救世会編13
「確かに、昔から感受性が豊で人に優しい子だったわ。他人を傷つけない子だった」
母がまるでそのことに不満を持っているかのように話しているのを聞き、私は疑問に包まれました。
そう教えてくれたじゃないかと。
そう育ててくれたじゃないかと。
そう望んだじゃないかと。
何が悪いのだと。
疑問が頭の中をかきむしるように這い、私は眩暈を起こしました。くらくらする。もう聞いていられない。これ以上聞いてしまうと、私の中にある大事なものにひびが入ってしまう。
私は這うように、音を出さないようにその場を離れようとしましたが、時すでに遅しというやつでした。今思えば、この時私がとるべき行動は逃走ではなく、覚悟を決めることだったのかもしれません。これから起こること、聞くことへの覚悟を。
「何であんな子に育ったのかしら。言い方は悪いけど、あの子、これから生き辛いでしょうね。あんな性格だと」
深夜の静けさがこれ程恨めしいと思ったことはありません。あれ程好きだったこの山の静けさは、今はただ、母の声を鮮明に私の耳に届けるためにだけあるようでした。残酷な真実を、確実に私に送り届けて来ました。
その後も彼女は何かを電話口に吐き出していましたが、私は頬から零れ落ちる涙を拭うのに手一杯で、聞いている余裕などありませんでした。
愚直に教えを守って来たのに、この仕打ちはあんまりです。私はその日、自分が愛する母にも、自分の道標である教えにも裏切られました。いえ、勝手に裏切られた気分になっていただけなのかもしれません。なにせ、私が見ていた母も、教えも、実際に目に見えるものではなく、私が希望というフィルター越しに見ていた、願望という名の幻想だったのですから。
その後、私は声を出さないよう、音を出さないように注意しながら自分の部屋に戻りました。何故その場で文句を言わなかったのか、声を大にして泣かなかったのか。その答えは明確です。
私が弱かったからです。
不意に突きつけられた現実に、評価に、真正面から向き合えることが、弱い私にはできませんでした。弱い私はただただ、声が漏れないように自らの口を塞ぎ、蓑虫のように惨めに這い、自分の部屋に戻るのが精一杯でした。
その行動は、ここで声を出したら彼女に夜更かしを怒られるという恐怖でもなく、弱音を吐き出している彼女をそっとしておこうという優しさでもなく、ただただこの場から逃げ出したい、聞きたくないという、自分勝手な感情がなせる行動でした。
その翌日、彼女は過労でまた倒れました。入院を余儀なくされるほど。
「あの子は元気にしてる?」
父がお見舞いに訪れる度、彼女は私の心配をしていたそうです。
「信者の人達は大丈夫?私がいなくても平気?」
それと同じくらい、彼女は教団に所属している信者の心配もしたらしいです。
別に、教団の信者より私を心配してとは言いません。彼女の言動は、救世会の教えに則った、清く正しいものなのだから。
そう、あの夜があっても、私は救世会の教えから身を切り離せずにいました。当然です。これはもはや私の体の血肉であり、私を構成する要素ですから。そしてそれ以上に、周りからの期待が私を縛っていました。いや、縛っていたのは周りだけではなく、本人である私もかもしれません。その時の私は、母に裏切られた気になっていたのですから。信用できるのも、依存できるのも、愛するものも、もはや救世の教え以外ありませんでした。それすらも失くしてしまえば、私は空っぽの人間になってしまうでしょう。それがとてつもなく恐ろしかったのです。自らを縛られることすらいとわないくらいに。
それからの私は、救世会の活動に前よりも積極的に貢献しました。
母の代わりに講演会に参加しました。
父の手伝いで、全国を一緒に旅しました。
信者のために、いろいろな手伝いをしました。
毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、まいにち、まいにち、まいにちまいにち、救世会と
教えのために身を粉にして動きました。その引き換えに得たものといえば、多くの入信者と信者の重すぎる期待。それと、母のお見舞いに行けないという理由だけでした。行けないというより、行かずに済む理由といったほうがいいですね。そのほうが正しいでしょう。彼女が倒れ、入院してからひと月ほどは、頻繁にお見舞いに行っていた私ですが、だんだんと弱ってく彼女は、体力の低下に比例して神性が抜け落ちていっているように見えました。
口を開けば私や父の心配。もちろん、信者の方々や教団の心配もしていましたが、割合でいえば前者7、後者3といったところでしょう。以前の彼女なら逆の割合だったはずなのに。
そこでようやく理解したのです。彼女は確かに教祖であり、とても優しい人だ。しかし、それ以上に母だったのです。普通の親であり、他の子供よりも自分の子が可愛く愛おしい、ただの普通の母親だったのです。
特別な教祖だったのは真実ですが、今ではもう見る影もありません。過労で倒れて、死というものを近く感じたからか。はたまた、救世会から離れて、教祖から離れたからか。理由は定かではありませんが、彼女は世間一般の、普通の母になっていたのです。
しかし、そのようなものは私の望んだものではありません。私の母はもう、神性をその身に纏い、壇上で信者に向けて優しさと愛を振りまく人なのですから。その人以外は母ではなく、母として見られない。まったく、我ながら愚かだと思いますよ。そこまで追いつめられて、そこまで極端な考えを持って、勝手に絶望していたんですから。
その1年後、彼女は亡くなりました。享年42歳です。
葬儀では数多くの参列者が来てくれました。その人数の多さに誇りを持っていました。母親が死んでしまったのにも関わらず、不謹慎にもそう思ってしまったのです。むせび泣く父や信者達を後目に、そんなことを考えていたのです。
そして、彼女の遺影を前に私は思いました。
母は確かに存在した。信者に優しく、世界に優しい彼女が確かに存在したのです。そして、周りの人より私に優しい、平等性や神性とはかけ離れた彼女もまた、間違えようもなく私の母親だったのです。教祖としての母が偽物だとは言いません。私にはっきりとした愛情を向けていた母が偽物だとは言いません。ただ、母は母であり、人間だったのですから。
物語に出てくるような、決して折れない意思や教示を持っているわけではなく、神話に出てくる神のように神々しくない、どこにでもいるありふれた、現実にいる普通の人間だったのです。嫌になるくらい、嫌いになるくらいに人間だったんです。
ならば当然、揺らぐ時もあるでしょう。
間違える時もあるでしょう。
泣くこともあるでしょう。
そう自分に言い聞かせました。
そして誓いました。嫌いな母の亡き顔に。大好きな教祖の遺影を前にして、父のむせび泣く姿を横目に、沢山の信者に囲まれながら。
私は聖者になる。母が至れなかった聖者に。完璧な聖者に。
そう誓ったのです。




