イェルドはチッと舌打ちをした。自分一人ならここを切り抜けるなど造作もないことだ。しかし、守らなければならない子どもが二人もいる。


「なんだ、生き残ってるじゃねえかよ」

「――そんな、まさか。俺が見間違えたのか? 確かに銀級相当の魔獣が」

「――そういうことか。おい、イェルド。貴様、黒蛇だろう」


 黒蛇――傭兵の中でも、実力を偽って組合に登録して他の傭兵の獲物を横取りする者のことだ。

 ダフェオは冷やかな目でイェルドを睨んだ。


「そんなわけないだろ! そこの二人が置き去りにしたんだ」

「仕方ないな。それならここで殺すまでだ。フィース、見損なったぞ。お前も共犯だったとは」

「違ッ……!」

「無駄だ、フィース。何を言っても聞く耳を持たん」


 イェルドは青い目を鋭くして五人を睨みつける。しかし、傭兵たちは怯まない。


「おっさん、剣を――」

「必要ない。こいつらのような屑にはその剣は勿体ない」

「……なんだと、貴様ァ!」


 槍使いがイェルドに飛びかかる。しかし、精確な突きを最小限の動作で躱したイェルドは槍を掴んでぐんと引き寄せた。


「がッ……」


 目の前に迫る槍使いの腹に強烈な一撃を叩き込む。

 次いで脛を相手の太腿に叩きつける鋭い蹴りを放つ。


「ッ――――」


 槍使いは声にならない苦悶の呻き声を上げるが、イェルドは追撃の手を緩めなかった。

 今度は鳩尾を狙って拳を突き出す。鉄の鎧は容易く凹み、内臓に直接響くあまりの衝撃に槍使いは堪らず倒れ込んだ。


「畜生……かかれ、一斉にかかれぇ!」


 ダフェオの一声に、傭兵たちはフィースとイェルドに攻撃を仕掛けた。


「ダフェオさん……信じていたのに! 良い人だって――」

「甘いんだよ、そんなのは! 傭兵になるっつうのはこういうことだ」


 フィースの剣は軽く弾かれる。彼は慌てて下がった。単純な力勝負では勝てないことはわかっていた。魔術も向こうが上。


「恥ずかしくないのかよ! こんなことして!」

「ほざけ、鉄級になったばかりの青二才が!」


 考える隙を与えない猛攻。やはり銀級と鉄級では差がありすぎる。

 一方のイェルドも苦戦を強いられていた。大盾の向こうから魔術が襲ってくるのだ。魔術は連続で行使できないとはいえ、大盾の防御を突破する前には次の魔術が来る。

 両者、決め手に欠けている状態だった。

 そこに、一つの声が響いた。


「おい、こいつがどうなってもいいのか!」


 もう一人の槍使いが大声で叫ぶ声が聞こえた。

 イェルドが振り返ると、そこには首に刃を突きつけられた少女がいた。


「……放せ。今、すぐに」

「こちらの台詞だ。お前が先にそいつを放すんだな。そうすれば解放してやる」


 場は混戦を極めていた。

 もう一人の槍使いは沈黙し、大盾使いはイェルドに制されようとしている。しかし、イェルドの横には今にも彼を貫かんとする魔術師が構えている。

 一方、ダフェオはフィースを追い詰めたところだった。彼は倒れる寸前だった。口が切れて血が流れ、腕甲もほとんど壊れている。それに、あの黒い魔獣に打たれた腹が異常なほど痛い。骨が折れているのかもしれない。

 状況を打開できるような大規模な魔術を使えば誰が巻き込まれるかわからない。

 万事休すか。そう思ったときだった。 


「痛っ!」


 槍使いが叫んだ。見ると、先程の白い魔獣が槍使いの足に齧り付いている。


「クソッ、この野郎!」


 脚を必死に振って、槍の石突で魔獣を殴るとやっと離れた。顎の力が思った以上に強く、骨が噛み砕かれるのではないかと思うほどだった。

 彼がはっとして顔を上げると、もう遅かった。目の前にイェルドの拳が迫っていたのだ。一気に距離を縮めて放った一撃は、彼を気絶させるのには十分だった。

 彼は短剣を落としてその場に崩れ落ちた。

 イェルドは槍使いにとどめを刺すべくその槍を奪う。そして、心臓に狙いを定めたイェルドは何かを察知して急に槍使いから離れた。


「……ああっ!」

「今度はなんだ!」


 必死に抵抗していたフィース、それを追い詰めるダフェオも動きを止める。

 イェルドは素早い動きでフィースとダフェオの間に割って入った。援護に入るかと思いきや、イェルドはそのままフィースに向かっていった。


「えっ……なんで――」


 次の瞬間、イェルドはフィースの頭部を強く打って昏倒させた。

 お読みくださりありがとうございます。

 よければ評価・感想等よろしくお願いします。

 ブクマありがとうございます。

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