14.契約
シオは引き取りの旨を聞くと、そうかとだけ言って部屋に戻るようイェルドに促した。
「儂は少し取ってこなければならんものがある。少し待っていてくれ」
イェルドと少女が物置部屋の中黙ったままでいると、少ししてシオが入ってきた。
「まずは色々伝えることがある。よく聞いてくれ」
シオの話をまとめるとこうだ。
まず、奴隷は元の持ち主と購入者が契約書に署名することで持ち主が入れ替わる。
奴隷の首には隷印が焼きつけられている。隷印は呪術と魔術を用いて描かれており、持ち主が死んだり、持ち主が命じたりすれば奴隷を呪い殺す。
隷印は首の内側の太い血管まで達しており、命を犠牲にしなければ隷印を強引に取り除くことはできない。あるいは、高く付くが解呪師に依頼をすれば比較的安全に隷印を取り除くことができる。
「隷印を最初に考えたやつは頭の良い外道だったというわけだな」
シオは忌々しげに吐き捨てた。
それから、と彼は続ける。
隷印は強力で、基本的に奴隷は主の命令に逆らえない。なので、足枷や手枷をつけておく必要はない。奴隷は持ち主に危害を加えられないのだ。一方で持ち主以外には暴言を吐いたり、暴力を振るったりできる。故に持ち主はしっかり奴隷を躾けなければならない。
「こんなところだ。さあ、署名してくれ。俺のはもう書いてある」
イェルドは羽根の先をインクにつけ、自分の名前を綴った。シオは興味深いといった様子でイェルドの字を見る。
「見ない言葉だな」
「俺の故郷のものだ」
シオには彼の名前が書かれているのかなど分からない字だった。イェルドは小刀を取り出して左の親指を少し切ると、そのまま署名の上に赤く太い線をびっと引いた。
これが一般的な署名の仕方だ。イェルドはよく知らないが、契約書は何か特別な紙で作られているらしい。
「よし、契約成立だ」
血の赤がみるみるうちに薄れ、契約書は一瞬ぼうっと光るとさらさらと灰になって消えた。この紙は契約が完了すると消えるように作られているのだ。
「……今、紙が青く光らなかったか?」
「そうか? 俺には分からなかった」
「いやなに、普通は白く光るものだと思っていたからな。インクのせいかもしれん」
イェルドは少女をちらりと見るが、特段変わった様子もない。持ち主が変わったところで奴隷の様子に変化はないらしい。
「ともあれ、これでこいつはお前さんのもんだ」
「ああ。ありがとう」
◆
一緒に来ないかと言われて嬉しかった。この人は何度も自分を救ってくれた。守ってくれた。
今まで暗い闇の中にいたのに、明るい光が差し込んできたようだった。
自分はどうやら買われたようだ、と少女は悟った。
「改めて、俺はイェルドだ。明日、早朝にこの街を出るから準備しておけ」
自分を買った男――イェルドというらしい――はそう言うが、特に準備をすることもない。
彼が部屋を出ていくと、少女はぼーっと窓の外を眺めながら、これからのことに思いを馳せた。彼は自分を解放する、と言っていた。けれど、少女にはそれが良いことなのか悪いことなのかも分からない。声が出ないから、聞くこともできない。
しばらくしてまた部屋の扉が開いた。
「ほら」
男が入ってきたかと思うと、例の外套を投げてよこした。
「繕っておいた。また解れたら言え」
外套は大きく切り取られ、その端のところが内側に折って縫われていた。
「これなら着られるだろう」
少女はおずおずと袖に手を通した。肩幅が広すぎて少々不格好だが、着られないことはない。
しかし、立ってみるとまだ丈が長く、裾をずるずると引きずってしまう。
「…………もう少し切ったほうがいいか。貸せ」
イェルドが手を伸ばすと、彼女はぎこちない動作で首を横に振った。
目を瞑ってそのまま外套を差し出す。イェルドはしばし考えてから尋ねた。
「"返す"、と言いたいのか?」
今度は首を縦に振る。この外套への執着はもうなくなったのかもしれない。ひとまずイェルドは頷き、跪いて外套を受け取った。
「ありがとう」
イェルドは扉を開けて外に出ようとして、思い出したように立ち止まった。
鞄を開け、ごそごそと何かを取り出す。
出てきたのは小さな子供用の服一式だった。かなり丈夫そうな旅衣だ。
「これに着替えておけ」
すると、少女は困ったような顔をした。イェルドはどうかしたのかと彼女をもう一度見て気付いた。
足枷が邪魔になって服を着ることができないのだ。
イェルドは彼女のもとに跪いて足枷を調べてみた。金属製で、重く頑丈そうだ。
「ふむ……」
イェルドは両足の枷を繋ぐ鎖の両端をしっかり握ると、力を込めて引っ張った。ばきんと音がして鎖が二つに分かれる。
「……どうやら劣化していたらしい」
少女は驚いて目を丸くするが、イェルドはさっさと背を向けて部屋を出ていってしまった。
ひとまず旅衣に着替える。何をするでもなくまたぼーっとしていると、屋敷の使用人らしき者が昼食を持ってきた。少女を見ると顔をしかめ、床に食事を置くとさっさと出ていってしまった。
夕食の時間になると、今度はシオと呼ばれていた男がやってきて夕食を置いていった。自分も辛そうにしているのに、使用人の態度について謝っていた。
けれど、そんなことは彼女にとってはどうでも良かった。
どうしてか分からないし怖いけれど、もう一度早くあのイェルドという人に会ってみたかった。
お読みくださりありがとうございます。
今週は本当に忙しく思うように投稿できませんでした。すみません。努力はします。
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