4-4 Raven ‐ 鴉 ‐(下)
まもなく扉の向こうから、別の男の声が聞こえてきた。トワは扉に頬をつけて、二人の会話に耳をすませた。
「……じゃあやっぱり、あの二人はこの館を訪れたのか!」
「ああ。男は逃げて、少女はアシュリーが連れ帰った」
「心配だな……アシュリーはほら、いいやつだけど、下の階級の人間に甘いところがあるだろう? つけこまれたり、言い包められたりはしないだろうか?」
「問題ない。明日の午後にはロンドン警視庁に連絡しろと伝えてある。ハリエットの婚約を破棄してまで、あいつも使用人を庇ったりはしないだろう」
「さすがだ、ジェームス! それなら安心だよ。あいつは家族愛が強いから、ハリエットさんを無下には扱わないだろう。それにしてもアシュリーも、もう少ししっかりしてくれないとな。あいつは昔からマイペースで、お坊ちゃん気質が抜けないからな。詐欺師を雇うだなんて、家名の名折れだよ。おれが気づかなければ、きみはすっかり騙されてしまうところだった。まあ、おれは自慢じゃないが、ひとを見る目だけは確かなんだ」
「アシュリーも、好んで詐欺師を雇ったわけではないだろうが……おまえには礼を言う」
「いや、うん、まあそうだ、アシュリーも被害者だな。だけど、きみは少年の頃にお父上を亡くして、昨年末にお母上も亡くして、頼れるやつがいないだろう? アシュリーはぼんやりしているし。だから、おれは少しでも力になりたいんだ。なんといっても、きみの数少ない身内なんだから。きみは心を打ち明けられる人間もいないんじゃないか? ハリエットさんは女性だから、できない話もあるだろう。どうか、おれにはなんだって話してくれよ。今回の件も、孤児院の寄付金のときのように、おれが一任してもいいんだから」
「おまえの気持ちはありがたい。しかし、今回は当家の家族の問題だ。わたしが最後まで見届けるつもりだ」
「そうか、ならいいが……とにかく、おれはきみの従兄なんだ。他の誰よりも、身内としてきみを大切に思っていることは、忘れないでくれよ」
「おまえには感謝している。しかし、今夜はもう遅い」
「あ、ああ、そうだな。きみのことが心配で、眠れなくて、つい訪ねてしまったよ。きみがあの二人に騙されていなくて、ひと安心だ。さて、今夜はもう帰るとしよう。ああ、ジェームス! アシュリーは本当に、ロンドン警視庁に連絡してくれるだろね? きみからも必ず確認してくれよ! 万が一のことがないように……ほら、万が一というのは、もちろんきみのためにね」
「ああ、確認しよう」
「くれぐれも頼むよ! それじゃあ、深夜に邪魔をしたな」
声が止み、扉の閉まる音がした。こちらに足音が近づいてきて、トワは一歩後ろに下がった。扉が開いて、ジェームスがあぜんとした顔で見下ろした。
「……盗み聞きしていたのか?」
「あんたの従兄って、マルチの勧誘みたい」
「……なんだと?」
悪びれもせず、トワはにやりと笑った。
「アシュリーってやつ、そんなに頼りない男なの?」
「いや……確かに気ままなところはあるが、サイクスが言うほどには、間の抜けた男ではない」
「あんたには、あいつ以外、頼れるやつがいないのか?」
「そうではないが……アシュリーと違って、わたしは社交的ではないし、友人も多いほうではない。あいつはよくこの館を訪れるから、必然的に、話をする機会は多くなる」
「ふーん。あいつ、言ってることと、やってることが違うんじゃない? こんな深夜に押しかけてきて、一方的に、自分の要求だけ言って帰ってったじゃない」
「一方的というわけでは……」
「要は、鴉たちを捕まえてくれってことだろう? わざわざ、その念押しのためだけに、夜中に訪ねてきたんだろう? おまけにアシュリーって男は貶めて、自分を売りこむことは忘れずに」
「別に売りこむなどと……」
「あんたを心配してるって言いながら、心配してんのは自分のことばっかじゃない」
「おまえはさっきから、分かったようなことを……」
「分かるよ」
「なに?」
「あいつ、おれと似てるから」
「……なに?」
トワは笑顔を消して、ジェームスを見つめた。
「あいつもおれも、自分のためなら、平気で嘘をつくことができる。大事なのは自分だから、他人のことは二の次だ。どんな言動をすれば、他人の心が動くか、よく知っている。自分の思い通りにするためなら、いくらでも相手の望む姿を演じることができる。おれはそんな人間だ……それに、あいつも。あいつの選ぶ言葉、会話の持っていき方、声音や話し方、全部おれもやったことがある。ああ、別に勧誘なんてしないけどね。おれの場合は、円滑な人間関係が目的なだけだから」
「おまえの言いぶんを信じるならば、その話も、わたしを騙すための嘘ではないのか?」
「ははっ、賢いな、ジェームス。そのとおり。嘘かもしれないよ。だからおれの話なんて、信じなくてもいい。だから…………あんたは、鴉の話を聞いてくれ」
「…………」
「おれが嘘をついても…………鴉は嘘をつかないから」
「……サイクスの話は正しい。あいつは、わたしの数少ない身内なのだ」
「だから、疑いたくないのか?」
「……疑ってなどいない」
「疑いたくない、の間違いだろう?」
「そのような……」
「父親も母親も亡くなって、兄弟もいない。悪いけど、おれにはあんたの孤独は分からない。だけど、そんな状況で自分に構ってくるやつがいたら、おれもあんたみたいに、疑いたくないと思うのかな」
「孤独だなどと……思ったことはない」
「そうか? おれならたぶん、寂しいよ。親父とお袋が死んで……兄貴まで……いなくなったら。あんたはガキの頃に父親を亡くしたんだろう? 寂しいと思うのは、恥ずかしいことじゃないと思う」
「わたしの感情は、この話に関係があるのか?」
「関係あるさ。あんたがあいつを疑いたくないと思うなら、都合が悪い兄貴の話は聞きたくないだろうから」
「……………………疑いたくないという気持ちが…………ないとは言わぬ」
「……おれも、兄貴を信じてくれとは言わない。ただ、公平に話を聞いてほしい。そして、兄貴にチャンスをやってくれ。潔白を証明するための。兄貴は絶対、詐欺師なんかじゃない」
「…………」
「どうするんだ? あいつが嘘をついていたら? 二人が無実だったら? あんたは無実の人間を捕まえて、犯罪者を野放しにすることになるよ。あとから間違いに気づいても、もう遅い。二人は塀のなかか、それとも絞首台送りにされてるかもしれない。間違いを正そうとしたときには、もう取り返しがつかないかもしれない。二度と間違いを正せないかもしれない。それでもいいのか?」
「…………」
「兄貴は絶対、ひとを騙したりするやつじゃない。だから……」
「おまえは、やはり噓つきだ」
「ああ、おれは……だけど」
「嫌いというのは、嘘だろう?」
「え?」
「おまえの言葉の端々から、あの男への信頼が聞こえる」
「…………」
「おまえは兄を信頼しているのだな」
「…………」
「おまえが兄を信頼するように、わたしも従兄を信じたい」
「…………ジェームス」
「それでも、二度とない、とおまえは言うのか?」
「…………ああ、そうだ」
ランプの光がゆれて、トワの影が絨毯のうえで伸び縮みしている。その影に釘づけになったように、ジェームスは目で追いかけた。トワの瞳に炎が燃えていた。ジェームスは顔を上げて、その目を見つめた。風が音をたてて吹きこんだ。
トワは鋭いまなざしで彼を見て、ひと言告げた。
「Nevermore」
・十代の頃の、ハリエットとジェームスの短編(前中後・3話)を『ヴィクトリアン万華鏡』に掲載しています(ツンデレ準男爵とお嬢様のラブコメです)。
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