23.迷子
「このくらいの、金の髪をした娘を見なかったか?」
イェルドは手で背丈を示してみせた。相手の女性は首をひねって記憶を掘り起こしている。
「うーん、見てないと思うけどねえ」
「……そうか」
空になった寝室を見たイェルドはすぐに家を飛び出した。それからずっと少女の姿を探している。鍛冶師一家も手伝ってくれているが、未だに痕跡すら見つかっていない。
「最後にその子見たのはどこだったんだい?」
「……家の、寝室だな」
(寝室。そう、寝室だ。扉は開いていなかった……そういえば)
「クソっ、俺としたことが」
「何か思い出したのかい?」
「ああ、助かった。では失礼する」
イェルドは走ってベケの家に戻る。あの時は気が動転して、家の中にいないことを確認してすぐに出て来てしまった。
大きな音を立てながらうちの中に飛び込む。寝室の扉を開け、寝台を再びよく観察した。
もっと冷静に確認するべきだったのだ。おかげで時間を無駄にしてしまった。
(なぜ気付かなかったんだ)
見ると、窓が少し開いていた。飛び降りるときに窓枠を掴んだのか、窓は降りていたが少し隙間が開いていた。靴もすっかりなくなっている。昨日、王城から帰った後はしっかり窓を閉めたはずだ。
窓から逃げ出したのだろう。
どうして逃げたのかはわからない。しかし、魔寄せの呪いを持ったまま外に出ることは明らかに危険だ。
逃げたのは恐らく深夜。となれば、彼女を見たかもしれない者は夜中に外に居た人間だろう。
イェルドは再び家を飛び出し、王城前の行列で野宿をしていたらしい痩せた男に尋ねた。
「そんなやつ……ああ、見た見た! 昨日の夜、小用を足そうと思ってそこの草むらのとこに行ったんだ。そしたらこんっな赤い目の女の子がそっちからそっちに歩いてったんよ。恐ろしくて恐ろしくてさあ、用も足せずに戻ってぶるぶる震えてたわけよ。化け物かと思ったぜ。人間だったんだなあ」
「様子は? 何か覚えていないか?」
「んー、なんかふらふら~って感じだったぜ。おぼつかないというか――」
「……そうか、ありがとう」
窓から抜け出し、通りに出てどこかに歩いていった、ということだ。男の指さした方を見ると、ついさっき見たばかりの風車があった。
否応なしに悪い想像をしてしまう。
(いや、そんなばかなことは有り得ない。自分から井戸に落ちるなど……)
「おい、どうだった⁉」
風車の方から怒鳴り声が聞こえる。見ると、人混みの中に茶色の髪が見えた。フィースだ。イェルドは急いで風車へと向かった。
「フィース。何があったんだ」
「今、あの人――風車守が下に降りて行って様子を見てきたらしいんだ」
一人の男が水をしたたらせながら台から降りてくるところだった。風車には桶の他にも昇降台がついているらしい。上から厚い木の板が降りてくる。あれに乗って上り下りするのだろう。
「……貯水池の水は汚染されていた。さすがに奥までは行けなかったが、鼻を突くような匂いが下から、恐らく魔獣が住み着いている」
イェルドは人混みを掻き分けて風車守の男の前に進み出た。
「おい、金の髪をした娘を見なかったか? このぐらいの背丈の――」
「女の子か。見なかったが……ああ、そうだ。靴があったんだ」
「何処に!」
イェルドは思わず風車守の両肩を掴んでしまった。彼は面食らったが、諭すように言う。
「落ち着け、どんな靴かもまだ言っていないんだからな。普通の深靴だったよ。女性用っぽかったが……とても子供用には見えなかったが」
イェルドは顔にこそ出さないものの、いよいよ不安になった。あのときは子供用がなかったから、大人用のものを買ったのだ。そもそも子供用などあつらえなければどこにも売っていないのだが。
「なぜ持ってこなかった?」
「水の中に落ちてたからだ。水が汚れているなら魔獣が貯水池に住み着いているかもしれないだろう。そんな場所に飛び込めっていうのか?」
「――そうだな、当然の判断だ。済まない。少し、取り乱してしまった」
イェルドはそう言いつつも頭を抱える。少し考え込んでいたが、すぐに顔を上げた。前へ進もうとすると、風車守に行く手を阻まれる。
「おい、そこを退いてくれ」
「すまないが、退くわけにはいかない」
「なぜだ」
「風車守としての役目だ。許可なしに降りることはできない。ましてや下は魔獣で溢れかえっているかもしれない。私とて危険だと思ったからすぐに戻ってきたのだ。武器も持たない一般人を行かせるわけにはいかない」
「腕には自信が――」
「傭兵組合に頼んで調査隊を編成してもらう。もし行きたいならそれに志願してくれ……今日中には行けるようにする」
それが最大限の譲歩だと言うのだろう。風車守は一歩たりともそこを動こうとしない。そこへフィースもやってきてイェルドを説き伏せた。
「おっさん。気持ちは分かるよ。けど規則は守らないと」
「……そうだな。俺としたことが、子どもに諭されるとは情けない。迷惑をかけた。申し訳ない」
彼はいつもならこんなに正気を失ったようなことを言う男ではない。やはりあの少女が心を惑わせているというのだろうか。
「よし、そういうことだから私は今から傭兵組合に行く。そこの、えーと……」
「イェルドだ」
「俺はフィース」
「ベケんとこの坊主だろ、知ってるよ。大変だよなあ、ベケも……」
「それはいいから、早く行こうよ」
三人は揃って傭兵組合へと歩いた。
イェルドとフィースが足を踏み入れると、視線が一気に集まった。見上げるほどの巨漢である。注目を集めて当然だ。
「組合へ依頼をしたいのだが」
「ああ、これはこれは。風車守のアンテさんですね。どのような依頼で?」
「リハッデ風車井戸の調査だ」
それを聞くと、受付係の女性は目の色を変えた。
「井戸に何か……あったんですね?」
「ああ、水が汚染されていた」
「では、調査隊の編成依頼ですね。報酬も合わせて、銀貨五十枚ほどになるかと」
「分かった。ほら」
アンテと呼ばれた風車守は懐から取り出した袋を開き、じゃらじゃらと銀貨を取り出した。
「どこからあんな大金が?」
「別にアンテさんのお金だけじゃありませんよ。風車井戸を使う人たちは維持費のためにいくらか寄付することになってるんだ」
「……合理的だな」
「そう、こういうときには本当に役に立つと思う。あ、ほら依頼が貼り出されたよ」
貼り出された途端、数人が木の掲示板のところに群がった。
「鉄級、か。なら行けそうだね」
「フィースはもう鉄級だもんな」
「さすが天才剣士だぜ。成長したら銀級になるんじゃねえか?」
近くの卓に座って昼食を取っていた傭兵がフィースに話しかけてきた。彼はここに顔見知りが多いようだ。
「やめてくださいよ、先輩方。俺は最近昇級したばかりですし。煽てないでください」
「フィース、鉄級、銀級というのは?」
「え、おっさん……まさか知らないの?」
「ああ……」
「てことは、組合にも登録してない?」
「していない」
イェルドは知らなかった。仕事を受けるためには傭兵組合に登録し、級を認定されなければならないのだ。
シオの隊商に参加することができたのは、ナルフィーネの仲介があり、かつシオによる雇用という形を取っていたからである。
「んん、おっさんそんななりで傭兵気取りか? 青銅級でもないのに?」
「ははっ、こりゃ笑えるぜ!」
「相当な田舎者なのか、こいつぁ?」
フィースは彼らをちょっと睨んで、イェルドの方に向き直った。
「……あまり、気にしないで。最近組合も羽振りが良くなくてさ、みんな苛立ってるんだ。そっちの受付台で登録できるはずだから」
イェルドは受付係のもとへ向かった。受付嬢は愛想のいい笑顔で迎える。
「どういったご用件でしょうか」
「組合に登録したい」
「では、お名前を教えてください」
「イェルドだ」
「イェルドさんですね。ではこちらの紙に血をお願いします」
やり方は奴隷契約と同じだった。名前の上から血で線を引く。
イェルドは小刀で親指のさきを切り、線を引いた。
「こちら、階級証明です。最初は皆さん、青銅級からの開始となっています」
彼女はそう言って青銅の装飾が入った腕輪をイェルドに渡した。動きを妨げないよう、蜥蜴か何かの革を使った柔軟な素材でできている。
「どうすれば昇級できる?」
「狼の場合は牙、など討伐証明をお持ちいただく必要があります。念のため言っておきますが、獲物を横取りして昇級してもいいことはありませんよ」
「身の丈に合わない依頼を受けても身を滅ぼす、というわけだな」
「その通りです」
しかし、イェルドが受けたいのは、風車井戸調査の依頼である。依頼は鉄級推奨。一方イェルドは青銅級である。鉄級に昇級するには、銅級を経る必要がある。
貼り出された依頼紙の下には札が七枚、引っ掛けてある。つまり七人で調査隊を組むということになる。
イェルドはそこから一つ取って、受付台に出した。
「あの、これは鉄級の依頼ですが……」
「分かっている。しかし、行かなければならない」
すると、背後から嫌味ったらしい声が聞こえてきた。
「おいおい、おっさん無理すんなよ。"身の丈に合った"依頼にしときゃいいんだ」
「他の奴らの足手まといになるくらいなら来んなよなー」
良くも悪くも、級付けというのは傭兵が相手への接し方を決める基準となるものだ。イェルドは相手にせず、再び受付嬢に頼む。
「とにかく、行かなければならないんだ。人を探して――」
「お前ら、そういじめるなって」
卓に座って笑っていたうちの一人がむくりと立ち上がった。イェルドほどではないものの、人間にしてはかなりの巨躯の持ち主だ。装身具の隙間からぎっしりと筋肉の詰まった腕が見える。
「そんなに行きてえんなら、荷物持ちって役目がある。下層の探索なら、一日や二日じゃ終わらねえこともあるからな」
「構わない。役目はなんでもいい。とにかく風車井戸の下に行けるのならば」
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