救世会編11
「お見事。神に勝てる人類が存在しないことが、今ここで証明されたな」
「八葉さん、ここを出て行く時に泣きそうな表情をしてましたね。赤の他人である四亜から見ても可哀想なほどに。神ちゃんはよっぽど大切にされてるんですね」
「過保護が過ぎるだろ」
そんな俺の軽口に対し、神ちゃんはこう答えた。
「言い得て妙です。彼らは私を保護しているのでしょうから。救世会の神であるこの私を」
その言葉を出す彼女の口は、表情は、どこか達観した感じだった。笑って話してはいるが、違和感を感じる。演技染みているさっきのやつとは別の違和感を感じた。
「さて、では話しましょうか。この際なので全て話しておきましょう。何度も話すのは面倒ですから」
「はっきり言うねぇ。俺達はその方がありがたいけどな。さすが神様、俺達のような迷える子羊にお優しいことで」
「後半に過去パートを挟むのはあまり好ましくないので」
「過去パート言うな!」
神様の口から出る言葉としては、ずいぶんと俗物的な言葉だった。いや、俗物的というかメタ的というか。
「こう、盛り上がっている時に急に過去の話になって、それがぐだぐだ長かったら、今の盛り上がりを損ねる可能性があります。勢いを大事にする派なんですよ、私は。クライマックスは盛り上がった勢いのまま終わらせたい派なんです」
「いや、そんな派閥は聞いてない」
「というわけで、ここで、前半で語らせていただきます」
ツッコミどころが多々あるが、今は隅に置いておこう。
彼女は語りだしたのだから。
救世会の誕生。神になった経緯。何故信者が物騒なデバイスを所持していたのかを。
それらを淡々と。
6年前に他界した私の母、救世 教子は私の母であり、救世会の設立者であり、初代教祖であり、父の妻であり、皆に好かれる人であり、人に何かを教えるのが好きな人でした。
母はよく私にいろいろな教えを言い聞かせてくれました。それは救世会の教えの原点であり、世界を平和にするためのものであったらしいですが、幼い私には理解できませんでした。いや、今でも理解できません。
あの人のことも。
あの人の教えも。
あの人の心中も。
何もかもわからなかったです。
なるほど彼女は聖人でした。実の娘である私ですら異質に感じるほどに。近づき難いほどに。
「人に痛みを与えるくらいなら、自分を傷付けることを選びなさい。周りに不幸を振りまくくらいなら、周りの不幸を背負う人でありなさい」
母は背負うことを娘に強いた。
「家族を大切にしなさい。家族とは何も血の繋がりだけではないです。心が繋がっていれば、それはもう家族と呼べるものです。彼らを、彼女らを大切にしなさい。守りなさい」
母は守ることを娘に誓わせた。
「人に幸福を与えなさい。幸福とは美味しい食事であり、温かい寝床であり、清潔な服を着ることであり、人と人とが和を持って輪を作ることです」
母は与えることを娘に説いた。
そんな母親を、あの頃の愚かな私は尊敬し、慕っていました。
母は優しい人です。それは確かなのですが、その愛は当然、私だけに向けられていたものではありませんでした。世界の全てに優しかっただけでした。そして、母はただ異常に優しいだけの、ただの人間だったんです。それに気づくのに、それ程の時間はかかりませんでした。
あれは確か、小学校3年生の頃だったはず。私が母を聖者として、教祖として、母として見られなくなってしまったのは。そして、母の教えを身に纏った私が、周りと自分との違いを自覚し始めたのも、それと同時期でした。
私の周りの子供達は周りを気にせずに遊んでいて、悪戯をして、喧嘩をして、笑っていました。私にはできないことを、平然とやっていました。当然、‘できない’私は周りから浮いた存在になってしまい、いじめの対象になってしまいました。あの年頃の非情さは、今思い出しても恐ろしいです。異端を排除する魔女狩りを彷彿とさせる程、彼らは私という異端をいたぶり、罵り、傷つけました。
だけど、当時の私はそれがとても誇らしく、嬉しかったのです。涙が出るほど痛かったのですが、それと同時に、涙が出るほど嬉しかったんです。だって、母の教えを守れている自分がそこにいたのだから。
その後いじめはさらにエスカレートしていき、ついには私とクラスメイトの親が招集されるほどのことが起こりました。起こりましたと言えば、まるで私がそのことについて知っているかのようなので、正しく訂正しておきましょう。
‘起こったみたい’です。
私は常に暴力の中心にいたので、どの暴力が親が集められるほどの事件になったのかわかりませんでした。
トイレで蹴られたあの件なのか。
制服をカッターで切り刻まれたあの件なのか。
ひたすらに、痣が出来るほど殴られたあの件なのか。
それとも他の件なのか。どれかわかりません。興味もありませんでした。だって、あの頃の私は‘母の教えを守っている’という自分を自覚するのに精一杯だったんですから。
親が集まってどのような話し合いがされたかは知りませんが、私は通っていた学校を辞めることになりました。そして、そのまま学校に通わなくなりました。母が泣きながらこう言ったからです。
「ごめんね・・・気づいてあげられなくて。これからはずっと一緒だから・・だから・・無理しないで、我慢しなくていいんだよ」
そう彼女は言いました。その言葉に対し、私が抱いた感情は‘困惑’でした。
母は私に傷つけるくらいなら傷つけと教え、私はそれに必死に従ったのに、何で母は泣きながら教えを否定するのだろうと。褒めてくれないのだろうと。幼く愚かな私は何も理解できず、ただただ呆然としていました。彼女の温もりも、彼女の流す涙の冷たさも、私には理解できませんでした。
その頃から、救世会の活動は活発になり始めました。私の母は父と私を連れて、布教の旅に出ました。各地で教えを説き、迷える信者に道標を示し、救世会の名を全国に知らしめました。




