2.出会い
東の空が明るくなり始める頃、木の枝が爆ぜる音で目を覚ました。
彼は恐る恐る身を起こし、すぐに剣の在り処を確認した。
自分が横たわっている外套の上に、その剣は置かれていた。中身を確認すると、確かにあの穏やかながらも美しい輝きを放つ剣身が見て取れた。
しかし、やはり彼がもとより使用していた愛剣は見当たらなかった。谷底に落ちたときに落として流されてしまったのだろう。彼はあの兵士を道連れにして自分を救ってくれた愛剣に感謝した。
少し落胆しつつも、すぐに周囲に注意を向けた。足音が聞こえる。微かにだが、森を歩き慣れている狩人の足音が。
「あ、目が覚めたんですね」
振り向くと、狩ったばかりの鳥を引っ提げている狩人らしき人物がそこに立っていた。顔は頭巾で隠れ、陰ができていてよく見えない。透き通ったきれいな女性の声だった。
「体調はどうですか? 驚きましたよ。あんなところに人が倒れているなんて」
「……貴女が助けてくれたのか。感謝する」
彼はいまだに辺りを見回しつつ、彼女に尋ねる。
「……俺以外に誰か居なかったか?」
「あの渓谷に、ですか? 誰もいませんでしたよ」
彼は内心安堵した。近くに昨夜戦っていた相手の死体があれば面倒なことになる。
「仕事仲間が居たんだ……無事だといいが」
「……そうですか。丁度この川の上流の国で戦があったらしいですね。何か知っていますか?」
その言葉に、表情には出さずともイェルドは一気に警戒を強めた。
こんな場所で早朝から狩りをしていることから確かに狩人と思われたが、その立ち居振る舞いは武人のようにも見えた。
少なくとも、イェルドはそう感じた。
「ああ、知っている。最近はどこもその話で持ちきりだからな…………ああ、申し遅れたが、俺の名前はイェルドだ。よろしく頼む」
「どうも。私はナルフィーネといいます」
ナルフィーネという名の響きはどこか聞いたことがあるような気がしたが、イェルドは敢えて聞こうとはしなかった。
「失礼だが、顔に傷でも……?」
イェルドはひとまず話題を変えようと、彼女の頭巾について尋ねた。彼が言う通り、失礼な質問である。
しかし、しばしの沈黙の後、彼女は大して気にする様子もなく答えた。
「……ああ、そういうわけではないんですが。あまり好かれる顔ではないので」
彼女は少し頭巾のふちを寄せ、顔をしっかりと隠した。
遠回しな言い方だが、要は人間ではないということだとイェルドはすぐに悟った。
イェルドが横目で様子を窺っている間にも、ナルフィーネは慣れた様子で作業を進める。彼女は血抜きした野鳥の肉に串を突き立て、そのまま焚き火のそばで焼き始めた。
「何の仕事を? 見たところ、傭兵のようですが」
「……雪掻熊を追いかけていたんだが、足元をよく見ていなかった」
「それで、渓谷に落ちてあそこまで流された、と」
「まあ、そんなところだ」
傭兵は、金さえ受け取れば要人の護衛でも密偵でも獣の退治でも引き受ける。特に体を張った戦いを伴う仕事を引き受ける者のことを指す名だ。
「……おかしいですね」
「…………何か?」
「悪いとは思いましたが、手当のために腹部の傷を見させて貰いました。とても雪掻熊によるものとは思えませんでしたが」
剣の刺し傷が残っていたのだろう。そういえば、かなりきれいな包帯が腹に巻かれていた。
「……ああ、そういうことか。それは、さっき言った仕事仲間につけられた。傭兵同士の手柄の取り合いなどよくあることだ」
職業柄、嘘を吐き慣れているイェルドは淀みなく答えた。彼女は納得してくれたようで、「それは大変でしたね」と相槌を打つ。それでも、彼女はなんとなく腑に落ちないようで、黙って何か考えているらしかった。
やがて、串に刺した肉から香ばしい香りが漂ってきた。
「――――焼けましたよ、ほら」
そう言ってナルフィーネは串ごとイェルドに差し出す。
「いいのか?」
「怪我も病気も、食べなければ治りませんよ」
そんな彼女をイェルドは少し意外に思った。
実のところ、イェルドは彼女が何者なのか大方見当がついていた。森歩きに慣れていて、狩りがうまく、顔を見せたがらない。森の民エルフ――そういう結論に行き着くのは自然なことだろう。はぐれエルフということだろうか。
それに加え、エルフは容易には他種族と馴れ合うことをしない種族だと聞いていた。それ故に、ナルフィーネの行動は不可解だった。
「ありがとう」
一度受け取れば遠慮はしない。イェルドは躊躇うことなく焼いた肉にかぶりついた。ナルフィーネもそれに続く。アビーウという種類の野鳥だった。
季節は冬に差し掛かる頃である。この時期のアビーウは脂がのっていてとても美味い。それこそ、調味料など必要がないほどだ。
「美味いな」
「それは、そうでしょうね」
思わず漏れた感嘆の言葉に、ナルフィーネは少し得意げに答えた。弓矢で仕留めるのは難しい。
「しっかり頭を狙って撃ち抜いたんですから」
「それは凄いな。アビーウの頭部を精確に射るなど、並大抵の実力ではないな」
アビーウはもともと頭部が小さい上によく動き回る鳥なのだ。故に、頭を撃ち抜くなどそれこそエルフにしかできないような芸当だ。
「そう持ち上げないでください。私にはこれくらいしか能がないんです」
「十分だろう。その腕があれば山でも街でも食っていける」
イェルドは暗に、狩りだけではなく暗殺も向いているのではないかと揺さぶりをかけた。彼はどうにもこの女が単なる狩人であるようには思えなかったのだ。しかし、ナルフィーネは自分の素性についてあまり話したくないようだった。
「……確かに生活には困っていませんが」
彼女はそれ以上は何も言わず、黙って食事を続けた。
二人はささやかな朝餉を終えると、これからのことについて話し合うことにした。
「私はこのあと街に降りて、少し市場を見てから家に戻るつもりです。あなたはどうしますか?」
「街、というのは?」
「デリット・サヴィルの街です」
イェルドはその表情に僅かに警戒の色を滲ませた。ナルフィーネの目には頭巾に隠れて見えなかったが。
「サヴィル、か」
「あなたも来ますか? これからどうするにしても、いろいろと買い揃えるべきなのでは?」
イェルドはしばし考えた。確かに、デリットは規模が大きく、旅の道具を揃えるには十分だろう。
「よし、分かった。では俺もデリットに行こう。だが、先を急いでいる。向こうに着いたら、隊商の護衛か何かの仕事を紹介して欲しい」
「そういうことなら、いい仕事がすぐに見つかると思いますよ。あの街は中継貿易が盛んなので」
親切な人で良かった。イェルドはそう思いつつ、また自分の剣を確認しようとして視線を下げた。
その時に、見つけてしまった。彼女が腰に差している短剣の柄――そこに刻まれた、鷲と太陽の紋章に。
(サヴィル王国の……白紋か。王直属の兵士が、なぜこんなところに……)
「どうしました?」
「いや、何でも。まだ少し――頭の働きが戻っていないらしい」
イェルドは彼女が白紋騎士だと分かった今、すぐにでも距離を置きたかった。しかし、サヴィルにいる間は彼女を味方につけておいたほうが上手く立ち回れるだろう。
イェルドはひとまず周辺を歩き慣れているナルフィーネの先導でデリット・サヴィルに向かうことにした。それと同時に、素性が割れる前に姿を消すことを肝に銘じた。
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