5. 猫
うちは代々猫が好きな家系で。
私も当然猫が好きですし、なんというか、一家全員猫が好きなんですよね。だから実家には常に猫がいました。
私はいま集合住宅に住んでるんで飼えないんですけど、実家の両親は今も二匹の猫を飼ってるみたいです。この前まで一匹だったんですけど。私より先に結婚して家を建てた弟も猫を飼ってて。どっちもよくLINEで写真が送られてきます。
で、この猫ちゃん達なんですけど、全部保護猫なんですよね。飼えなくなった人から譲り受けたり、愛護団体が捕獲して病気などを治療した野良猫だったり。
それで…私が子供の頃は、保護猫って概念も無くて。だから捨てられていた猫とか、あるいは野良猫なんかをよく拾って飼っていたんです。もちろん今でいう多頭飼いにならないように気を付けつつ…と言ってもうちは家族が全員、野良猫や捨て猫を見ちゃうと情が移っちゃう性質なんで、多い時だと五匹ぐらいの猫が家にいましたけど。
まあ、ただ飼うだけじゃなくて、当時から猫好きのコミュニティみたいのはあって。それを通じて他の猫好きの親戚や友達、あとは地元の人なんかに猫を譲ったりしてたんで、なんとなく破綻せずうまくはいってましたけど。
それで…あれは私が小五ぐらいの時だったかな。夏休み中だったのは確かです。
夕方、父が仕事から帰ってきて、ただいま、って言った後に
「きたぞ~!」
って言って。この「きたぞ~」は猫を拾ってきたぞ、という意味なんですよね。うちの父、帰りに猫を拾ってきた時には必ずこう言ってて。
ちょうどその頃、子猫の時に拾った子をある程度育てたところで人に譲ったり、世話した猫ちゃんを病気で亡くしちゃったり、そういうことが続いてたせいで家に猫が一匹しかいなくて。いつもは二~三匹いるのが普通だったんで、ちょっと家が寂しい感じになっていたんですよね。そのせいか、私と弟は勿論、母親も玄関に駆けつけて。
わ~!かわいい~!とか、この子は今度こそうちの子になると良いねえ、なんて言いながらみんなで拾ってきた子を撫でまくったんです。
それで母親が作ったカレーをみんなで食べたあとに、みんなで新しくきた子をかまって。夏休みの宿題がたまらないように毎日コツコツやってたんですけど、その日は全部サボってその子を抱っこしたり、猫じゃらしで遊んであげたり、そういう事ばっかりしてましたね。あとよく覚えてるのが、なんでか分からないんですけど、すごく楽しかったことです。あとから思い返すとちょっとおかしいぐらいに。
それで明日になったら名前つけようか、なんて話しつつ、私と弟はそれぞれ自分の部屋に戻って…変なテンションになって疲れてたんですかねえ、倒れ込むような勢いで寝たんです。
そしたら、夢を見て。
夢の中で私は、家の外にいるんです。感覚としては…どこかから帰ってきた感じ。でも学校から帰ってきたわけじゃないな、というのは分かりました。
…夜なんですよ。しかも私の実家って結構人通りとか車の走行量が多い道に面してるんですけど、その道に誰もいなくて。ああ、今は夜遅いんだな、というのを感覚的に理解してました。ただ、起きてからその夢を思い返したときに気付いたんですけれど、家族がいないんです。私一人だけ。そんな夜遅くに、親もいない状態で外にいるなんて絶対におかしいんだけど、夢の中の私はそのことを何とも思ってなかったんですよね。何故か。
で、なんでぼーっとしてるんだろう、家に入らなきゃ、と思って玄関の戸を開けようとするんです。そこで、(あ、いけない、こんな時間だから鍵がかかってるかもしれない)と一瞬思うんですけど、そのまま戸が開いちゃうんです。鍵がかかってない。あれ~?と思いながら家の中に入ると、玄関も廊下も電気が消えてて、窓から差し込む街灯の灯りしか見えない感じで…ほとんど真っ暗なんです。
この期に及んでも、私は家族がいないことを不自然に思ってなくて。あれ、家の中に家族がいないな、どうしたんだろう、みたいな、普通だったら思うことすら…なんでしょうね、全く…思い付かないというか。
それで家の中に入って、誰もいない家を見て真っ先に思い浮かんだのが、猫ちゃんがいない、ということだったんです。家族がいないことより先にそれが思い浮かんで。なんでかは分からないんですけど。
すると、その考えが過ぎったタイミングでどこかから猫の鳴き声がしはじめるんです。まーぉ、まーぉ、って。あ、これは困ってる時の鳴き声だな、ってわかって。生まれて物心がついた時から猫がいる生活だったんで直感的に分かるんですけど、例えば高いところに上って降りられなくなったとか、そういう時の鳴き声のトーンでした。
これは大変だ、猫ちゃんを助けなきゃ、と思って急いで家の中に入るんですけど。でも鳴き声がどこからするのか全然わからないんですよ。確実に聴こえてるのに、それがどこから聴こえてるのかが、家の中を歩き回っても一向にわからない。
しかもおかしいのが、そんなに必死になって探し回ってるのに、夢の中の私は家の電気を一向に点けようとしないんですよ。暗い家の中を必死で探し回ってて、途中ふすまの境に躓いたり柱にぶつかったりするのに、電気を点けるという発想が全然出てこないんです。まあ…これは夢だからなのかもしれないけど…でも変だったんですよ、なんか…感覚的に。
で、二階にある弟の部屋を出たときに、鳴き声がどこからするか突然わかったんです。私の家の二階は私の部屋と弟の部屋の他に、廊下の突き当りにもう一つ物置みたいなところがあって。そっちのほうから鳴き声がする、と急にわかって。
夢の中の私は近くに来たからわかったんだ、と考えるんですけど、まあだったら二階に上がった時点で分かってたはずだよなあ、って起きてから思いましたね。
早く猫ちゃんを助けなきゃ、と思って、扉を開けてそこに入っていくわけです。すると…そこには本当は私が子供の頃に遊んでた三輪車とか、弟がたまに遊んでたミニ四駆のコースとか、そういう部屋に置いておくには少し大きいおもちゃとか、あとは冬に使う電気ストーブとかが入ってるはずなんですけど、何故か何も入ってなくて。でも夢の中の私はそれにも気付かなくて、とにかく猫ちゃんをどうにかしないと、ということで頭がいっぱいなわけです。
それで押し入れの中を探すんですけれど…、その空間には普通の押し入れと同じように、真ん中に仕切り…なんて言うんですか?あれ。…ああ、中段って言うんですね。それがあるんですけど、その上の段、天井の方から鳴き声がするんです。で、上を向いてそっちのほうを見ると、天井近くに小さな扉がある。人が入るような扉じゃなくて、なんて言えばいいのかな…。あー、そうだ、アパートとかの玄関の扉の上に、電気メーターを入れるところが付いてることがあるじゃないですか?ああいう感じの、なんか小さい器械とかが入るような感じの扉があったんです。
でも、その時は気付いてないんですけど、現実の物置にはそんな扉無いんですよね。
その扉を見て、直感的に、あ、この中だ、猫ちゃんを出してあげなきゃ、って思って、物置の…その、中板に足をかけて、どこに梁があるかってのは分かってたから、そこを踏んで天板が割れないようにして。それで扉に顔を近づけるんです。やっぱり声はその扉の向こうから聞こえてまして。よかったよかった、と思って扉についてる小さな取っ手に指をかけて。
その瞬間、急に脳裏に疑問がバーッと浮かんだんです。
まず、この空間って扉が二つあるわけじゃないですか。まず物置の扉。で、次にいま指をかけている小さな扉。どっちの扉も、こんなにきっちり閉まってるのはおかしいんですよ。誰かがここに猫ちゃんを入れて外から扉を閉めでもしない限り、こんなきっちり閉まらないはずなんです。物置の扉の方は誰かが半開きにしてたら猫も開けられるかもしれませんが、さすがに猫は扉を開けることができても閉めることは出来ないでしょう。小さい扉の方は…論外ですよね。
それで、まずこの空間にどうやって猫ちゃんは入ったんだろう、ということにも思い立って。だって私ですら中板に乗らないと届かない空間ですよ?その下はただの壁で、猫が足を引っ掛けて登れるようなところもない。
そしてもう一つ。
そもそも、いま響いているこの声は、猫の鳴き声じゃないかもしれない。
これに関しては、何の根拠もないんですけど…なんか直感的にそういう考えが過ぎりました。
そういうおかしいことに…本当に一秒か二秒ぐらいでぶわーっと気付いて、うわ、これはもしかしたらやばいかもしれない、って思ったんですけど…思ったけど、体の…筋肉の制御が間に合わないんですよ。だから見るのをやめた方がいいんじゃないか、と気付いた瞬間にはもう取っ手を引っ張っちゃってて。なんか…すごい嫌な音がして扉が開いちゃったんです。
その中は真っ暗だから本来何も見えないはずなのに、妙にはっきり見えました。
狭い空間に、人の手足…血の気が無くて真っ白な手足と、黒い髪の毛のようなものが、ぎっちり詰まってて…その中から、猫の鳴き真似のような声が、まーぉ、まーぉ、って。
その瞬間に飛び起きました。
まずもう…うわああああ、夢かー!夢でよかった~!ってなって。ははは。そこで気付くんですけど、汗びっしょりなんですよ。普段あまり寝汗かかないタイプなんで、これすごいヤバい夢見たんだなと思って。時計を見たら朝の十時ぐらいだったんで、うわこれラジオ体操行きそびれたな~とか思いながら、とりあえず朝ご飯を食べようってなって部屋を出たんです。
で、階段を下りている途中で、あれ?お母さんもお父さんも起こしてくれなかったんだ、ということに気付いて。夏休み中はラジオ体操に間に合うように、必ず母親か父親が私たち姉弟を部屋まで起こしに来るはずなんですよ。二人とも寝坊か、珍しいなあ…と思って。
それで洗面所で軽く口をゆすいで、リビングに行ったらテレビ見てる母親がいて。おはよ~、起こしそびれちゃってごめんね~、いや全然いいよ毎日寝坊して、馬鹿言ってんじゃないわよ、なんて話をして。
それで
「でもお母さんが寝坊なんておかしいじゃん、どーしたの?」
って訊いてみたら、
「それがねえ、変な、いやな夢見ちゃって」
って返ってくるわけですよ。
もうなんかこの時点で嫌な予感がして。
それで恐る恐るどんな夢?って訊いたら、その内容が…細部はちょっと違うんですけど、私がさっきまで見ていた夢とほとんど同じだったんです。夜中の誰もいない家で猫を探す。二階の物置の中に扉があって、そこに人のようなものが詰まってる。そういうメインの部分は全部一緒でした。
「…その夢、私も見た…」
「え?」
そこでリビングに父親が来るんですよ。今何時だ~?みたいなことを言いながら。お父さんお父さん、私たち変な夢を、って私が言いかけたところで父が
「いや~休みとはいえ寝すぎたな。怖い夢も見るしさ~」
って言い出して。私たち、もう…一瞬固まって。
「…もしかしてそれって、家の中で猫を探す夢?」
って私が言ったら、
「えっ!?なんでわかんの!?」
ってめちゃくちゃ驚いてて。
次の瞬間、
「すげー怖い夢見た!」
そう叫びながら弟がリビングに入ってきたんです。
十分後ぐらいには、リビングがもう…すごいどよーんとした感じになってて。家族全員が「夜中の暗い誰もいない家で猫を探す」夢を見てたんですよ。さっきも言ったように…例えば家の中をどういう順番で探したのか、猫の鳴き声だと思っていたものが猫の鳴き声じゃないことに気付いたかどうか、みたいな細かいところはちょっとづつ違うんですけど、大枠はほとんど同じで。
深夜の家。家の中には自分以外誰もいない。家族がいないことよりも先に猫のことが気にかかる。鳴き声が聞こえる。電気を付けずに家の中を探す。二階の物置から声がする。物置に小さな扉がある。その中から声がしているので開ける。そこに人のようなものが詰め込まれている。それを見た瞬間に目が覚めた。
こうした要素は全員共通していて。
それで…怖かったんですけど、これはもう一回物置見とかなきゃ、ってなって。家族全員で物置に行って、恐る恐る扉を開けて。でも当然夢で小さな扉があった場所には何もなかったし、物置の中も何も変なことにはなっていませんでした。
それを確認したらみんななんか急に緊張の糸が切れて、ヤな夢だったね~!とか、これオカルト雑誌とかに投稿したら載るんじゃない!?みたいな話をしてたんです。
そこで急に弟が気が付いて。
「あれ、昨日の猫は?」
…昨日父親が拾ってきた猫がいないんですよ。
一家総出で手分けして家の中を徹底的に探したんだけど、どこにもいない。さっきの夢のこともあったので二階の物置を重点的に探してみたりもしましたし、父親に至っては屋根裏まで探したんですけど、いなくて。何回か「あ、いた!」って思ったら、もう既に飼ってた猫ちゃんだったりして。
結局三十分ぐらい探したのかな。また家族全員でリビングに集合して。これは外に逃げたりしてたら大変だぞ、最悪の場合は「探してます」ってポスター張ったりしなきゃいけないかも、って話し合ってる最中のふとした瞬間に、みんなほぼ同時に気付いて。
家族全員、昨日うちに来た猫がどんな猫だったのか、全然思い出せなくなってたんです。
父親が抱きかかえて連れてきたことも覚えてる、私と弟と母の三人で撫でまわしたのも覚えてる、ご飯のあとにたくさん遊んだのも覚えてる。
だけど、その猫がどんな猫だったのか、一切思い出せないんです。品種も、姿…例えば毛並みとか柄、三毛だったのかキジトラだったのか、そういうところも、顔も、尻尾も、そうした外見上の特徴が全く思い出せない。映像を思い出そうとすると…なんて言うんですかね、猫のところだけが綺麗に切り抜かれたみたいになっている感覚というか、そういう感じで…。
個人的に怖かったのは成長した猫だったのか、それとも子猫だったのかすら思い出せなかったことですね。あれだけ一緒に遊んだのに、その猫の大きさまでわからなくなってるというのが…すごく異常な感じがして。
父親が泣きそうな顔になって、
「俺、なに拾ってきちゃったんだろう…」
って言ってたの、…多分一生忘れられないと思います。
でもまあ…これに懲りてもう猫を拾うのとかやめようか…みたいな感じにも一瞬なったんです。でも一カ月もすると喉元過ぎればなんとやらで、あんな目に遭ったけどこれはやめられないねえ、みたいな感じになって、みんな猫ちゃんを拾って来るようになりましたね。
家族全員お祓いとかにも行きませんでしたし。拾ってきた当事者の父はしばらくの間「お祓いとか行った方がいいのかな!?」って気にしてたんですけど、なんか…意味わかんないんですけど、近所の神社にお参りに行ったらそれで満足したらしくて、それ以上のことはしませんでしたね。結局、その後も私たち一家には何も起こりませんでした。