10.金の髪の少女
目が覚めたとき、少女は巨人の背にゆらゆらと揺られていた。
人肌のぬくもりが温かい。なんだか落ち着くような匂いのする布に包まれていて、さっきまでの悪夢が嘘のように思えた。
僅かにうめき声が漏れ、はっとして口を抑える。
「おお、目が覚めたみてえだなあ」
大きな目が少女の顔を捉えていた。
彼女は咄嗟に顔を伏せ、隠れようとするが身動きが取れない。
「おい、リド。そいつ、目を覚ましたのか」
下の方から低く平淡な声が聞こえてくる。気のせいか、少し聞き覚えがあるような声だった。
「おう――ああ、隠れちまった。様子が気になるか?」
「ああ。少しな」
大きな手がぬっと伸びてきて少女の身体を布ごと持ち上げる。
彼女はいよいよ怯えて頭を丸め、縮こまってしまった。
「おい。顔を見せろ」
「見せろ、ってお前なあ……」
少女は怯えて縮こまったまま動かなくなってしまった。さすがのイェルドも無理に彼女の手をどけようとはしない。
「すっかり怯えてしまっているようだ」
「そりゃあそうだろー……」
少女は恐る恐る手のひらの隙間から外を覗いてみた。彼女は見るんじゃなかったと後悔した。
目の前にはあまりにも恐ろしげな男が壁のように立ちはだかったこちらを見下していたのだ。
化け物のような黒いもじゃもじゃした髪を肩まで伸ばしていて、背は見上げるほどに高い。青い瞳が生い茂った海藻の間からこちらを覗いているようだった。
「おい、何か要るか? 食い物とか、水とか……」
「…………こりゃあ、駄目だ。完全に怯えちまってらあ。今何言っても無駄だろうよー」
少女はこの恐ろしい時間が終わるのを、じっと身を潜めて待つことに決めた。
この人たちは、なんの前触れもなく彼女をぶったり蹴ったりすることはなさそうだ。
「ふむ。もしかしたら言葉がわからないのかもしれない」
「少なくとも、巨人族じゃあないぜ。巨人族なら同族を見てこんなに怯えることなんかねえ」
イェルドはしばしリドの顔を見つめた。そして、まったくちぐはぐなことを言い出す。
「もしや、お前が恐ろしいのではないか。その巨体だ、幼い子どもが本能的に恐怖を感じるのだろう」
「はあー? それ言うならお前もだろお? その海藻みたいな髪に血に飢えた獣みたいな目つき――恐がられないほうがおかしいだろおー」
――結局、リドはまた少女を背中の中に詰め込むようにして納めた。イェルドはディヴァスまでの道のりを、どこか落ち着かない様子で歩くことになったのだった。
◆
「やっと見えましたね。あれがディヴァス鉄山です」
「久しぶりだな」
「ロワルスを西周りで越える時は必ずと言っていいほど通るんですけどね。補給と休憩のためです」
つまり、シオが引き受けた奴隷輸送は片手間のものとまでは行かずとも、余計な労力を要するわけではないらしい。
街に降りていくと、まず感じたのはその熱気だ。
標高の高いロワルスは冷涼な気候だ。しかし、それ以上に人々の活気が大気を満たしている。埃っぽいようなその空気は鉄山の採掘によるものなのだろうか。
「よし、みんな今日は一休みしてくれ。宿代は銀貨一枚分出そう」
「本当か! 太っ腹だなあ、旦那!」
「相変わらずだな、シオ」
宿代は傭兵が自費で出すのがほとんどだが、彼のような例外もいる。
「ふん。護衛に支障を来されても困るんでな。留まるのは三日間だ、それまでに各々、支度を整えておけよ」
傭兵と商人達はそれぞれ思い思いの方向へ散っていく。イェルドが他の人々と同じように宿を探そうと歩き出したとき、後ろから呼び止められた。
「おい、イェルド。話がある。今でいいか?」
「ああ、そうだったな」
イェルドはシオと連れ立ってディヴァスの商人組合の奥へと進んだ。鉄の山を擁する雑多な街の様相にはまるで似合わない貴賓のある調度は、イェルドにとってみれば居心地の悪いものでしかない。
二人とも立派な椅子に座ったところで、シオは本題に入った。
「まず、儂はあの一件でお主を咎めるつもりはない。護衛の仕事は商人と商品を守ることだ。結果、誰一人として怪我をしなかった」
イェルドはほんの少し頬を引きつらせたが、何も言わなかった。やり手の商人頭ならばこの程度の表情の変化でも手に取るように分かるのだろう。
「ならば、お主の判断は正しいということになる。しかし、他の傭兵達がお主の行動に対してどう考えたかは明らかだな」
「後悔はしていない」
「で、あろうな」
シオは腕を組み、しばし考え込んでいる様子だったが、しばらくしてまた言った。
「なあ、ここで降りても構わんぞ。報酬は道程の分だけ払おう。つまり丁度半分ってとこだな」
「ふむ……」
イェルドはしばし思案した。
「分かった。明日までには答えを出そう」
「よし、話はそれだけだ。他になにかあれば、何でも言ってくれ」
イェルドはまた少し沈黙して考え込んだ。
「――もう一度あの……奴隷の様子を見たいんだが、いいか」
「……構わないが。奴隷達はまだ馬車に乗せたままだ。組合裏手の搬入口に停めてあるから、そこに行けばいい」
「分かった」
イェルドはゆっくりと腰を持ち上げる。そしてまたゆっくりと扉の方へと歩く。
そこで、シオがイェルドを呼び止めた。
「――なあ、イェルドよ。お主に忠告しておきたいことがある」
「なんだ」
珍しいことにシオは二、三度口を開きかけて躊躇った。しかし、どうしても言わない訳にはいかないらしい。
重苦しい様子で口を開く。
「…………あの奴隷に随分入れ込んでいるようだがな、気をつけた方がいい」
「どういうことだ」
「リドもお前の耳に入らぬところで言っていたが、あれはどうも良くない感じがする。はっきりとは言えないが、とにかく何か……邪悪なものを感じるのだ。リドはきっと儂よりも色濃くそういうものを感じていた」
長い髪の下のイェルドの顔はみるみるうちに顰めっ面になった。イェルドは彼の言葉に苛立ちを感じずにはいられなかった。何しろ、自分は彼らが口々に言うようなことは何も感じなかったのだ。
「何を言うこと思えばそんなことか、馬鹿馬鹿しい」
一言言い放つと、大きな音を立てて彼は部屋をあとにした。足音にまで苛立ちを表しながら、イェルドは早歩きで組合の裏手へと向かった。
イェルドはすぐに、雇い主に馬鹿馬鹿しいとまで言ってしまったことを後悔し始めた。
どうも最近は調子がおかしいようだ。常日頃の自分ならばあんな軽率な行動はしなかっただろうし、今のようなことも落ち着いて対処していたはずだ。
常日頃の癖で剣の柄を握って心を落ち着けようとしたところで、剣を差していないことに気付いた。あまりにも荒い使い方をして剣身が酷く消耗してしまったので剣は返却したのだった。お陰で借りたときの倍の金額を払うことになった。
裏手の搬入口では何人かの若者たちが積み荷を運びこんだり下ろしたりしていた。そのうちの一人がイェルドに威勢のいい声で呼びかけた。
「旦那ぁ! 何か御用で? ここは搬入口ですぜ」
「シオの荷の様子を見に来た」
「ああ、シオの旦那のですかい。珍しいですよねえ、あの方が奴隷を運ぶなんて、今まではなかったのに。ささ、こちらへ」
彼は自分の仕事でもあるまいに快くイェルドを案内してくれた。
「どうぞ。危ないんで、窓から覗いてください。あんな大穴が空いてちゃ応急修理も大変でしたよ!」
亜竜の空けた穴は木の継ぎ接ぎで塞がれていた。イェルドはただ頷いて、はやる気持ちを抑えつつ窓から中を覗いた。
もちろんあの少女はそこにいた。イェルドは彼女を見て初めて、外套を彼女に貸したままだったことに気付いた。きっとリドの計らいだろう。
今は眠っているらしい。イェルドの外套に身を包んで穏やかに寝息を立てていた。他の奴隷たちも彼女の眠りを邪魔しようという気は無いらしかった。そもそも、ここの奴隷は足枷のせいでほとんど身動きが取れないのだ。加えて、後ろ手に縛られれば立ち上がることも困難だろう。
「――よかった」
彼は知らず知らずのうちにそんな呟きを漏らしていた。
彼は安心した様子で微笑むと、名残惜しく感じつつもその場を後にするのだった。
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記念すべき(?)10話目です。100目指してがんばります
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