幸福の一極集中
それからしばらく毎夕、少なくとも1時間は駅でタケシを待っていたのに一度も会えない。
タケシのことは幼稚園の時から知っているけれど、家はだいたいの場所しかわからないし、タケシの親友が誰なのかも知らない。
私はタケシのことが好きなはずなのに、タケシのことは何も知らなかったのだ…。
ということはタケシも私のことはほとんど知らないのかもしれない。
そんなことを思うと急に心細くなってきて孤独感満載の空気に包まれてしまってとてもじっとしていられない。
でも、私には何ができるんだろう、てか、何をしたらいいのだろう?
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タケシの母親は塾の講師と再婚して男の子を出産したばかりだった。
昨年タケシの義理の父になった男は10年以上勤めていた医療機器の会社を辞めてタケシが通っていた大手塾に転職し5年目に塾長になっていたが、タケシを直接教えていたわけではなかったので多くの塾生の一人であるタケシとは話をしたこともなかった。
塾長は前の結婚で別れた娘の養育費を払っていたが家を持っていたのでそこにタケシと母を住まわせることになった。
その家はタケシの通う学校に近いので以前のように電車を使うこと無く徒歩20分で登校できた。
再婚したタケシの母は40歳で出産し、久しぶりの乳児の世話が楽しくてなにかと忙しいので、もうタケシの受験勉強には関わらなくなっていた。
何年も父がいない狭いマンションで母と2人きりで生きてきたタケシには、義父と生まれたばかりの妹と母の4人家族の一員として自分がどのように振る舞って良いのかわからず、
食事の時以外はいつも小さい自分の部屋にこもって時間が早く過ぎるように勉強とWebに散りばめられている日本社会の情報を毎日何時間でも漁り続けて吸収していった。
タケシは母と2人で心細かったこれまでの何年間と同じように、今でも鞄に下げている御守りを眺めると優しいパワーが溢れてきて心が癒されるような支えられるような守られたような感覚になって元気になれる。
もう何ヵ月も電車に乗らなくなってまったく会えないままになっている中学受験の前に御守りをくれたあの同級生の女の子の顔を思い描きながら、いつかまたあの子に会えたら親しい友達になってもっと話がしたいと思う。
これから何10年も続くはずの一度きりの自分の人生のために、親の縁故を使えない者が出来ることとやるべきことといえば同じ学年の民達の中で自分の偏差値を少しでも上げることしかないのだ。
それも理解してはいるが目の前の受験競争だけでなく、タケシは後で都合良くまとめられた歴史ではない世の中の本当のところがもっともっと知りたかった。
Webによると、明治までは医者を含めてほとんどの世の中の仕事では子は親の仕事を世襲するものであったが、現代は数パーセントの偏差値が高い子に限っては生まれた環境より優位な選択肢が公然と与えられるようになっているわけだ。
しかしその優位な進路の存在は、親が無知な場合はその子どもには知るよしがない。
しかもやっとたどり着いた優位なはずの選択肢の中には現代の世襲制出身社である’偏差値が不要な子ども達‘らも、少なくない数存在するようで、それはタケシを憂鬱にしてしまう。
‘立場を使える場所にいる生まれながらの幸福な子’と‘与えられた狭い場所から小さく見えた灯りを必死で目指す子’には、それぞれどんな素晴らしい生き方があるんだろう?
考えてばかりいるとタケシの偏差値競争の手がどうしても止まってしまう。
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どうしてもタケシに会いたくなっている私としては、うまく会えるかはわからないけれどタケシの高校の下校時を目指して会いに行くしかない。
でももし、そこでタケシを見かけたらどうするか…。普通のテンションでこちらから話しかけるための軽い用事を作らないと。
その用事は必ず、もう一度彼に会う口実をもっていること。
その用事はタケシを困らせるような内容ではなく、できればちょっと嬉しいような事であるか興味をもってもらえる事などなど。
タケシは進学校の学生で賢くて真面目なんだから…。
タケシの高校の門のそばで下校を待つこと2日目で、私は思ったより容易に彼を見つけることが出来て心臓が高鳴った。
‘こんにちわ、タケシくんよね?’
’!‘
‘ずっと前にね、電車の駅でこの問題集を見つけて。君の落としものだと思って持ってたの’
’あ、確かにそれ、去年やったけど家にあるような気もするし、でも落としたような気もするかな…‘
‘これ、だいたい出来るの?’
’多分‘
‘短時間で解き方を示せるようになりたいと思ってる難問が載ってて、一応気になるんどけど、教えてくれない?’
’いいよ‘
‘(嬉)’
’図書館は、声を出して教えたり出来ないよね‘
’高田公園のパティオはどう?‘
‘いいよ’
’私のこと…、覚えてくれてた?‘
‘あの、御守り、大事にしてるよ’
’(驚)‘
‘塾があるんで、明後日の日曜日でいい?’
’ワイナット!‘
‘なんか、友達が出来たみたいだ’
’私、親友とか居ないから変な人間かもですよ‘
‘幼稚園から変わってないよ、その笑い方’
’お互い様ですから!‘
‘じゃ、ここで、13:00に待ち合わせってことでいいかな?’
’わかった‘
‘模試は午前中だから、午後は空けとくよ’
’感謝です!‘
タケシは生まれてはじめて、胸の奥がフワッと温かくなって‘楽しみな日’という感覚を知った。