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20.キエリフ

 少女が着ていた旅衣を脱がせ、イェルドは彼女の右腕から右の胸にかけてをきれいに拭いた。

 そこにあったのは、もはや半分以上が黒い呪いに侵食された右腕だった。呪いの中心は一目見れば分かった。二の腕のちょうど真ん中のあたり––そこを中心に黒い模様が広がっているからだ。その黒い根は右手首まで達し、肩口に差し掛かっている。

 魂は心臓と共にあると言われている。故に、模様が左胸に達した時には手遅れということになる。

 べケが悲痛な面持ちで呟く。


「……なんとか、ならないものか」

「できる限りのことはやるよ。私は解呪の心得はないけど、進行を遅らせることならできるかもしれない」


 イェルドは寝台から立ち上がった。そしてミラーナに尋ねる。


「まずは、ノクサルナ王に謁見するべきだと言ったな」

「……ええ。けれど、受け入れてもらえるかどうか」


 王は強大な力を持ち、時に民を助けることもあるという。だが、会えるのはほんの一握りだけ。それも何か思慮あってのことなのだろうと民は納得している。

 王というのは信頼されているものだ。そうでなければ王とは呼べない。いや、王でいられないのだ。


「行ってくる」


 イェルドは頭巾を深く被り、早足で鍛冶師の家を後にした。日は天高く昇っている。汗のにじむ額を拭いながら、彼は走った。


「見捨てはしない。絶対に」








 王城の前には大勢が並ぶ行列ができていた。

 最後尾で待っていては、日が暮れてしまうだろう。イェルドは少々手荒な方法もやむなしと見た。

 王城へと続く幅の広い段を一人、行列を横目に上っていく。

 門の前には、当然ながら門番がいた。王城の門番というだけあって、尋常の兵士ではないことが見て取れる。体格もイェルド程ではないが並の男では足下にも及ばない程大きい。

 左の門番が言う。


「そこで止まれ。まさかこの列が見えないとは言わないだろうな。用があるならこの列の最後尾へ。それが規則だ」

「急ぎの用だ。どうしても王に謁見しなくてはならない」


 今度は右の門番が低い声で答えた。


「この列に並んでいる者の大半がそうだ」

「……人の命にかかわることだ」

「それもまた同様」


 門番は一歩も退こうとしない。イェルドも彼らがこのくらいで折れるわけがないとは思っていた。


「力づくで通ると言ったら?」

「王の衛兵を全て倒せば王に会えるぞ。無理だろうがな」


 王の側には必ず近衛兵が二人か三人はいる。彼らは護領士よりも強い。一人なら勝算はなくはないが、二人以上相手できない。


「ふむ、なるべく穏便に済ませたい。これでどうだ」


 イェルドは有り金を全て出してみせた。人の命は失われてしまえばそれきりだが、金ならいつでも稼げる。


「……足りないな」

「確かに、貴様を通すに値する物を貴様が用意できるなら通してやらんこともない。それもまた認められている。だが、この量ではせいぜい百番目だな」


(仕方ない…………自分でも、どうかしているとは思っている。だが、あの娘はどうしても助けなければならない)


 直感。本能。イェルドを突き動かすのは、それだけだった。彼は背負っていた棒状のものを外して、覆っていた布を解いた。


「貴様、何のつもりだ。そんなことをして許されるとでも――」

「違う。これを見ろ」


 イェルドは取り出した剣の柄のところを示した。そこには、竜を象った紋様が控えめに刻まれていた。


「……これは。なぜ貴様のようなものがこれを」

「…………大方偽物だろう」


 二人は身を寄せてこそこそと議論を始めた。あまりにも長いこと話しているので、イェルドはしびれを切らして小さく怒鳴った。ついでに加減しつつ魔力を解き放って威嚇する。


「お前たちのような下っ端にこれの真偽を確かめることなどできまい。早く上の者を呼んでこい。後ろが詰まっているだろう」

「……貴様、なんだその態度は!」

「おい、やめておけ。こいつが本当に使節なら無下にするわけにはいかない。少し待っていろ。すぐに戻る」


 そう言って右の門番は城内へと走っていった。少しして彼は戻って来た。より上位の者を連れてきたようだ。

 全身に黒鉄色の鎧を着ていて、その上仮面を被っているので彼の様子はほとんど分からない。


「どうも。私は近衛騎士のキエリフです。よろしければ、少しそれを貸していただきたい」

「……ああ」


 イェルドは相手の実力が測れないことが気がかりだった。


(あの仮面……邪魔だな。あれが魔力の流れを阻んでいる)


 しかし、近衛騎士が他人の剣を奪うようなことはないだろう。イェルドは剣の柄を相手に向けて差し出した。


「協力に感謝する」


 キエリフはじっと柄の模様を観察した。そして、静かに口を開く。


「確かに、これはアルリーム王の剣。しかし、それだけではあなたがアルリームの使節であるという証明にはならない。第一、アルリームは少し前に滅び――」

「黙れ」


 イェルドは突然低い声で怒鳴った。キエリフの仮面の下は見えないが、気迫に圧されて彼は押し黙った。


「アルリームは滅びてなどいない。現に私はこうしてここにいる」


 キエリフはイェルドに近付いて、彼の耳もとで言った。


「……そうですか。しかし、それならあまり大きな声を出さないほうが良いのでは? この剣も、こんな場所で出すべきものではない」


 キエリフは一転し、大声でイェルドの背後に並ぶ群衆に喧伝するように言った。


「この不届き者め! 王の使節を騙って謁見しようとするなど、赦されることではない! 早々にここから立ち去れ!」


 彼は再びイェルドにだけ聞こえる声で囁く。


『今日の夜、鐘が三つ鳴る頃に“影無亭”で』


 イェルドは小さく応えると、大人しくその場を後にした。






「イェルド! どうだった?」


 ベケの家の扉を開けると同時に、ミラーナが尋ねる。奥からは金属を打つ音が響いていて、ホアナも店番に戻ったらしい。一方フィースはまだ机に座って、落ち着かない様子だ。


「おっさん! あの子は助かるの?」

「焦るな。それはまだわからん。ミラーナ、影無亭とは何か分かるか?」

「かげなしてい? 居酒屋かな、聞いたことないけど……」

「そうか。ならいい」


 確かに、居酒屋らしき名前ではある。

 しかし、戻って来たベケやホアナに聞いても知らないという。

 イェルドはひとまず夕食をごちそうになることになった。

 夕食はこの地域の伝統的な家庭料理である子山羊の鍋料理だった。そんな中、黙って食べていたベケが不意に口を開き、イェルドに尋ねた。


「あの娘の容態はどうだ?]


 ミラーナの一件以来、イェルドだけが寝室に入って看病を続けている。そのため少女の容態を詳しく知るものは彼しかいない。


「落ち着いている。しかし、これからどうなるかが問題だ」

「そうだな……」


 夜が更けて鐘が二つなる頃、食べ終わったイェルドは一人、寝室へと向かった。手には粥の入った椀を持っている。

 物音を立てないよう慎重にゆっくりと扉を開ける。すると、ぱっちりとした赤い目とイェルドの目が合った。イェルドは少し驚いて青い目を見開いていた。同時に、なんと声をかけるべきか考えていた。

 呪いのことは話すべきだろうか。自分の素性についてはどうか。今思えば、この少女と自分の関係はあまりにも浅い。そんな彼女のために、自分の使命すら脅かす必要はあったのだろうか。


「…………起きていたのか」


 家の中から差し込む黒油の灯が少女の目に揺れる。

 イェルドはなんだかひどく不安のような、それでいて安心するような、ちぐはぐな感情を抱いていた。それを振り払うかのように、彼は続ける。


「粥……食べるか?」


 以前から、この少女を前にするとどうにもうまく口が回らなくなってしまうような気がしていた。もともと話が上手いわけでもないのだが。

 イェルドは雑穀の粥が入った木の椀と小さな木の匙を少女に手渡した。ところが、イェルドは彼女の様子を見て顔を歪ませた。

 彼女は右手に匙を持ち、いつものように食べようとしたのだろう。しかし、粥を掬おうとしたその時、匙が彼女の手からこぼれ落ちてしまった。

 イェルドは見逃さなかった。少女の右手が小刻みに震えていたのを。

 イェルドはなるべく優しい声を出すようにしながら言った。


「まだ病み上がりなんだ。仕方ない。俺が食べさせてやろう。ほら、それを貸せ」


 思った通り、椀を持つ左手は震えていないが匙を掴む左手は痺れているかのようにぶるぶると震えている。

 イェルドは顔に出さないように気をつけなければならなかった。


「ほら。熱いから気をつけろ」


 イェルドは親鳥が雛鳥に餌をやるような気分だった。少女がしっかりと咀嚼し、全て飲み込んだことを確認すると、次に取り掛かる。


「急がなくていい。俺は暇だからな」


 やがて、少女が粥を全て平らげて再び微睡み始めた頃、鐘が三つ鳴った。

 イェルドはふと窓の外を見た。昨日から、月は出ないままだ。

 お読みくださりありがとうございます。

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