幸せ難民
受験も終わり高校を卒業した後、憧れていた東大に合格することはなかったもののタケシは地方の国立大学に進むことになり、月に数万円分のバイトをしながらなら比較的ラクに生活できそうな安価な大学内国際学生寮への入寮試験を無事に通って、親元を離れて大学生活を始めることになった。
幼馴染の女の子がくれたお守りは、はずすきっかけが無いこともあって相変わらず鞄についているが、受験勉強もあってその子とは何かと時間が会わなくて半年以上会えないままでLINEの返信も次第に短くなり間隔も大きく開くようになってしまっていたところ、タケシが遠くの大学に決まったことでとうとう自然消滅してしまった。
まだ大学で親しい友人が出来ないままのタケシはある日、電車を待っているところを品の良いスーツ姿の40~50代くらいの知らない女の人に声をかけられ、「良ければ来てください」と案内状のような鳩居堂製の美しい図柄の和紙で出来た角封筒を渡された。
中にはバイト募集案内と面談日が書かれた伊藤若冲図柄のカードが入っていた。
『何度か見かけて、この人なら、というあなたにこのカードをお渡ししました。もしバイト先として興味があれば、是非採用面談にお越しください。▣薬膳酒CAFE&BAR(サキモトメンタルクリニック監修運営)▣新規開業スタッフ採用係責任者;片瀬▣業務時給2500円,交通費別▣業務内容;詳細面談にて(#採用を30歳くらいまでの男性に絞りたいため一般求人広告には出ていません)#ご連絡お待ちしています。』
という文面に続いて場所と連絡先メアドが書かれてあり、面談日時が3日間設定さていた。
すぐに検索したが、ネットのマップ画像では店の住所は公園か植木畑のままで、ホームページはまだ出来ていなかった。
ちょうど時給が良いバイトを探していたのと、タケシの専攻が心理学なのでサキモトメンタルクリニックにも興味がある。
次のウイルス流行でパンデミックになったとしても医院監修なら医学的な情報も入って安心なはずだ。
あまり悩まずに自分の授業スケジュールが空いていた面談予定日3日間の最後の日に指定の住所を訪ねてみると、15メートル程続く中が見えないような簡素な高い黒い壁にカメラ付きインターフォンが付いていた。
タケシの訪問にすぐに応じて電子錠が解錠され、中に入ると紅葉の木が10本以上と桜の木も何本もある広い庭の一角に、夕陽を反射して輝いているガラスドアとデッキに出られるように開いている大きなガラス戸の、明らかにまだ開業していないと分かる店がありカードを渡してきた女性が笑顔で出てきた。
’来てくれたんですね、ありがとう。大学でしょ? ここで是非アルバイトしてみませんか? あなた、メガネを外して自分を見たことある? プッティチャイ·カセットスィンにとてもよく似ているわよ’
誰だっけ、プッティチャイなんとか、って。
タケシの心はすでに、なんとなくだけれど、ここで働いてもいいかな、という気持ちになっていた。