22.風車井戸
鍛冶師の家に戻ったイェルドは、再び少女を横にならせると、自分はどかりと椅子に座った。
それから、荷物の中から赤い木片と小刀を取り出し、小刀で木片を削り始める。
(装飾品、か……鉱石の結晶が必要だ)
呪いに対する加護を持つ装飾を作るには、純度の高い宝石と、それに祝福をかける神獣が必要だ。それに、神獣を見つけても祝福をくれるとは限らない。
それに、忘れてはならないのは、早く解呪師を探すこと。そして、自らが追われる身であるということ。今も彼らは血眼になってイェルドを探しているに違いない。
木を削る音だけが、寝室に響く。
少女は相変わらず穏やかな顔で眠っている。しかし、先程までずっと外を連れ回していたのに一度も目を覚まさないというのは異常だった。きっと、呪いへの抵抗で疲労しているのだろう。
「お前はどうしてそんなに――」
「おっさん、入っていい?」
声と呼び方で、訪ねてきたのが誰かはすぐに分かった。呪い子に近づけるわけには行かない。
そうだ。この子はもう呪い子なのだ。
「待て、俺が出る」
「いや、ちょっとあの子の顔を見たいんだけど……」
「……まあ、いいだろう。すぐに出るならな」
フィースはそろりと部屋に入ると、ゆっくり寝台に近づいた。そして少女の顔を覗き込む。
「顔色は大分よくなったね」
「……今は、な。呪いが消えた訳では無い」
イェルドは低い声に不安を滲ませて言う。フィースはイェルドを振り返った。
「何を作ってるの?」
イェルドは手を止めて答える。
「首飾りだ」
「なんで?」
「加護の石を埋め込むためだ」
「そう……」
寝室には、また、木を削る音が響き出した。フィースはしばらく黙っていたが、顔を上げて言う。
「何か、俺にできることはない? なんでもするよ!」
「ない」
イェルドの言葉が意外だったのか、フィースは黙り込んだ。イェルドはため息をつき、付け足した。
「勘違いするな。役立たずと言っているのでは無い。これ以上迷惑をかけられないからだ」
「迷惑? それはおかしいよ。俺が助けたいから、何かできることはないかって、聞いてるんだ。はじめから迷惑だなんて思ってない」
「――とにかく、これ以上関わるな。これ以上は、身を滅ぼすことになるかもしれない」
フィースは立ったまま、拳を握りしめた。
分からなかった。フィースには何も分からなかった。イェルドには、言いたくないことでもあるのだろう。それくらいは彼にも分かった。しかし、あの小さな少女を助けようと思うのが、悪いことであるはずがない。
「……わかった」
ひとまずそれだけ言うと、フィースは足早に扉へと歩いたが、はっとしたように足を止める。そして、ゆっくりと扉を閉めて出ていった。起こさないよう気を遣ってくれたのだろう。
◆
翌朝、イェルドは髪に塗り込んでいた染料を完璧に落とした。彼の髪は日の下では銀に輝いて見える、少し鈍い白色だった。
そして、昨日は脱いでいた傭兵らしい鎧を全身に纏い、外套を着た。
「あら、イェルドさん。どこへ?」
声のした方を見ると、ホアナが台所で食事の準備をしているところだった。
「金を稼がなければならない」
「そうなんですね。なんのために?」
「旅費と、武器のためだ」
「武器、ですか」
「剣にするのか? それとも槍か?」
突然、作業場の方から大声が聞こえてきた。ベケが話を聞きつけてやってきたのだ。まだ日が昇らない頃だというのに、この夫婦は早起きだ。
「俺が使うのは剣だ」
「ふむ。まさか俺に頼まないなんてことはないよな?」
「いいのか」
「もちろん、代金は頂くがな」
聞いていたホアナもどこか張り切った様子で言う。
「うちのに任せておけば心配はないかと。街でも指折りの腕前ですよ」
「一番だ」
「ふふ、そうですね」
仲睦まじいようで何よりである。
イェルドは自分は一生独り身だろうな、などと余計なことを考えてしまう。昨日はそんな余裕はなかったが、改めて見るとホアナはかなりの美人である。身体は大柄で、筋肉が引き締まっているので健康的な印象を与える。
「分かった、剣についてはベケに任せよう」
「それはそうと、王様には会えたのですか?」
「……いや、会えなかった。しかし、近衛らしき人物には会った。彼によればあれは魔寄せの呪いだということだ」
「魔寄せの…………助かるんですよね?」
「なんとしてでも助ける」
イェルドの言葉を聞くと、ホアナは黙ったまま微笑んだ。 やがて、フィースが起きてきて食卓に皿を並べるのを手伝った。
「食事の準備はもう少しでできるから、ちょっと待っててね」
「おっさん、水汲みに行こうよ。面白いものを見せてあげる!」
フィースが張り切った様子で言う。イェルドはこれといってすることもないので彼についていくことにした。
朝から人通りは多い。ここでも朝市が開かれていて、威勢のいい声が飛び交っている。
「あ、あれだよ! あれ!」
フィースが指を指して走っていく先には、巨大な風車があった。近づけば近づくほど、ぎぎぎぎぎ……ごとん、と大きな音が聞こえてくる。気がこすれる音だが、不思議と不快には感じない。
石を積んで作り上げられた巨大な建物。しっかりと張られた帆が風をいっぱいに含んで大きな滑車を動かしている。
見ると、風車の足元には多くの人々が詰めかけていた。
「なるほど、興味深い」
イェルドはやっと理解した。街に入るときに大きな橋を渡ったが、下には川が流れていた。谷底を流れる川はところどころ池のようになっていた。
風車の中を覗くと、案の定大きな桶が下から登ってくるところだった。台地の上に作られたこの街は水源に乏しい。湧き水だけではこの巨大都市の人口を支えきれないから、谷底から風車で水を汲み上げているのだ。
「ここは風が強いから、風車がよく動くんだ。風の力を使えば、人の力で汲み上げなくていいしね!」
集まっている人の中から大きな声がして、フィースを呼んだ。
「おぅ! フィースか!」
「ルコおじさん!」
この短い名前は、案の定ドワーフだ。最近はよくドワーフに会うなとイェルドは思った。考えてみれば当然のことだが、山地であり鉱山が多いからだろう。もとからここに住んでいたドワーフ族たちが人間に同化していったのだろう。
「水汲みか、偉いなあ!」
「うん! いつものことだから」
「でもなぁ。今ちょっと大変でよお」
「何かあったの?」
「なにやら水に問題があるらしくてな」
見ると、人混みが確かにざわざわと騒がしい。
「ふーん、そうなの? そんなこと今までなかったよね」
言いつつ、フィースは小柄な体型を活かしてするすると人混みを掻き分けていった。イェルドが後を追うと勝手に人が避けて道を作った。
「すげえな……あいつ」
ルコはイェルドの後を追う。風車の真ん中にある井戸のところに辿り着くと、フィースとイェルドが誰かが持ってきた桶に汲まれた水を見ていた。
「確かに、変なにおいがする……」
「……うむ」
イェルドは躊躇いもなく指を突っ込み、水に濡れた指を舐めた。
「うわっ、何してるのおっさん!」
「これは毒だな」
舌がピリピリするような感じがあった。間違いなく毒の類だろう。麻痺毒にはいくつか覚えがあった。
「飲んでもすぐに死ぬことはないだろうが、腹を壊すし飲み続ければ病気になるだろう」
「ルコおじさん! 護領士に報せて来てくれる⁉」
「も、もちろんだ」
結局、二人は水を手に入れることができなかった。家に戻ると食事の支度はすでにできていた。空の桶を持って戻ってきたフィースを見て、ホアナは不思議に思ったのだろう。
「あら、フィース。どうしたの」
「井戸の水が何かの毒で汚れてて使えないみたいなんだ」
「そうなの?…………それは、おかしいわね」
ホアナは訝しげな顔をして考え込む。
ベケも作業場から話を聞きつけてやってきた。
「ああ、谷の底には神獣がいて、その加護で水は清く保たれているということではなかったか」
「それは、確かにおかしいな。何があったのか……」
四人は揃って首を傾げる。皆、神獣について知識が深いわけではない。ともかく、皆席について朝餉を食べ始めた。
ふと、イェルドは寝室に寝ているはずの少女のことを思い起こした。寝室の前まで歩き、扉を開けて中を覗く。
そこにあるのは、空になった寝台だけだった。
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