29 ケルベロス 前編
「ねぇ、レオル。あたしの故郷に行かない?」
早朝、ギルドにはレオルとチトセが先に集まっていた。他の二人が来るまでアイスティーを飲んで待っていたところ、チトセが唐突に言った。
レオルはグラスをテーブルに置き、無言で先を促す。
「あたしの故郷にね、伝説のクエストがあるの」
「伝説のクエスト?」
「うん、それをクリアしたら、あたしは呪術師としてレベルアップできるの。そしたらきっと、もっとレオルの役に立てるわ」
チトセによると、とある洞窟にケルベロスという怪物がいて、洞窟の奥にある何かを守っているらしい。
その何かを知ることができれば、チトセは呪術師としてレベルアップできるという。
「なかなか面白い話だな」
「でしょ?」
チトセは悪戯な笑みを浮かべた。
その後、合流したルリエとアッシュにも伝えたところ、挑戦してみようということで意見が一致し、四人はチトセの故郷『ホニ』へ向かった。
ホニは植物がよく育つ土地らしく、広大な敷地に様々な実や種を付けた草花が生えていた。
「皆様、ようこそいらっしゃいました。おかえりなさいチトセ」
「ただいま」
村の長老は百歳を超えていそうな老婆だったが、表情は若々しく、杖も突かずに立っている。
周りには珍しい客人を一目見ようと、老若男女十名ほどの村人も集まっていた。
三人は挨拶をしてそれぞれ名乗った。
「ねえ、婆。あたしたち試練の洞窟に行きたいの。いいでしょ?」
「たったの四人で……? それは無茶じゃよ」
長老はきょとんとした顔で答え、村人たちも愉快そうに笑った。
「最後に試練の洞窟をクリアしたのは儂の曽爺さんじゃ。それも三十人の兵を引き連れて命からがらのクリアじゃ。それ以来、村の内外から数え切れぬほどの腕自慢達が挑戦したが、クリアした者は二百年ほど出ておらん」
「それでもやりたいの。あたしたちのパーティはすごく強いんだから。ここにいるレオルは過去に挑戦した誰よりも強いわよ」
レオルは村人たちからの視線を感じた。
村人達はひそひそと話している。
「たった四人でケルベロスを倒すのは不可能だろう。間違いなく命を落とすぞ」
「チトセは幼い頃から才女だったが、才女故に実力を過信しているのだろう」
「ワシは実際に挑んだことがあるが、アレは化け物じゃ。逃げるので精いっぱいじゃった。チトセも見た瞬間に逃げて帰ってくるさ」
「彼らの装備は立派だが、金の力に物を言わせているだけだろう。武器に頼って強くなったつもりになっている冒険者はごまんと見た」
レオルは村人達の言葉にフッと笑みをこぼした。
レオルは初めから高価な装備を持っていたわけではない。元々は二線級冒険者と変わらない小盾を使っていたが、高難易度クエストをクリアしたことで高価な小盾を手に入れることができた。
村人の揶揄は、レオルにとって改めてレオル達の成長を実感する言葉となった。
「挑戦させてくれないか。俺が責任を持ってチトセを守り抜く。彼女には怪我一つさせないと誓おう」
チトセがキラキラした目で見上げるのをレオルは感じた。
長老は驚いた表情をしたが、ふむ……と品定めするようにレオルの目を見る。
「お主は独特の雰囲気があるな。そこまで言うのなら挑戦を許そう。ただし、言葉には責任を負ってもらう。チトセが怪我を負ったら、チトセはパーティから抜けさせるぞ。それでもよいか?」
「二言はないさ」
「レオル様はこれまでもわたしたちをお守りしてくださいました。チトセさんは安全ですよ。ご安心ください」
「レオルが取りこぼした攻撃は一つもねえぜ! オレはいつも間近で見てっからな! チトセのことは心配しなくて大丈夫だぜ!」
三人の言葉に長老はニヤリと笑った。
「そこまで言うならお主たちを信じよう」
村の裏山の奥にケルベロスの守る洞窟はあった。
真っ暗な道を進み、しばらくすると上から自然光が差している場所があった。
そこには巨大な影がある。
「あれがケルベロスか」
「見た目は犬みたいですね」
「想像より遥かにでけえな。下手すりゃドラゴンよりヤバい怪物なんじゃねえか?」
「あたしも初めて見たわ。一筋縄ではいかなそうね」
レオル達の遥か後方には、心配でついてきた老婆や村人たちがいた。皆、緊張の面持ちでレオル達を見守っている。
「問題ない。行こう」
レオルは光の中に入り、その後に三人が続いた。
全長十メートルを超える影が立ち上がる。
犬型の怪物で、一つの胴体に三つの頭がついている。全身の毛は漆黒で、目だけが白い。
レオル達の方を向きグルルル……と地響きのような声を鳴らした。
その迫力に気おされたのか、遥か後方にいる村人たちの何人かが悲鳴を上げた。
次の瞬間。
「グルルルルルァアアアアアッ!」
ケルベロスはレオル達に襲い掛かってきた。
すかさずレオルが盾で牙を防ぎ、アッシュが不意打ち気味にハンマーで殴る。
ケルベロスは後方へ吹っ飛び、スタリと着地した。
「身軽だな」
レオルは冷静に呟く。
後方にいた村人たちはざわめき始めた。
「受け止めたぞ……!? あのような小さい盾で、牙の芯を捉えたのか……!? 信じがたい技術だ……!」
「これまで大盾使いですら止めるのに苦労していたのに、彼は魔法すら使わずに止めた……。まさか、盾使いとしての技術だけでケルベロスと互角に渡り合えるのか……?」
「彼はひょっとしたら本物かもしれないぞ……。何しろ、チトセが連れてきた男だ……只者ではないだろう」
そんな村人たちの言葉に気にした様子も無く、ケルベロスは歴戦の戦士のように、間合いを図りながら歩き始めた。
レオル達の力を測るかのように、三つの顔がそれぞれレオル達四人を順に見る。
そして再び、四つ足で地面を蹴り、飛び掛かってきた。
ガキンッ……!
レオルはケルベロスに勝るスピードで進路に先回りし、盾でケルベロスの牙を受ける。
「グルァウ! グルァアアア! グルァウッッッッ!」
三つの顔から繰り出される無数の牙を、レオルは二つの小盾で受け続ける。
後方で怯えていた村人たちの表情は驚愕に変わった。
「あの猛攻を全て防いでいるだと……!? 一体彼は何者なんだ!? こんなサブガードは見たことがない! 常軌を逸しているぞ!」
「それに、ほとんどその場から動いてないわ……! 一体どうなってるの……!?」
「チトセの言っていたことは本当だったようだな。彼は間違いなく過去最強の挑戦者だ……」
「驚いた。まるでケルベロスと何千年も戦ってきたかのような動きじゃ。出会って数秒でここまでケルベロスに対応する者がおるとは……」
ケルベロスは三つの首が左右に並んでいるため、横に回り込んでも左右の首で攻撃してくる。
それを冷静に見抜いたレオルは、左右にはほとんど動かず、前後の足運びだけでケルベロスの攻撃に対応していた。




