救世会編12
それから数年後、知名度を上げた救世会でしたが、その代償として教祖が、母が過労で倒れてしまいました。無理をしていたのは幼い私でもわかりましたが、父が言っても止まらない母が、私なんかの言葉に耳を貸すはずがありません。私は黙って母を見ていることしかできませんでした。
母の療養のため、私達家族は、父の地元である富山県の山奥に住むことになりました。家族といっても3人だけではありません。信者の方々も一緒でした。富山県の山奥にある小さなコテージのようなところが、私達救世会の後の神殿であり、後に祈りの間と呼ばれる神性な場所であり、我が家でした。
そこで私達13人は慎ましく暮らしていました。朝は農作業から始まり、朝食を食べた後は祈り、それが終わればまた農作業。午後からは母の説教と祈り。終わった後は各自の自由時間。夜はみんなで今日あったことの報告をして、就寝前には山奥の静けさに身を委ね、ゆっくりとした時間を過ごしていました。その時間がどうしようもなく愛おしく、大好きでした。その後は就寝。その繰り返しです。
午後から始まる母の説教の時間には、毎日各地から大勢の人が押し寄せました。それは日に日に増えていき、コテージの中に収まらない程の人数になりました。これ程の人数が集まれば、いつも通り説教を行うことができないと感じたのか、母は皆が出してくれたお布施で、月に1度山を下りて、すぐそばにある文化ホールを借りて説教を行うことにしました。
壇上でスポットライトを浴び、凛とした姿勢で話す母が好きでした。母の話す教えが好きでした。そして、安心しました。
「あぁ、やっぱりだ。あの日泣きながら私に抱きつき、教えを否定した彼女は私の母親じゃなかったんだ。私の勘違い、記憶違いだったんだ」
そう確信しました。
だって、あの泣きながら震える弱い人が、あの壇上に立つ母親と同じはずがないのですから。その日から、私は前にも増して母の教えを好きになり、教えを守ることを強く誓いました。傷つけなかった。
不幸を背負った。
家族を大切にした。
幸福を与えた。
体と心は日に日にボロボロになっていきましたが、それでも、私はそんな自分に満足していました。
母が誇れる娘であろうと。
教祖様が誇れる信者であろうと。
そのための努力をする私が誇らしかったんです。しかし、私が教えを守れば守るほど、母は母ではなくなっていきました。あの日見た、泣き虫な彼女みたいになっていました。それは月日が経つほど深刻になりました。私と母が2人きりで喋れば喋る程、目の前のそれから、‘母親’がサラサラと零れ落ちていきました。
こんな馬鹿みたいな考えを数年間していたとは、我ながら呆れます。ほとほと呆れました。そんな愚かで馬鹿な私を見放さず、根気良く接してくれたあの人は、世間一般ではいい母親というやつなのでしょう。しかし、私の母はあの人だけだったのです。常に凛として、皆に平等に優しさを与え、皆から敬われる人。それが私の母親だったんです。決して、子供の前で泣き崩れることはなく、他人より自分の子供が大事だと言うような、そんな人ではなかったんです。
そんな馬鹿な勘違いが終わるのは、私が12歳になった時でした。12歳の、ある日の夜のことでした。その日はいつもより暑く、寝苦しかったのを覚えています。私はなかなか寝付けなかったので、母と父と一緒に寝ようと思い、2人の寝所へ向かいました。12歳になってまで両親と同じ布団で寝ることに、まったく抵抗がなかったわけではありませんが、その恥ずかしさを上回る程の温もりがそこにはありました。その優しい温もりの中で眠るのが、私は好きだったんです。
寝所まで向かった私でしたが、そこに母はいませんでした。そのまま父の腕枕で寝るのもいいですが、私は無性に母の行方が気になり、母を探すことに決めました。優しい温もりはまた後で。そう自分に言い聞かせて。
この選択が私を正気に戻してくれました。今まで靄がかかっていた疑問に、残酷な程明確な答えをくれました。代償は、私が好きだったあの優しい温もり。
「お母さん?」
台所の近くにある電話機の前に母はいました。何やら思い詰めた雰囲気をしており、深夜だからと遠慮した私の小さな声は、母に届いていないみたいでした。
信者の誰かの相談電話かもしれないと思った私は、身を潜め、母の声に耳を澄ましました。立ち聞きは行儀が悪いことですが、将来のためを思って聞くことにしました。次期教祖として。なにより、母の声が聞きたかったのです。信者の前でなら、母は母なのですから。私の大好きな、あの母なのですから。
「そう、そうなの」
「・・・」
「ごめんなさい。こんなこと、あなたにしか相談できなくて」
目の前で電話をする母は、教祖としてではありませんでした。思い詰めた表情を見て、最初からそうではないかと察してはいましたが、やはり残念な気持ちを隠しきれませんでした。私はそっとその場から離れようとしましたが、そうはできなくなりました。まるで金縛りにあったように、体が動かなくなってしまったのです。あの言葉を聞いて。
「あの子のことがわからなくて・・・自分の子なのにおかしな話よね。でも、わからないのよ。あの子が考えていることも、あの子をこれからどう育てればいいのかも」
悲痛な叫びを電話口に吐き出している母。その内容は、間違いなく私の話でした。
私がその場で立ち聞きという選択をしたのは、母が私を他人にどう話しているかが気になったからではありますが、どうやらいい話をする様子はないみたいでした。それがわかった時点で、私はその場から離れるべきでした。そうすれば、まだ自分を包む優しさを感じることができたのに。
いや、どっちにしろですね。
どっちにしろ、遅かれ早かれ、勝手に、私は親への信頼を失くし、愛情を感じなくなっていたでしょう。それは私の中での確信であり、確定事項だったのかもしれません。




