13.決心
イェルドは小さな体を抱えてあちこち歩き回った。焼け残った壁の上に木の板を渡して一夜の宿とする家が多くあった。
「場所を貸して貰えないだろうか」
「すまんがここはもう埋まっちまってる。他を当たってくれ」
断られたのはこれで四軒目であった。イェルドに火の魔術が使えれば屋根がなくとも一夜を過ごすことはできたかもしれない。しかし、彼にそこまでの能力は無かった。
「仕方ない。あれを頼る他ないか……」
イェルドは街で一番大きな屋敷に向かって歩いた。通りを歩いていくと、その屋敷が見えてくる。街の中心からは少し外れた場所にあるそこには大勢の人が集まっていた。
背の低い男が忙しなく動き回りながら大声で人の流れを誘導している。
「イェルド……その娘は――」
屋敷の前に立って人々を中に案内しているのはシオだった。
「シオ、こんなことを頼むのは恥知らずだと分かっている。だが――」
イェルドが言い終える前に、シオはつかつかと歩み寄って少女の顔を覗き込んだ。
シオは少し顔を顰めつつ、恐る恐る手を伸ばして少女の額に触れる。そこでシオも彼女の状態の異常さに気付いた。
「おい、死にかけてるじゃないか! 早く、こっちだ!」
「あ、ああ」
いつになく焦るシオに連れられ、屋敷の奥へと進む。案内されたのは屋敷の角にある小さな物置部屋だった。
扉を開けると少し埃っぽい。シオは窓を大きく開いて空気を取り入れた。外はもう真っ暗だった。
「すまないが、こんな場所しか空いていなくてな。それに……」
「ああ、分かっている。いくつか他を当たったんだが、あからさまに不快そうな顔をする者もいた」
シオは小さな蝋燭に火を灯し、立てて置かれていた木の寝台を倒してばたばたと埃を払う。イェルドは端が焦げた外套で少女の口元を覆った。
シオは重苦しい声で言った。
「…………そいつぁ多分、魔物憑きだな」
「やはりそうか。しかしなぜ俺が気づかなかったのだろうか」
「それはわからん。確かに、お前さんほどの魔術使いが魔物憑きに気付かないのは妙だな。言うならばお前さんはこういう類の邪気に耐性があるのかもしれん」
シオはさっさと部屋を出て、イェルドと彼が抱える少女を部屋に押し込んだ。
「こんな時だ、あまり世話はしてやれない。食事は炊事場で作ってるから取りに来てくれ。その奴隷のことは……まあ、後々話し合うとしよう。今は早く手当をしてやれ。このままだと凍えて死んでしまう」
「ああ、ありがとう。それと、忠告を無視してすまなかった」
「いい、いい。気にするな。儂らが気にするのは金のことだけよ」
イェルドはふっと頬を緩めた。商人は金の亡者だとでも言うかのようだが、この屋敷に詰め寄せる人々を見ればそうでないことは一目瞭然だった。
シオは振り返ることなく再び屋敷の門の方へと歩いていった。
「――急がなければ」
寝台に少女を寝かせ、彼女が握るぼろを引き剥がそうとするが、あまりにも強く握りしめているので無理に奪い取るのは気が引けた。仕方なく乾いた手ぬぐいで濡れた体を拭いてやり、薄い毛布をかける。
次に、イェルドは炊事場へと走った。口早に事情を説明すると、炊事場で働く使用人たちは心良く湯を分け与えてくれた。
物置部屋へ戻ると、少女は静かにまだ寝ていた。寝息すら聞こえないほど静かだった。イェルドが黒油に火をつけると部屋が薄ぼんやりと柔らかな明かりに満ちた。
懐から小さな瓶を取り出し、中身を木の匙で掬って木の椀の中のお湯に垂らしていく。火の光を受けて金色に光る液体は、ついこの間デリットで購入した蜂蜜だ。こんなに早く使う時が来るとは思わなかったが、どちらにせよ目的は同じだ。
実は、椀の中にはすでに薬草の根をすり潰したものが入っていた。事情を説明すると、体が温まるものを、と使用人の一人が用意してくれたのだ。
少し刺激の強い味がするらしいので、それを少しでも消せないかと思って蜂蜜を加えたのだ。薬草の匂いや味を蜂蜜やその他の香草の抽出液で消すというのはよくある手法だ。
少女の体を軽く揺すって起こそうと試みる。
「おい、少し体を起こせ」
彼女は目をぼんやりと開けている。瞼の下では金色の目がイェルドの方を向いているように見えた。イェルドはしゃがんで背を低くし、少女の背を支えて上体を起こした。
「薬湯だ。辛いかもしれないが、飲んだほうがいい」
背を支えていると、自分で頭を起こしてくれた。おぼろげながら意識はあるらしい。
「ゆっくりでいい」
こぼしてしまわないよう少しずつ椀を傾けると、少女の喉が小さく動いて薬湯を飲み込んでいるのが分かる。
半分くらい飲んだところでまた瞼が落ちてきたので、寝かせてやることにした。
イェルドはそこでやっとひと息つくことができたのだった。
翌朝、目が覚めるとイェルドは寝台の横の小さな椅子の上に座ったままだった。寝台でよく寝ている少女の体が冷えないようにと服を一枚脱いで掛けてやったので、彼は今や下着のような薄い麻の服一枚という格好だった。
もとより寒さには強いたちなのでこれでも辛くはないのだが、肌の色や目の色を隠せないのはよくない。
「何かないか……」
街で燃え残ったものを売る露店があれば見てみようと思い扉に近づくと、ちょうど向こう側から扉を叩く音がした。
「イェルド、居るか……うわっ!」
扉を開けると、シオは大げさに仰け反ってみせた。
「急に開けないでくれ。驚いたぞ」
「すまない」
シオは信じられないといった様子でイェルドを見る。
「寒くないのか?」
「このぐらいは慣れている」
「……さすが北国の出だな。しかし、そのままというわけにもいかんだろう。何か探してこよう。なに、この家には要らんものが溢れかえってるんだ。傭兵にぴったりな服が見つかるだろうさ」
顔を晒したまま外に出るわけにもいかず、イェルドはまた椅子に腰掛けて待った。右手の親指と人差し指で撫でる程長くもない髭を撫でる。
ふと、小さな寝息を立てながら寝る少女の方を見た。昨日は疲れ切って今にも死んでしまいそうに見えたが、今は顔の血色もよく、ある程度は回復してくれたようだ。
「俺は……どうして、こんなにも」
この娘のことが気に掛かるのだろうか。イェルドがただの奴隷に見向きをすることなど一度もなかった。というかそもそも、関わり合いになることがなかったのだ。
細い体に似合わない重苦しい足枷はそのままだが、手を縛っていた縄は昨日見たときには既に解けていた。そしてその手首には痛々しい痣が残っている。
「どうしたものか…………」
このままここに置いていくことができればどんなに楽だろうか。しかし、イェルドの心は真逆のことを訴えているような気がする。
「イェルド、これはどうだ? なかなか丈夫だと思うが」
扉が開き、一枚の外套を引き摺りながらシオが入ってきた。焦げ茶に近い動物の毛皮が使われているようだ。
「ほう、なかなか似合っているぞ」
丈はぴったりだった。黒い髪と巨躯も相まってより一層荒々しい、獣を想起させる風貌になっている。
「そうか。貰っていいのか?」
「余りモンだ、気にするな」
シオは人の好い笑みを浮かべる。なるほど、彼の商人としての成功はこのためもあるのだろう。
「ではありがたく頂戴するとしよう」
イェルドは小さな腰鞄を帯び、例の預かり物の剣をしっかり背に括りつけた。
そして、そこで再びシオに向き直る。
「シオ」
「なんだ」
イェルドはシオの目を正面から見据えて言う。
「この奴隷を売ってくれ」
「ああ、構わんぞ」
イェルドは彼があまりにも軽く答えるので少し面食らってしまった。イェルドが黙っていると、シオが続けて言った。
「魔物憑きの奴隷を買うなぞ正気か、と思わなくもないが。何か特別な事情があるのはお前さんを見てりゃわかる」
「だが、こいつのことは人に頼まれたんだろう?」
「ディヴァスまで運べ、とは言われたがそれ以上は何も言われとらん。それに、もう運送代金はもらってるんだ」
「……なるほどな」
シオはまだすやすやと眠っている少女をちらりと見た。
「……正直なところ、こいつを金を払ってまで買うやつはいないだろう。肉付きが良くないし、容貌も特別良いとは言えない。おまけに魔物憑きときた。引き取って貰えるくらいならむしろ好都合なんだが――」
「タダというわけにはいかんだろう」
今度はイェルドに目を移す。
「そう言うと思った」
シオは少し考えるとすぐに言った。
「ここは一つ貸しということでどうだ」
「もう随分借りてしまっていると思うが……」
「いいや、今までのはあの神獣と亜竜の分だ」
イェルドはまだ食い下がる。
「しかし、それは護衛として当然の――」
「こういうときは黙って受け取ればいいんだ」
イェルドはふっと息を漏らして頬を緩めた。もう彼には頭が上がらない。
シオはまた眠る少女をちらりと見た。
「どうする。一応本人が目を覚ましてからにするか? 奴隷の売渡しとなると、ちと説明することがあってな」
「ああ、そうしよう。少し買い物をしてこようと思うんだが」
「そりゃあありがたいね。これからこの街にはたくさん金が要るだろうからな」
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新年度で多少楽になるかと思いましたが最近超絶忙しいのです。投稿遅れることもあると思いますが気長にお待ち下さい。