物語を始める前に
マベリエ男爵家令息のジャスティンが、義妹であるロザミーの行動に疑問を持ったのは、彼女が高熱で寝込んだ後、3日ぶりに目が覚めた後の事だった。
それ以前は人見知り気味で大人しく、何か有れば部屋で俯いて泣いて居る様な少女だったのだが、目覚めた直後に奇行が目立ち、しかし、数日後にはそんな行動も成りを潜めてはいるものの、明らかに以前とは様子が違っていたからだ。
当初は、以前の方が、たった4才で養女として貰われてきたが故の気塞ぎのようなもので、今の状態の方が“素”なのだろうかと思ったのだが、しかし、それにしても現状の方が違和感が大きかった。
「何か隠していると思うんだ」
「何か、ですか?」
主であるジャスティンの呟きに、側仕えのハミルトンが首を傾げる。
「うん、何と言うか、あの年齢の子供だと考えると、行動が不自然でね」
「……それはジャスティン様も同じでは?」
「それは分かるが、一旦棚上げで。何と言うか、大人が頑張って子供を演じてる様な不自然さがね」
「……やはり、ジャスティン様と同じかと」
あまりにも理路整然と語るシャスティン6才に対し、側仕えであり従者であるハミルトン12才は、そう口にした。
「……」
「……」
「話が進まないから、とりあえず聞け」
「分かりました」
そうして自分の考えをハミルトンに話すジャスティン。
と、ハミルトンは「分かりました」と言って一礼すると、部屋を出て行った。
******
それからジャスティンは、ロザミーの言動を見守っていたのだが、目覚めた直後の様な奇行はすっかり鳴りを潜め、お手本の様な令嬢然とした様子を保っていた。
だが、その事が逆にジャスティンの疑惑を深めて行ったのである。
そもそも、ロザミーは元々マベリエ“前”男爵が外で作った庶子であった。だが、彼女が【光魔法】の魔力を有して居る事が分かり、“現”男爵が半年ほど前に養女として迎え入れたと言う経緯がある。
【光魔法】は希少な魔法であり、また、救世の勇者パーティーに居た【聖女】が持っていたとされる属性であり、おそらく男爵は、彼女を次世代の【聖女】として祭り上げ、あわよくば【勇者】の末裔とされる王家との繋がりを作りたいのだろう。
それはともかくとして、元庶民であるロザミーが半年も経たずに令嬢然とした行いができると言うのは、いささか不自然であった。
「ま、後は調査待ちかな?」
そんな風に紅茶を飲みつつ本を読んでいたジャスティンに、部屋に入って来たハミルトンが、「これを」と言って、一冊の本を差し出す。
それを手に取ったジャスティンは、その本を開き、内容を確かめると眉根を寄せたのだった。
******
「お呼びでしょうか? お義兄さま」
ジャスティンの部屋に入ったロザミーは、そう言って頭を下げた。
ジャスティンは「ああ」と短く答えると、彼女をソファーへと導く。
お互いに向き合い、メイドの入れた紅茶で唇を湿らせたジャスティンは、早速、話を切り出した。
「悪いけど、“コレ”は読ませてもらったよ」
途端にロザミーが紅茶を吹きだす。
それは、ロザミーの部屋に(隠して)あった彼女の秘密の覚え書きだったからだ。
ゴホゴホと咳き込むロザミーを横目に、ジャスティンは、ソレを開き、パラパラとめくる。
「凄いな、ここには、この国の主だった王家、貴族令息令嬢の名前が書いてある」
「ギャーギャーギャーギャー!!」
ブンブンと手を振り回して覚え書きを取り返そうとするロザミーとそれをすいすいと避けるジャスティン。
「だが、これにはそれ以上に重要な事柄が書かれているな」
そう言ってロザミーの腕をジャスティンはパシッと掴んだ。
6才にして整った美貌を持つジャスティンの顔が近付き、ロザミーがフイッと顔を逸らす。
「ライカス家とマゼンダ家の婚約は、まだ、表に出ていない話の筈だ? 何故お前が知っている?」
少しトーンを落としたジャスティンの声に、ロザミーの肩がビクリと跳ねた。
彼女は半年前まで庶民だったのだ、たった半年で、こんな貴族同士の秘密に係わる様な情報を手に入れる伝手など作れるわけがない。
特に、高熱を出すまでに小さなお茶会ですら出た事など無いのである。その為、ジャスティンの脳裏には、ある可能性が浮かんでいた。
「お前、入れ代わりか?」
「は?」
ロザミーが別の国の間諜と入れ代わっている可能性である。例えば、身体自体はロザミーの物だったとしても、呪術で使役された悪霊を取り憑かせる事も不可能ではない。
殺気を隠すことなく溢れさせるジャスティンに、ロザミーの方は蒼白と言うより土気色と言って良い顔色でブンブンと首を振る。
だが、その程度でジャスティンが納得など出来るはずは無い。そうでなければ、こんな幼女が“暗号”まで使って、国内の機密を書く事など出来はしないからだ。
「しらばっくれるな!! 誰にも読めない文字まで使って、国内の貴族やその関係まで調べ、ましてや王子や上級貴族子息に取り入る【計画書】まで書いておいて!!」
そう言われ、ロザミーは、ジャスティンが何に気が付き、どんな誤解をしているのか気が付いた。
「ち、違います!! 違うんです!! 話します!! 全部話しますからぁ!!」
******
「……乙女ゲームねぇ」
メイドに入れて貰った紅茶で喉を潤しながら、ジャスティンはそう呟いた。ロザミーの方は絨毯の上に正座しながら、何故か真っ青になってガタガタ震えている。
「分かった、一応納得はしておこう」
「……有難うございます」
そう、礼を言いながら、ロザミーがジャスティンの顔色を窺う。
「……何?」
「あの、ジャスティンお義兄様は、転生者なのでしょうか?」
「違うけど、何故?」
そう思ったのかと視線で促す。
「……そのメモ、日本語で……」
「次期当主として、暗号解読も教えられている。複数の記号を使っていたようだが、読めなくは無かったよ?」
「チッ、チートかよ」
「何か?」
「何でもありません」
紅茶のカップを置いたジャスティンがロザミーの前にしゃがんで、視線を合わせる。
「納得は出来ないが、話は分かった。とりあえず、お前に国家乗っ取りの意思がないと言う事だけはな」
「……有難うございます」
そう言うと、ジャスティンはロザミーをソファーに座らせると、メイドに紅茶を淹れさせた。
「しかし……」
ロザミーの肩がビクリと震える。
「何だ? 『逆ハー』と言うのは……」
覚え書きにマルまで付けていた逆ハーレムの文字。それが、複数の男性を攻略する事だと言う事は、これまでの話で理解していたジャスティンだったが、しかし、ソレをしようと言う神経が理解できなかった。
眉根を寄せるジャスティンの様子に、ロザミーはしどろもどろに「それはロマンと言うか何と言うか」と、ぼそぼそと言い訳をする。
どうも、諦めきれない様子である。
そんなロザミーにジャスティンは溜息を吐きながら口を開いた。
「要は複数の男性にチヤホヤされたいと言う事だろう? だがね、それを行った時、どれ程、この国内が乱れるか理解してるのか?」
「うっ」
「第一、攻略とやらをした後はどうするんだ? 全員と結婚できる訳じゃないだろ? 侍らすのか? 選んだ男以外を“おあずけ”して、それを見せつけるのか? それとも“全員”の相手をするってのか?」
「え?」
そう言われ、ロザミーもジャスティンが何を言いたいのかを理解する。
自分1人に対し攻略対象7人。恋愛が進めば結婚し、そして当然その先は……
「……ない! ないないないないないないないないないです!!」
「ふーん、まぁそれなら、その方が良いけど」
こうなって、現実とゲームは違うのだとようやっと理解したロザミーだった。