お揃いの御守り
幼児教室から小学生で通っていた進学塾までいつもずっと一緒だったタケシは、中学受験に成功して有名進学校の中学部に進んでいったが、私はどんなに親に勉強する環境を整えられてもうまく隙をついて頑張らないでやってきたので取り残された。
だって、
小学校4年生のときに「女の子のための未来のお仕事ブック」を読んでそこからWeb検索を毎日繰り返し、何が良いのか分からなくなってしまったから…。
タケシは、復習-宿題-予習をこなす時にはいつも母親がぴったりと寄り添って洩らさず学習を進めているようだったけれど、
うちの母親は「パート給料をつぎ込んでるんだから成績で返しなさいよ!」と、こめかみに深いシワを寄せて攻め口調で言うばかりでテキストを一緒にみてくれたこともないのだから、やっぱりやる気を出すのはキツイ。
タケシは背が小さい方で痩せたメガネの男の子だったイメージのまんま高校生に育ったのだけれど、本当はメガネを取ると綺麗な顔立ちで心はあい変わらずとても優しい男の子のままだと思う。
彼は小さい頃から、朝から晩まで、食べるものや送迎や勉強のことなど自分の世話だけをして過ごしている母親を労っているつもりで勉強しているうちに、学習の流れやノリが出来てきて、それらの全てを受け入れて生活することが当たり前になり、やがて進学塾や有名校の秀才という立ち位置を得ると又それを守るように生活していただけなのだと思う。
去年から帰宅するときに時々同じ電車になるので彼と挨拶程度の会話をするけれど、いつもタケシは思春期っぽく恥ずかしがったり嫌がったりせずに丁寧に応えてくれて、受験勉強は共通テスト模試も順調でこれまで受けた東大模試はC判定以下に落ちたことはないよ、と言いながらも、でも合格するまではわからないと笑っていた。
タケシが、お父さんは好きな人が出来て出ていったんだ、と言ったのは6年生の父の日参観の作文の時だ。私は、当たり前のように無神経で残酷な参観日イベントとその作文のタイトルを「大好きなお父さんへ」などとつけた大人を憎んだのだけれど、タケシは、なんてことない、1日くらい我慢できるさ、と、笑っていた。
いつもタケシは塾の宿題や定期テストや模試に追われて勉強ばかりで辛いはずなのに、
‘こなすべき量がちょっと多すぎるよね… けど、自分のためになるはずだからね’と言って笑って過ごしていた。
中学受験の年の初詣には、健康と学業を祈るための小さな煌びやかな布のお守りを2つ買って1つをタケシに渡したのだが、それが高校生のタケシの制鞄に下がっているのを見つけたときはもの凄く嬉しくて、いつの間にかタケシを好きになっていたことに改めて気付き、’もう隠すことなく自分の気持ちに素直になろう‘と思うきっかけになった。
私は大学まで上がれる私立女子校に入学して特に変わったことの無い毎日を生きていたけれど、気がつくと高校生になったタケシと電車で会ったときのことばかり考えている。
私が前から少し悩んでいたのは社会が世界的なキメラウイルス禍にあることや学校生活のことでなくて
お母さんとのこと。
私は有名中学に進めなくてもう普通の大学でもいいから受験が無くて卒業までノンビリ穏やかに過ごせるところでいいかと今の学生生活を選んだのだけれど、
そのことが両親には心外だったらしくていつも何かと喧嘩になってしまって家庭の雰囲気が良くない…、みたいなことを相談してみた。
タケシは、ああそんなことか、という感じで笑顔で話してくれた。
‘僕たちは幼稚園から小学校で中学受験が終わるまで、母親の時間とお金をもらって他人と競争出来るステージに居させてもらっていたんだよ。結果が良くて競争に勝てば、母親に充実感と喜びをお返しできるよね? でもそれだって努力して無理だったなら仕方ないと忘れてくれるだろ。ただね、こっちが逃げたり嫌がったりすると、頑張った母親としては気持ちの整理がつかないだろうさ、そりゃ人間だからね。’
タケシは、何度でも‘ありがとう’と母親に感謝を口にするのが良いだろう、と笑顔で教えてくれたのだ。
‘大学に入ると親との距離は遠くなるからね。親子の距離がまだ近いうちは、子どもの僕たちから言わなくちゃ、だからね。’
同い年でも賢いタケシはとても頼もしくて、彼からならどんなアドバイスでも素直に聴ける。
タケシとはLINEを使えるようにしたいので、今日はいつもの駅でずっと会えることを信じて待ってみた。
実はしまいこんでいた御守りも、お揃いとして分かるように制鞄につけている。