57 最終章 ラスボス
レオル達は端の階段から最上階に上がり、城の中央へ向かった。
廊下は静かだが、わずかに人の気配がある。おそらく、どこか隅の部屋に避難している人がいるのだろう。
(しかし、今重要なのは王の間にいる何者かだ)
王の間には、王がいるのか、王を支配している魔物がいるのかわからない。
いずれにしても、全ての答えはそこにあるだろうとレオルは考えていた。
「セスク、俺が合図したら魔力増加を止めてくれ」
停止領域の効果範囲外から遠距離攻撃された場合、レオルは瞬時に停止領域を解除し、別の防御技を使う必要がある。
その際に魔力増加を受けていると、レオルの魔力はパンクしてしまう。
現状、セスクの魔力増加に耐えられる技は停止領域だけだ。
「キミは先読みで生き延びてきたタイプか。初めて撲と組んでいるのによく想定できている。わかったよ、任せてくれぇ」
セスクは緊張感のない口調だ。
(初戦闘で緊張されるよりは、ユルい方がマシだな)
素早い対応は望めないが、事前に伝えた最低限のことはこなしてくれるだろう。
例え王の間がどのような状況になっていても問題ない。
レオルは扉に耳を当てて中の音を聞いたが、静かだった。
敵は息をひそめている。おそらく少数だ。
ルリエ達がコクリと頷いたのを確認し、レオルは扉を開いた。
停止領域は室内の七割ほどを埋め尽くしていたが、王座にはギリギリ届いていない。
王座には王が座っている。その隣にいるのは大人の女性だ。
肌は人と変わらない肌色で、黒のドレスのようなものを纏っている。
よく見るとドレスではなく、無数の黒い羽根が生えているようだ。
背中には大きな翼がある。人間ではなさそうだが、肌の色からして魔物でもない。
女はレオル達を見ると、長い睫毛を伏せて両手を合わせた。
「助けてください……冒険者の皆様…………」
低く落ち着いた声音だったが、悲し気な響きを含んでいた。
レオルの頭の中に次々と疑問が湧きおこる。
この女は一体何者なのか。怪物ではなのか。怪物だとしたら、なぜ助けを求めているのか。
部屋の見えないところに他の敵が潜んでいるのか。
「一体どういうことですか……?」
ルリエが優しい口調で問いかけるが、女は悲し気な表情のまま何も答えない。
「肌の色からして、魔物じゃないわよね……。なぜ王と並んでいるの?」
「わけがわからねぇぜ。魔物はいねえのか?」
皆が口々に疑問を口にすると、女は顔を上げ、ニヤリと口端を歪めた。
「敵か」
レオルが盾を構えた瞬間、女は口を開いた。
「魔法を解除して、盾を置いてください」
女の声はルリエの声と同じだった。
声質が似ているとか、口調を模倣したなどという次元ではない。
完全に同じ声だ。女が口を動かしているところを見ていなければ、女の口から発せられた声だとは思わなかっただろう。
ルリエと異なる外見の女が、完全に同質の声を発するとは考えられない。
骨格や声帯、身長や体重など、様々な要素が声質に影響する。
どれほどそっくりに聞こえたとしても、別人の声なら違いは感じられるはずだ。
しかし、その声は普段から聞きなれたルリエの声そのものだった。
更に驚くべきことに、レオルは声を聞いた瞬間、反射的に停止領域を解除していた。
女の声をルリエの声と聴き間違えたわけではない。
女の言葉だと理解した上で、その言葉に従っていた。
(この女は敵だ。盾を置くのはまずい)
レオルは心の中でそう唱えながらも、盾を地面に置いた。
体が自然と動くことに抗えなかった。
「レオル様、今の声はわたしではありません! 盾を拾ってください!」
「どうなってやがる。ルリエの声と同じだったぜ!?」
「レオルがミスをするとは思えないわ……。きっと強制力のある魔法ね」
「えぇと、言われた通り魔力増加は止めておいたよ。なんだかマズい事態みたいだねぇ」
四人は混乱した様子で口々に言う。
女はニヤニヤと不気味な笑みを浮かべ、椅子から立ち上がった。
「私の魔法は強力でしょう? この魔法に抗うことができた者はいないわ。魔物ですらね……フフフフ」
女の声はルリエの声のままだ。
妖艶な表情と透き通った声のギャップに違和感がある。
「なるほど。声を模倣することにより、模倣した者の言葉と同じ影響を与えるのか」
「惜しいわ……。私の声を聞いたものは、私を声の者と同じように扱うのよ」
そう言うと、女はスタスタと近づいてきた。
鳥のような足で、三本の指に鋭い爪がついている。
女は手を伸ばせば届きそうな距離まで近づいてきた。
レオルは盾を拾って殴ろうと考えたが、動くことができない。
体が脳の命令を受け付けない。
「ね、わかったかしら? あなたは私をその子と同じように扱っているのよ。ルリエちゃんと言ったかしら。あなたにとって、私はルリエちゃんと同じ存在なのよ……フフフフフ」
女はレオルのすぐ側まで顔を近づけてきた。
挑発的な視線で嘗め回すように見た後、指先で頬に触れる。
レオルは振り払おうとしたが、両手が眠っているかのように動かない。
「なるほど、思考は操れないが、体の動きは操れるのか」
「正解。あなたは自由に考えることができるけれど、体は私の魔法に制限されている。ルリエちゃんに対してできないことは、私に対してもできないわ」
レオルがルリエに『魔法を解除して』と言われたら、レオルは迷わず解除する。
だから女に指示されたとき、レオルの体は素直に従った。
レオルはルリエを盾で殴ることはない。
だから、女を殴ろうと思っても殴ることはできなかった。
レオルはルリエに顔を接近させられても、顔に触れられても、拒絶しない。
だから、女に顔を接近させられても、顔に触れられても、振り払うことはできなかった。
(なるほど、ルールがわかってきたぞ)
レオルはこれまでの現象と女の発言から魔法の効果を紐解いた。
非常に強力な魔法だ。
さきほどルリエ本人が『盾を拾ってください』と言ったが、レオルは動くことができなかった。
つまり、女の魔法はルリエ本人の言動よりも優先されるということだ。
さらに、アッシュやチトセが女に攻撃しないことを考えると、この魔法にかかっているのはレオルだけでなく、声を聞いた者全員だ。
おそらく、唯一まともに動けるのはルリエ本人だが、ルリエに攻撃手段は無い。
「最初の『助けて』という言葉は、俺達に声を出させる為のフェイクか」
「あら、賢いわねぇ……さすがここまで辿り着いただけあるわ。優秀よ」
女は対象の声を知らなければ模倣できないのだろう。
そのため、女はレオル達が部屋に入ったとき『助けて』と言い、混乱したルリエ達に口を開かせた。
ルリエ達の声を聴いた時点で、女の魔法の発動条件が整ったのだ。
「すみません、レオル様……わたしが声を出したせいですっ……」
「ルリエのせいではない。この魔法は予測できないさ」
このような魔法を使う怪物は聞いたことが無い。
もしも他に存在していたら、世界中に広く知れ渡っていただろう。
それほど危険で強力な怪物だ。
「私が何の怪物だかわからないということかしら?」
「いや、お前の正体はわかっている。お前は『ハーピィ』の特殊個体だな」
ハーピィは鳥の体に人の女の顔を持つ怪物だ。
人の声を真似することで、森の中で人を惑わせる習性がある。
あくまでも人の声を真似するだけで、人の行動を制限することはできない。
女の能力は通常のハーピィより遥かに優れているが、最も近い怪物はハーピィだ。
「正解よ。本当に頭がキレるのね。ここで殺すには惜しいわ……フフフフ」
「お前ほど下級の怪物がラスボスとはな」
ハーピィは人を惑わせる怪鳥程度の存在であり、強い怪物ではない。
これほど強力な魔法を得て、王の間を支配しているなどと、誰が予想しただろう。
ハーピィは挑発的にレオルの周りをゆっくり歩く。
レオル達にとって、それはルリエが歩き回っているのと同じだ。
頭では敵だとわかっていても、攻撃できない。
「私の力は魔物にも有効なのよ。この能力でかつて存在していた魔物の王……『魔王』を倒して、私が新たな魔王になったの……フフフフ」
この能力を利用すれば、いくらでも味方を作ることができる。敵を不意打ちすることも容易だ。戦闘において最強の能力と言ってもいい。魔王を倒すことは不可能ではないだろう。
「魔王の地位を奪い、その能力で魔物を従えているのか」
「いいえ、違うわ。魔物の世界は実力至上主義なの。魔王を倒せば問答無用で次の魔王になれる。例え種族が違ってもね……フフフフ。人間と違って扱いやすいでしょう? 私は魔物とは友好関係にあるのよ」
ハーピィは魔物を操っているわけではなく、魔物の王に君臨している。
つまり、これまで街を襲っていた魔物の行動はハーピィが命令していたと考えられる。
ルリエがハーピィを睨み、口を開いた。
「あなたは何を望んでいるのですか……? 王をどうするつもりですか……?」
王は王座に座ったまま、険しい顔をしている。口を開くことも、立ち上がることもしない。ハーピィの魔法で動かないよう命令されているのだろう。声の主は先代の王辺りか。
「フフッ……盾使いと違って、魔法使いのあなたはお馬鹿なようね。私の望みは人類の撲滅に決まっているでしょう? 人間なんて邪魔な存在は殺して、魔物の世界を作る。そうして自分の強さを実感することが至高の喜びなのよ……ハハハハハハハ!」
ハーピィは眼を開き、不気味な表情で笑った。




