第3話 裏切り
「旦那様、ようやくのお帰りですね」
我が家のしきたりには伝統行事が沢山ある。その時は分家筋も集まり、行事を行う。
流石に私がいない訳にはいかず、その時は家に帰る。そんな生活になっていた。
「…変わりはないか?」
「ありますよ。お義母さんったら」
自室に入るといた妻に声をかけると案の定母への不満だ。これをなんとかしようと思えたのは結婚何年目までだったか。
…どっちにもハッキリと言わない私が一番悪いか。
話を聞きながら、妻の顔をじっと見つめる。真っ赤な口紅に毒々しい色の爪、甘ったるい臭い。母が怒るのも無理は無い。本家の嫁としての品が無い。どこぞの店の女のようだ。
「…」
「旦那様?」
つい、友子の顔がパッと浮かび比べてしまった。
化粧も知らないあどけない顔、実家が農家らしい少し黒ずんだ指…友子本来の匂い…。
「…忠興は私の子か?」
私は眼光を鋭くさせ妻を見据える。
「どうしました、急に」
妻は顔色一つ変えず、能面の様な笑顔を崩す事なく答えた。
「いやですわ、旦那様…我が子を疑うなんて」
「忠興はO型らしいな」
「…」
「AB型の私からはO型の子供は産まれない」
妻の立場が悪くなる為、ずっと黙っていた。これが本当なら妻と妻の実家は終わりだ。
しかし核心を突く。
気付いたからだ、自分の気持ちに。
その気持ちを形にしたい。
その為には…
「忠興はA型ですよ?」
能面を崩す事なく私に向き直り、妻は私を見据える。
「何をおっしゃるのかと思ったら…そんな事」
「あくまで認めるつもりはないか」
「私を疑ってらっしゃるの?酷い…そんな…」
「また泣き真似か?」
「…」
これまで幾度となく泣き真似に付き合って騙されたフリをしてきた。そうすると穏便に済むからだ。
もう、それもしない。
「証拠でもあるのですか?」
「医者から聞いた。妊娠時期もおかしい。…まだ続けさせるつもりか?」
「旦那様の勘違いですよ」
「相手は…私の側近の近藤だろう?」
成長してくるに連れ、なんとなく違和感があったものはこれだった。次男の顔は私が一番信頼を置いている側近の幼少期にそっくりだ。幼馴染だから分かる。
…その事実は身内に…兄弟に裏切られた気分だった。
「…頼む、離縁してくれ」
妻にも妻の実家も悪い様にはさせない。そしてその近藤が好きなら二人で幸せになってくれてもいい。
「旦那様がご自分の意見を言うなんて…初めてですね」
「そうだな」
心から欲しい物を見つけてしまった。その為だ。
「…好いた女でも出来ましたか?」
「…」
「私は離縁しませんよ」
「…何故だ」
口うるさい姑とも離れられる。好きな男と一緒になれる。
「子供二人、この家の子ですから」
「…」
二人の子供は私の子として戸籍がある。我が家は旧家だ。離縁など許されるものではないし、少なくとも世継ぎは必ず我が家に留め置くしきたりだ。
「私は子を守る為にここに居続けます。例え愛しい旦那様が私を好いて下さらなくても…浮気でも不倫でも、耐えてみせます」
「…思ってもない事を」
「事実ですわ」
「ならば、私の妻に手を出した側近は処分して良いな」
「…旦那様のお望みならば」
「子から父を奪うつもりか?」
「父は旦那様ではありませんか」
能面の様な笑顔を貼り付け、不憫な妻を演じ続けるこの女に嫌悪しか浮かばなかった。
「分かった、好きにさせてもらう」
これ以上話しても堂々巡りだ。妻とはいつもこうなる…。
私は立ち上がり、私を見ようともしない妻を見下ろし、その場を後にした。
✽✽✽
「お呼びでしょうか、旦那様」
「ああ」
夜、私は近藤を呼び出した。
「単刀直入に聞く。忠興はお前の子だな」
「…いいえ、旦那様のお子様でございます」
近藤は一瞬目を見開き、それから能面のように顔を強張らせた。
「私を欺くつもりか?」
「滅相もございません」
「お前は…O型だったな…」
「…」
「妻にはこの事実を話した。お前はどうしたい?」
「…」
「語る気は…ない、か…」
「…旦那様のお子様でございます!」
必死に取り繕う近藤。幼なじみ、こいつの事は誰よりも分かっているつもりだ。こいつは嘘をつかない。
人生初の嘘は…あまりにヘタだった。
「…まさかお前に裏切られるとはな…」
この屋敷に存在する全ての人間は…もう信用出来ない…。
「私は…お前を…ずっと弟のように…」
兄弟のいない私は…住み込みで働く女中の子供、こいつを弟だと思って接して来た。
跡取りとしての重圧も…こいつがいるからしっかりせねば、と…
「も、申し訳ありません旦那様!!!」
ガバッと近藤が土下座をする。
「お許しを…お許しを…!!」
「近藤、私は妻に手を出された事に腹を立てているのではない」
私は…夫としてこの男を問い詰めているのではない。
友子と生きる為に…
なるべく妻と穏便に離縁したいだけなのだ。
だから…近藤が…
「私の妻を愛しているのか?」
「…申し訳ございません」
「責めてなどいないよ。顔を上げて」
極めて穏やかに聞こえるように声をかける。見て取れるほど近藤はビクビクしながら頭を上げる。はやる気持ちをなんとか抑える。
「…私の妻と所帯を持つ気はないか?」
「あんまりでございます、旦那様」
「…」
先程までの姿が一変し、近藤が怒っている事を察した。
「私は旦那様のお下がりを貰う為の生き物でしょうか?」
「…」
「奥様をもう少し大事にして下さいませ」
「では、お前の気持ちは妻にないのだな」
「…」
「お前を侮辱してるつもりはない」
ただ、なんとかして離縁したいのだ。
「私の浅はかな気持ちは胸にしまっておきます。身分違いもいいとこ…」
つまり、近藤は妻の事が好きなのか…
「奥様は私に気持ちはありません。あくまで旦那様への…」
「当て付けか」
近藤と関係を持ったのは。
私の弟分まで利用する妻を愛しいと思った事は無い。
それは私が…悪いのか…
「お願いでございます。どうか奥様を大切にして下さいませ」
「…今更だろう」
まだ、結婚当初はそう思っていた。しかし暮らして分かった。水と油なのだ。私と妻は。
「…妻は近藤を処分してもいいそうだ」
「…はい。私は重罪を犯しました」
「ここでそうすれば、妻の思惑通りになる」
「…」
「近藤は忠興の付き人をしてもらおう」
「…え?」
我が家は旧家。今更忠興をどうする事も出来ない。
…私の次男として、その生涯を全うするしかない。
まあ…いい。時期当主ではないのだから。
「お前は一生、親と名乗る事は出来ないが…側で見守ってやれ」
本当は誰かと所帯を持って幸せに暮らして欲しかった…