18.呪い
「父さん、帰ったよ! おっさん、そこに荷物置いといて。早く、こっち」
金属を打つ音が止まり、奥からどすどすという足音が聞こえてくる。
「誰だ、あんた」
扉を開けて顔を出した背の低い男は、一目見ただけで鍛治師と分かる風貌だった。無精髭が伸び放題で、まさにドワーフの職人といった出で立ちだ。
「イェルドだ。邪魔をしている」
「そいつはなんだ」
彼は背伸びしてイェルドの腕の中のものを見ようとする。少女をみとめると、彼は顔を顰めた。
「そいつぁ、奴隷か。奴隷を買うようなクズを俺の家に入れるわけにはいかない。出ていけ」
「おっさん、早くしないと! 父さん、今はそんなことを言ってる場合じゃないんだ。手当てが終わってからにしてくれよ。その子、病気なんだ。ほら、早く!」
言われるがままにイェルドは鍛冶師の家の奥へと向かう。
「この寝台使っていいよ! ひとまず、とにかく身体を休めないと」
少年は忙しなく動き回って少女の看病をしてくれた。イェルドもそれについて回った。言われた通りにするしかなかった。
しかし、すぐに寝台の横について様子を見ていた少年の様子がおかしくなり始めた。
顔は青ざめ、額に脂汗が滲んでいる。
「おい、坊主。大丈夫か」
「おっさん……その子に何か食べ物を……」
少年は頭を押さえて蹲っている。イェルドは後悔した。すっかり失念していたのだ。
「すまない。もっと早く言うべきだった。まずそいつから離れてくれ」
二人は少女一人を残して部屋を出た。すると、少年の顔色は幾分かましになったようだ。
「今までは……そんなに大したことはないと思っていたんだが」
「あの子、なにかあるのか?」
「恐らく、魔物憑き――もしくは呪われているかのどちらかだ」
「……そっか」
「今回はただの風邪ではないかもしれない」
魔物が憑いたり、呪われたりすれば当然身体に負担がかかる。それで苦しんでいるのかもしれない。
「じゃあさ、とりあえず俺の言う通りにやってくれよ。俺はミラーナさん――治癒師を呼んでくるよ。まずは――」
イェルドは少年に言われた通り、少女に水を飲ませてやった。次に、重湯を作って飲ませた。
その頃には熱もいくらか下がって、少女は小さな寝息を立て始めた。ちょうどその時、少年が戻ってきた。
「おっさん、戻ったよ」
イェルドは少女の寝ている部屋を出る。少年は二人の女性を連れていた。一人は大人、もう一人は子どもに見える。
「紹介するよ。俺の母さんと、治癒師のミラーナさん」
「私がミラーナだよ!」
背の低く小柄な女性が言った。それと、と彼女は続ける。
「私は小人族なんだ」
小人族は珍しい。基本的に弱小な存在なので、巨人族ほど表には出ずに彼ら自身の村で集団生活を営んでいることが多く、村自体も秘伝の魔術によって隠されている。
「私がそこのフィースの母で、そこの仏頂面ドワーフ––ベケの夫のホアナです。いつもは表通りの店で夫が作った武具や金物を売っています」
フィースという名を聞いてイェルドは少し笑みを漏らした。思いがけず馴染みのある名だったからだ。このあたりに多い名で、珍しいわけでもないのだが。
「……私はイェルドです。旅をしながら……私自身の作品を売っております」
「あの子は?」
あまり多くを話すつもりはなかった。しかし、好意で助けてくれようという人々に嘘をつくわけにもいかない。イェルドはこれまでの経緯を多少省きながら伝えることにした。
「……一つ前に立ち寄った街であの奴隷を見つけました。あんなに幼いし痩せているのに、鉱山奴隷にされるらしかった。だから、見過ごせなかった」
イェルドはいかにもやつれた老人が孫のことを話すように語った。
哀れに思ったというのは、嘘ではない。だが、普段の彼なら見て見ぬふりをするだろう。しかし、あの少女だけはなぜか、どうしても見捨てられなかった。
「へえ。あなた、見かけによらず優しいんだね」
ミラーナというらしい小人族がイェルドの顔を下から覗き込みながら言った。
「あなたが、あの子を診てくれるのですか」
「お金さえくれれば――と言いたいところだけど、あなたがそんなに持っているとは思えないし……」
さっきから遠慮のない物言いをするミラーナに、イェルドは思わず青筋を立てそうになった。しかし、金が無いのは事実。あの少女の服を買ったり、旅の装備を整えたりしていたからだ。
もとよりイェルドは逃げてきた身である。金などあろうはずもない。
「お願いします。どうか、あの娘を。彼女は昔何か辛いことがあったのでしょう。口をきけないのです。だから私はあの子の名前も知らない––」
「気持ち悪ぃな! やめろよ、それ」
ばたんと音がして奥から先程の鍛治師が出てきた。
なるほど、やはり素人は素人。人を見る目のある者には通用しないらしい。
「…………分かった。なかなか上手いと思ったんだがな」
「はあ? 上手い? 俺ぁ、気持ち悪くて吐き気がしたぜ」
イェルドは先ほどとは打って変わって背筋を伸ばし、口調もしっかりとしたものになって、もう一度ミラーナの方に向き直った。
「騙すようなことをして申し訳ない。改めて、あの娘を診てもらいたいんだが、情けないことに金がない。なにかできることがあればやろう」
イェルドはもう一度皆の面々を見回し、考える。
フィース。彼はきっと、本心から、純粋に、あの娘を心配してくれた。
鍛冶師のベケも愛想は悪いが一本筋の通った誇り高きドワーフらしい人物であるようだ。
ミラーナとホアナにはあったばかりだからすぐに信用するのは難しいが、警戒するほどでもないだろう。
「俺はこれから職人として旅をするつもりだが、元は傭兵だ。身を隠さなければならない事情があるんだ。だが、ミラーナ。あなたが要求するなら傭兵としての仕事もやろう」
ミラーナは少し面食らっていたようだが、やがて言った。
「まずは患者さんを診てみないとわからないね。薬や治療が必要ならそれに応じて代金を要求するから」
ミラーナは家の入口に集まった人々の足元をするすると抜けて寝室へ向かう。イェルドは慌ててそれを止めた。
「ミラーナ、気を付けてくれ。その娘は呪いか、魔物の憑依を受けているかもしれない」
彼女はその言葉を聞くと一気に顔を強張らせた。
「……分かった」
恐る恐る扉を開け、寝息を立てる少女のもとに近づく。彼女は少女の顔をまじまじと見つめ、腕をとって何かを観察しているようだった。後ろで固唾を飲んで見守る四人は彼女が何をしているのかまったくわからなかった。
彼女は突然、何かに気づいたようにさあっと顔色を変えた。振り向いて叫ぶ。
「誰かお湯と桶を持ってきて!」
ホアナがどこかへ走っていき、程なくして湯を張った木の桶を抱えて戻ってくる。ミラーナは腰につけた鞄から二本の瓶を取り出すと、その中身を数滴、湯に垂らした。次に彼女は持っていた手ぬぐいに薬湯を沁み込ませてよく絞った。その手ぬぐいで少女の右の二の腕をこする。
「……なんだ、これは」
ベケは驚愕の色を露わにしてつぶやく。少女の腕に徐々に浮かび上がってきたのは、植物の蔓のような怪しい模様だった。
「間違いない。これは……呪いだね。しかも、かなり、強い。うっ……ごめん。もう限界みたい」
「ミラーナ、大丈夫か。早く出たほうがいい」
「うん。すぐ出る。ちょっと分かったことを話そうか」
ミラーナは今にも倒れそうな足取りで辛うじて部屋から出た。五人は居間に座ってひとまず彼女の話を聞くことにした。全員が座ると、ミラーナは重い口を開く。
「––まず、私にあの子を直すことはできない。ごめんなさい」
「どうして? ミラーナさんにも治せないほどなの?」
「うん……悔しいけど、呪いが強すぎるし……それに、だいぶ進んでるんだ。何の呪いかは分からないけど、あの子はかなり危険な状態だと思う。早く解呪師を探すか、この国の王に診てもらったほうがいい」
黙って聞いていたイェルドがおもむろに口を開く。
「あの模様は一度見たことがある。確かに強い呪いを刻む時に用いられるものだ。だが、あれは生き物に刻むようなものではなかったはずだ」
「うん、そうだよ。だから正直不思議なんだ。なんであの子は生きていられるのか……並大抵の生命力じゃあ、あの呪いを何日も耐えることはできないはずなんだ」
「俺も見たことがある」
そう呟いたのはベケだ。みんなが一斉に彼のほうを見ると、ためらいがちに話し始める。
「俺が見たのは呪われた剣だ。いわゆる、呪剣というものだ。紋様を使う呪いは木の根のように広がって、やがて剣を使い物にならなくしてしまう。呪剣は期限付きの強力な武器というわけだ。最初は剣の先端に小さく紋様を刻むのだ。剣は刃が命だから、刃が全て侵されてしまえばそれで終わりだ」
「じゃあ、あの子も––」
フィースは不安げな顔で母の方を見た。ホアナは困ったような顔で微笑む。
「まだ分からないよ」
つとめて明るい声でそう言うのはミラーナだ。
「まずは、あの子の身体に塗られている染料を全部ふき取って、呪いがどれくらい進んでいるか確認しないと」
「その通りだ。呪いの根が魂に達しなければまだ助かるのだからな」
イェルドはそれを聞くと、ガタンと音を立てて席を立った。そして寝室へと歩く。
「さっきの布で身体を拭けばいいのだろう? 俺は幸い、呪いの影響を受けにくい体質らしい。あとは俺がなんとかする。皆の助けに感謝する」
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