24.王都底湖探索
「足元に気をつけろよ!」
「うわ、最悪だなこの臭い」
「全くだ。報酬が良くなけりゃ誰も来ねえよ」
イェルドとフィースを含む七人の傭兵はリハッデ風車井戸の下へと降りていた。この谷はノクサルナ王国の水資源である貯水池としての役割を果たしている。
しかし、どうも様子がおかしい。風車守のアンテが言っていた通り、谷底は刺激臭のする気が充満していた。彼の言う通り、水は汚染されていて、毒が含まれているのだろう。
もし水に含まれているのが、イェルドの見立て通り麻痺毒ならば、水に落ちれば一巻の終わりだ。全身が痺れて溺死してしまう。
「おい、銅級。しっかり持っとけよ」
「お前も、足元には気をつけろよ。大事な荷物がおじゃんになったらこっちが困るんだからな」
イェルド以外の六人はみな鉄級か、それ以上である。組合でイェルドに声をかけてきたダフェオという男だけは銀級らしい。銀級は街一つにいるかいないかというくらいには珍しい。
思い返せば、あのティンバールートとリドは銀装飾が入った腕輪をつけていた。デリット・サヴィルには銀級傭兵が二人もいたのだ。
「完全に馬鹿にされてるな……」
「気にするな。俺に傭兵としての実績がないのは事実だ」
ダフェオと彼が先導する四人は順調に進んでいた。日頃から同じ仲間で依頼をこなしているのだろう。陣形は隙がなく、魔物に襲われてもすぐに対処できるだろう。
その時、近くの水場から水しぶきが上がった。全員がすぐに反応し、戦いの構えを取る。
「脚付きだ! 大盾!」
「おう!」
巨大な盾を持つ男が前へ進み出て、魔物の体当たりを受け止める。黒い魚のような鱗に、襟のようなものを首の周りに持ち、蜥蜴に似た体躯をしている。
脚が付いた蛇のような見た目から脚付きとも呼ばれる蛇の仲間である。
「黒水蛇だ! 毒持ちだぞ、口に気をつけろ!」
魔物は一度水に潜った。傭兵たちの足場は少ない。水の面積のほうが陸地より大きいのだ。彼らは緊張して次の攻撃を待った。
ダフェオが叫んだ。
「右だッ! 大盾!」
「おう!」
ダフェオに並ぶほどの大男は大盾を地面にだんと叩きつけて固定した。即座に大盾に衝撃が来る。黒蛇が再び地面に乗り上げた。先程とは違い、大盾の後ろから男二人が槍を持って飛び出す。
「喰らえ、蛇野郎!」
「おらあっ!」
黒水蛇の鱗は硬くない。しっかりした槍ならば突き通せる。しかし、槍を二本刺したくらいでは致命傷には至らない。
苦しみに悶える黒水蛇は黄色い霧を鼻先から噴出させた。麻痺毒である。盾を持つ男は霧を顔面に受けてしまった。しかし盾を握る手の力は弱まらない。大盾役だけが、口に覆いをつけているのだ。
覆いは水蛇の口内の皮を使っていて、決して安くはない。だから、正面から相対する大盾役だけが覆いを着けるのだ。
両側から槍で貫かれつつも、黒水蛇は死なない。打ち上げられた魚の如くのたうっている。一方、蛇を囲む三人も抑え込むので精一杯だ。
そこでダフェオが動いた。
「インカンタル・フランマッ!」
彼は大声で唱えた。炎が舞い上がり、彼の手元にある剣を包み込む。
「うわあ、すごい」
「……ほう、珍しいな」
ダフェオは剣士だった。正確には魔剣士というべきか。
炎を受けた剣身は呼応するかのように赤く染まる。水蛇は総じて熱に弱いというのはよく知られたことだ。
「こいつで、どうだッ!」
ダフェオは蛇の首のあたりに力いっぱい剣を突き立てた。黒水蛇は苦悶の声を上げてのけぞった後、沈黙して動かなくなった。
彼は黒水蛇の口の奥にある牙を折って袋に入れた。討伐証明は魔物の牙であることが多い。
「さあ、先に進むぞ。ひとまずこの先の洞窟を見にいこう」
それぞれが元のように隊列を組んで進んだ。その先も、何頭か黒水蛇が襲ってきたもののイェルドとフィースの出る幕はなかった。二人は後ろからついて歩くだけでよかった。
フィースは足場の少ない水辺を歩きつつ、いくつかの池の水をそれぞれ別々の水筒に採って腰帯に結びつけていく。
また、フィースはその都度人差し指の先を池に浸して毒の強さを観察した。
「どうだ?」
「今見てみるよ…………うわっ!」
フィースは指先を少し浸けただけですぐに指を引っ込めた。意味があるのかは分からないが、指先に吐息を当てている。
「おい、大丈夫か」
「そうか。なら、どうやらあの洞窟で間違い無さそうだな」
ダフェオは少し離れたところにある暗い穴を指した。フィースは何かを察したようだ。表情が固まった。
「あの洞穴は……まさか」
「ああ、神獣の住処だ。あそこには水の精オンディナがいるらしい」
オンディナは種族の名前のようなものだ。巨人族、有翼族、竜人のような括りで区別されるのと同様のものだ。
「オンディナといえば、みんな美しい姿をしていることで有名だよな」
「ああ、だが許しを得ずに近づけば問答無用で攻撃されると聞いたこともあるぞ」
「そりゃ怖い。神獣なんかと戦ったら命がいくつあっても足りないからな」
一行は少し歩いて洞窟の入口までやってきた。遥か上に見える日は傾きつつある。
「よし、火をつけてやるから松明をよこせ」
「ああ」
荷物持ちのイェルドは背負鞄の横に差してあった松明を一本取って渡した。ダフェオは魔術を使って慣れた手付きで松明に火を灯す。
「よし、大盾が先行しろ。次が俺、その次が槍二つ。その後ろに魔術師、最後にお前ら二人だ。いいな」
進めば進むほど、洞窟は暗くなっていく。
みんな緊張しているのか、松明の音だけが洞窟にぱちぱちと響いている。
「おかしいな。神獣特有の圧が無い」
「そりゃどういうことだ、ダフェオ」
「なんとも言えないな」
神獣はそこにいるだけで人とは比べ物にならない魔力を放っていることが多い。オンディナはある種の益獣だ。放つ魔力も人に安らぎを与えるという。
「――分かれ道だ」
「どうする、ダフェオ」
「二手に分かれよう。俺と槍、大盾は右。もう一人の槍と魔術師、フィースとダフェオは左だ」
「わかった。そうしよう」
妥当な判断のように思えた。人数が多いほど安全なのだから、配分はちょうどいいだろう。
フィースとイェルドを含む四人は歩き出した。
しばらくして、フィースが突然口を開いた。
「ねえ……おっさん、本当はすごく強かったりするの?」
「……急にどうした」
「親父が言ってたんだけどさ。とにかくおっさんは普通じゃない、って」
「意味がよくわからない」
「それはものすごく強いってことなのかな、と思ってさ。でもそうは見えないよなあ。こんなぼさぼさの白髪でさ。そんなんじゃあ舐められても仕方ないよ」
「そうか」
「もう! もうちょっと喋れば⁉ なんでそんな……」
「おい、静かに」
イェルドは咄嗟にフィースの口を抑えた。フィースは手をどけようとするが、イェルドの手は全く動かない。フィースは、これが大人の力というやつなのだろうか、と少し悔しくなった。
「な、何だよ急に!」
「黙れ。よく耳を傾けろ。前だ」
唸り声がする。魔獣の声だ。
争っているような鳴き声がする。魔獣同士の争いだろうか。
「少し、近づいてみよう」
「……ああ」
二人はそろそろと声のする方へ歩いた。暗闇に目が慣れてくると、状況が見て取れた。
惨状だった。
「あれは……なんて酷い」
ずたずたに引き裂かれた死骸が見える。人魚のような鱗を持ち、腕には青いひれのようなものが見える。間違いなく水の精オンディナだ。
しかし、かつては美しく輝いていたであろう面影はどこにもない。彼女が生み出す生命の水の光もひどく弱まっている。
「……っ!」
イェルドが息を呑む気配がフィースにもわかった。つられて彼が目を向ける方を見ると、彼の動揺の理由がわかった。
巨大な魔獣がいた。鋭い鉤爪に黒い鱗。フィースはあんな魔獣は見たことがなかった。そして、その奥。その黒い魔獣に白い魔獣が相対している。
「あの魔獣、何を――」
フィースが呟くと同時に、背後からごろごろという大きな音がした。振り返ると、地面が盛り上がってだんだん道が塞がれていくところだった。
土の魔術だろう。
「なっ! 何の真似ですか!」
「貴様ら……」
イェルドが徐々に築かれていく
「すまないなあ、俺らにあんなバケモンの相手は無理だ。せいぜい時間稼ぎでもしといてくれや」
「ゆっくり助けに来てやるよ。その頃にはあいつの餌になってるかもしれねえがな! ハッハッハッ!」
もはや退路はなくなった。フィースは思わず地団駄を踏んだ。
「くそッ! 信じてたのに! あんな屑だとは――」
「フィース、今はこっちだ。集中しろ」
見れば、黒い魔獣はこちらをしっかり睨んでいる。魔術の音に気づいたのだろう。
イェルドはゆっくりと荷物をおろした。大して重くもない荷物だったが、戦いやすい方がいい。
「おっさん、下ってて」
「――何のつもりだ?」
「俺が引き付けるから、おっさんはその隙にあの子を助け出して」
正気か、とイェルドはフィースを見た。見ればわかる。あの魔獣はフィースが敵う相手ではない。少なくともダフェオくらいの実力者が二人は必要だろう。
「俺は、鉄級になったばかりだけど……弱者を見捨てるような真似はしない」
(弱者? 俺のことを言っているのか、こいつは)
イェルドは呆れそうになりながらもう一度魔獣を見た。
全身を覆う硬そうな鱗。鋭い鉤爪。黄色く光る瞳。そして、背に見える小さな突起。あれは――
「おりゃあああ!」
フィースが先に動いた。成る程、鉄級というだけあって、基本に忠実だ。何倍もの大きさの魔獣を相手にするのに、まずは魔獣の左手側へ駆け込んだ。
魔獣にも利き手というものがある。多くは人と同じく右利き。だから、左から攻めるのは悪くない。
「……どうしたものか」
長くはもつまい。イェルドはなるべく手の内を明かしたくはなかった。しかし、フィースに大怪我をさせるわけにもいかない。
「どうだっ!」
前足を狙い、斬りつける。剣自体のものはいいが、実力はまだまだだ。鱗が裂かれ、中途半端に傷がついてしまった。最悪だ。
フィースは考えもしなかったが、傷つけないでもなく、前足を封じるでもなく、ただ余計に刺激する形になってしまった。
魔獣は咆哮とともに前足を振り上げた。
体勢を立て直すのが間に合わず、フィースはもろに攻撃を喰らった。
「がはッ!」
イェルドはしまった、と思った。このままフィースが大怪我でもしたら、ベケやホアナに合わせる顔がない。
今は自分の危険よりフィースの危険を考えるべきだった。
「くそッ!」
イェルドは半ば体当たりをするようにフィースに飛びかかって、魔物の攻撃を避けさせた。
彼は持っていた松明をフィースに放り投げ、そのまま手を突き出して言う。
「交換だ。その剣を寄越せ」
フィースはイェルドの後ろ姿を見た。そして、今になって気づいた。彼はすでに、背に剣のようなものを背負っていた。布に包まれてはいるが、形を見ると剣に違いない。
「え……その剣は……?」
「これは使えない。いいから寄越せ!」
珍しく苛立ちを滲ませた声で怒鳴るイェルドに、フィースは慌てて剣を投げた。
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