16.雪を凌ぐ
避けた、と思った。
しかし、矢はイェルドの予想に反して曲がり、身を捩った彼の脇腹に突き刺さる。
突如、痺れと激痛が襲う。今にも手綱を手放してしまいそうになったが、耐え続けた。これより弱かったが、以前も同じような毒を見に受けた記憶があった。それを身体が覚えていたのだろう。
「……っ」
苦しげな吐息が漏れる。しかし魔術の手は緩めない。追手に追いつかれれば全てがおしまいだ。
「おい、起きているなら……しっかり頭を、隠しておけ」
イェルドは後ろの少女にそう言うと、さらに速度を上げた。雪歩馬でなければこんな無理は効かないだろう。
あたりは生身の人間では耐えられないほどの極寒となる。イェルドの氷魔術は少女の命をも危険に晒すものだった。
(頼む、耐えてくれ)
しばらく走って、イェルドは魔術の手を緩めた。どっと虚脱感が押し寄せる。長い間集中していたからだろう。魔術の連続行使はとてつもない精神力を要する。
ふと、吹雪の中に暗い洞穴が見えた。近づいて見ると、そこはちょうど風避けになるくらいの深さがある。
イェルドは入口近くに馬を待たせると、奥へ進んで魔物の巣になっていないか確認した。
少女を背から下ろすと、彼女の唇は青くなり身体が震えている。
(早く温めなければ)
雪歩馬は洞穴の中を少し歩き回ると、一所に身を収めて座った。きっとそこが一番寒さが少ないのだろう。イェルドが近寄ると、彼は心良く受け入れてくれた。
馬の胴によりかかり、少女の小さな体を抱えて座る。火は使えない。薪がないから、火を大きくすることができない。黒油に火をつけても明かり程度にしかなるまい。
痛みを堪えながら矢を引き抜く。
(この矢はやはり彼女のものだろうか。厄介だな)
イェルドは矢を睨むように観察した。作りは至って普通のものだ。
(魔術を併用する弓矢使いか。魔術の効果を矢に付与するというのは聞いたことがある)
ひとしきり観察すると、矢を鞄の中にしまった。
一方、どうやら目を覚ましてはいるらしく、少女は時折もぞもぞと身動きしている。抱きかかえられているのは嫌かもしれないが、体温を下げないためには仕方ないことだ。
「腹は減ったか?」
少女は急に話しかけられてびくりと体を震わせた。躊躇いがちに小さく頷く。
イェルドが用意していたのは干し肉だけだ。
「食えるか?」
イェルドは彼の大きい手のひらほどの塊を渡す。小さな口に加えて両手で引っ張っているが、到底噛み切れそうにない。
イェルドは彼女の手から肉を取ると、顎を使って細かく千切った。欠片の一つを少女に渡すとおかしな顔をして噛んでいたが、なんとか飲み込むことができたようだ。イェルドはまた次のひと欠片を渡した。
それを四、五回繰り返していると、だんだん少女の瞼が落ちてきた。二人と一頭が固まっているので暖かくなってきて眠くなってしまったのだろう。
(本当に、幼い子どもだ)
イェルドはしばし考えを巡らせた。明日になれば追手もまた動き始めるだろう。狙いは間違いなく背に負った一振りの剣だ。
(我ながら、愚かな選択をしたものだ)
この少女を引き取ったのは、自分にとっても少女にとっても危険な選択だった。あのまま鉱山奴隷として使い潰されるか、死の瀬戸際の危険を犯してでも自由を目指すか。彼女にとってどちらが良かったのか、イェルドには分からない。
しかし、あどけない表情で眠る少女を見ていると、イェルドは幾分か気が落ち着いてきた。
そして、彼もまた浅い眠りへと落ちていくのだった。
◆
「団長! お疲れ様です」
「ルッカ。そちらもご苦労」
三人の兵士はディヴァスの街に戻っていた。今はルッカと呼ばれる淡い茶色の髪をした青年が騎士団長の部屋に訪ねてきたところだ。対する団長は巨躯の持ち主で、黒に近い茶の髪と褐色の肌典型的な。
「副団長はどこへ?」
「大方、弓の鍛錬でもしているのだろうよ」
「……そうですか。さすがですね、彼女は」
団長も感心といった様子で頷く。
しかし彼は一転して険しい顔になった。
「ルッカ。今日の追走について、どう思う」
「不自然な点を感じました。特にあの魔力の乱れです」
「ああ、神獣の機嫌が悪いだけならいいんだが。それに副団長も矢が効かなかったと言っていた。あの男、想像以上に厄介かもしれん」
「……しかし、あれは一介の兵士に過ぎないのでしょう? 王でもその近衛騎士でも護領士でもない。ならばそこまでの力を持つでしょうか」
「報告とは異なる可能性も十分ある。いずれにせよ、油断は禁物だ」
その時、足音もなく突然扉をたたく音が聞こえた。
「団長、入ってもよろしいでしょうか」
「ああ」
扉がゆっくりと開き、頭巾を深く被った女が入ってきた。一礼して頭を上げるが、頭巾を取ろうとはしない。
「今日の失態について改めて謝罪します。申し訳ありません」
「気にするな。矢の一本くらい外れても大したことでは――」
「外してはいません」
団長の言葉を遮ってしまったのでルッカはひやりとした。しかし、彼は穏やかな表情を崩さなかった。
「そうか。すまない。いや、私もあの男を過小評価していたのかもしれん。明日は様子見はしない。殺れると判断したら殺れ」
「生かしておかずともよいのですか。話してみる価値はあると思いますが」
「なぜそう思う」
副団長と呼ばれた女はしばし沈黙した。風もない室内なのにろうそくの火が少し揺れた。やがて、彼女はゆっくりと口を開く。
「先日、偶然あの男と話したのです。勿論、王のご命令が下る前です。聡明な男ですが、彼は恐らく我々の目的について知らないのでしょう」
「話せば分かってくれる、とでも言いたいのか?」
「可能性はあるかと」
「ふむ。突然攻撃されない限りはそれも視野に入れておこう」
団長はルッカの方を見て言う。
「他に何か――――何も無さそうだな。では、解散としよう。各々、武器の手入れはしっかりしておけ」
ルッカと副団長の二人は一礼して団長の部屋を出た。ルッカは張り切った様子で言う。
「副団長! 先鋒はお任せください! 副団長が安心して戦えるよう――」
「本来、私か団長のどちらか一人でも十分なのです。余計なことはしなくていい。今回団長はあなたの教育兼お目付け役としてわざわざいらっしゃった。出過ぎた真似は止しなさい」
「……はい。申し訳ありません」
お読みくださりありがとうございます。
17、18部分を明日投稿するかもしれません。
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