第2話 彼女の名前は大西友子
私は大学で教授として働いている。
「教授、頼まれていたプリント集めて来ました」
「ああ、ありがとう」
今しがた女生徒の一人がプリントを集めて研究室まで持って来てくれた。
女生徒の名前は大西友子という。
「大学にはなれた?」
「は…い…」
「なれてないね。すぐに分かるよ」
言葉とは裏腹な声色と声のトーン、そして表情。この子は非常に素直な子である。
「う…」
「授業は?どこが分からないの?」
私の周りには仮面を被った人間ばかりがいる。そのような中で出逢ったこの子にはついつい世話を焼いてしまう。
手を掛けたくなる小動物、そんな感じだろうか。純真無垢で人の裏を読む事を知らない。周りの学生と比べて幼すぎるその容姿と素直な心。田舎からはるばる出て来たのも頷ける。彼女と接する一時は私の心も浄化されているように感じた。
(こんな娘と結婚してたら、我が子を自分の子か疑わなくて済んだのかな…)
愚か者だ、私は。こんな歳も随分と離れているし、この幼女のような見た目…間違い無く変質者、もしくは犯罪者だ。
✽✽✽
それから月日は流れ季節は春から冬に変わったものの、私は未だに次男の血液型の件を聞けずにいる。
家に帰るのも億劫。帰っても母と妻は啀みあっている。仲裁に入るのももう疲れた。自分の子か分からない子に会うのもつらい。…最近はもっぱら、研究室泊まりだ。
(きっと、忠興は私の子では無い。妊娠時期もおかしいし、顔が…違う。)
そう、次男への違和感は確信へと変わっている。おそらく忠興の父親は私の――……
――コンコン
「失礼しまーす…」
研究室がノックされ夜の大学の研究室に似つかない、可愛らしい声がかけられる。私は自然と笑顔になる。
「どうぞ、今日はどこをしようか?」
「えっと…」
今の私の心の支えは紛れもなく天使の様なこの子。大西友子。
成績が著しくない彼女に内密に勉強を教えている。明らかにエコヒイキだ。分かっている為、こうして夜に彼女を誘った。
我ながら卑怯者だ。何も分かっていない彼女をたぶらかして、善人面して彼女の側に立ち続ける。理由なんて一つだけだ。
俺が癒やされたいから。
ただそれだけ。
「教授?お疲れですか?」
「ん?なんで?」
「元気が無いようですので」
優しい彼女は俺の身を案じてくれる。あぁ、幸せだな。
「友子の顔を見たら元気になったよ」
なーんて。18歳の彼女は歳の離れたオッサンにこんな事を言われたらなんて反応を示すのか…
「え……えっ……」
(まー、なんて初々しい反応。かわいいな)
彼女は肉眼でしっかりと識別出来るほど顔を真っ赤にし、丸い目を更に真ん丸にさせ口をパクパクと動かしている。
(好きな娘を虐める小学生だな)
可愛すぎるその姿に思わず手が出そうになる。
「教授…今、名前で…」
「あ、そこ?」
思わず笑ってしまった。意識するポイントが違う。
「友子。…嫌?」
「…嫌じゃないです」
「良かった。何度でも言うよ。友子…友子…」
顔を寄せて耳元で囁くと両手で顔を隠して俯いた。一々反応が可愛い。
「は、恥ずかしいです…」
「かわいいな友子は」
(このまま、俺のものにしたいな)
顔を隠す友子の腕を掴み、手を退ける。真っ赤な顔と驚いて潤んだ瞳を捉える。
ドロドロと、自分の中の黒い物が流れ出る様な錯覚に陥る。
俺には守らなければならない家がある。屋敷がある。伝統がある。妻子がある。
…全部捨ててしまおうか。そして逃げようか、この子と一緒に。
「友子が好きだよ」
「…え?そ、それはどういう…」
「…友子も、僕の事が好きだよ」
「そ、そうなんでしょうか…?」
「うん、顔に書いてある。ああ、かわいいね…」
純真無垢な友子を言葉で誘導する。素直に聞き入れる友子に私の中の何かが埋まっていく。
「は、恥ずかしいです…」
「認めて。私の事が好きだって」
「私は…教授の事が好き…」
「そう。いい子だね…」
「これが、好き…」
「そう。これが恋だよ」
「こ、恋…!」
「初恋?」
「はい…」
「かわいいね。もう友子は私のものだよ…」
きっとこの時の私の目は人間ではなかっただろう。
✽✽✽
「噂が立っているね」
「はい…」
数ヶ月経ち私と友子が私の研究室で夜な夜な会っていると噂が立つようになった。
その噂は真実である。私と友子は講師と生徒。そして友子は未成年。バレると問題になる。
(この関係を終わらせたくないな)
家庭では休まることはない。できる事ならこのまま心地よさに身を任せてしまいたい。
「どうしようか?友子と二人で会えなくなるのは嫌だよ」
「あ…えっと…」
「友子も嫌なはずだよ」
「…はい。ですが…」
「何を心配してるの?友子は私の事だけを考えていたらいいんだよ」
「で、でも…」
分かっている。友子は私に妻子がいる事を気にかけているんだ。
本来なら辞めてあげるべき。友子を思うなら。
しかしそうなったら…私は私を保てない。
私は自分の為に、友子を離しはしない。
「友子は私がどんなでも私を好きでいてくれるんだろう?」
「はい」
「私も友子がどんな姿になっても好きだよ」
「う、嬉しいです…」
「ああ…本当にかわいいね。私の、友子…」
そう言って友子の髪に触れる。艶々とした綺麗な黒髪が手に心地よい。
「教授…私も…どんな教授でも…好き…です…」
私の腕の中にすっぽり収まる愛しい存在。
「…病めるときも健やかなるときも?」
「はい」
――公に言えない私達のあまりに儚い誓いの言葉だ。