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幕間:ある男の発端(中)




 その日(・・・)の空模様は大型イベントに相応しい真っ青な快晴がヘキサゴンシティ上空に広がっていた。


 人工島内で行われる複数のイベントの動員数は開始前の予想だけでも数十万人に達し、しかし実際には事前の予想をも上回る数の来場者が、老若男女問わずヘキサゴンシティへと押しよせた。


 元自衛隊の救難員、現救急隊員である三六は人工島内の消防署ではなく、六角シティポート駅近郊の商業施設を利用してのイベント会場に設けられた臨時の救護所にいた。


 万単位で人が集まれば急病人の10人や20人が出現するなど珍しくもない。あまりの混雑ぶりに人酔いして体調悪化を訴えたり、来場者同士でぶつかって双方が怪我をして運ばれてくるなど序の口。


 中には何を勘違いしたのか急病人ではなく迷子を届けられたりもしたが、命に関わるような修羅場が巡ってこないだけ平和と言えた。


 ――その時までは。






 来場のピークを過ぎて人の流れが若干落ち着いた頃、救護所に設置された無線機が着信音を鳴らした。


 微かなノイズ混じりに無線機から発せられた同僚の声は、努めて平静を保とうとしつつも隠し切れない緊張を帯びていたのを三六は覚えている。



『……きゅう至急、六角シティポート駅内で複数の怪我人が出ている模様。現場周辺の隊員は至急急行されたし。なお現場では複数回の破裂音が聞こえたとの情報があり、二次被害に注意を――』



 瞬間、三六は己の顔がきつく強張り、全身が緊張するのを感じた。


 複数回の破裂音という報告、おまけに二次被害の発生までわざわざ警告されたとなれば、その理由は明白だ。


 すぐさまオレンジ色の救急パックを抱え、重病人の搬送用に待機させていた救急車へ仲間と乗り込む。


 救護所では脱いでいた安全ヘルメットを被ると、側面のアタッチメントに取り付けたウェアラブルカメラのスイッチを入れた。


 各救急隊員らに配布されたスマートフォンとウェアラブルカメラは自動的にリンクし、カメラで捉えた現場の映像は携帯経由で本部と病院へと送られる。そうして後方の専門家らがリアルタイムで現場の状況を把握し、最前線の隊員らへ適切な判断とアドバイスを下すのだ。


 三六らを乗せた救急車は前もって設定された緊急通行用のルートを通って現場を目指した。途中で別の救急車やパトカーと合流しつつ、連絡からものの数分で現場へと到着する。


 現場である六角シティポート駅は地下にあり、施設の地上部は広場として開放され、本日のイベントに併せて駅構内から出てきた利用客を歓迎すべく、複数の屋台や特設ステージが設置されていた。


 しかし今や広場は救急隊に先んじて駆け付けた警官らによって早くも一帯を封鎖され、来場者やイベント関係者らも広場から隔離されつつあった。


 駅への入り口からも利用客が次々と吐き出されては封鎖圏外へと誘導されていく。


 現場封鎖を担当する人員の中には青色の制服警官らに混じり、灰色の制服を纏った男達の姿も見受けられた。


 背中に『S』と六角形を組み合わせたロゴ入りの制服を着た男達は、海上都市に勤務する警察官以上の豊富な人材と従来の警備会社とは比べ物にならない最新装備を運用するこのヘキサゴンシティの守護者、六角セキュリティサービス所属の警備員である。


 会社名から分る通り、彼らは六角グループ傘下の警備会社だ。


 外から万単位の観光客が押し寄せているとあっては地元の警察の人員だけでは対処しきれないとの判断により、急遽共同戦線を張ったのだろう。巨大企業のお膝元であるこのヘキサゴンシティではよくある事だった。


 現場の官民合同で人垣をこじ開けてもらい、三六らを乗せた救急車はどうにか広場内へと乗り入れる事に成功した。


 地下駅への入り口周辺は覆面車両を含めたパトカーに取り囲まれていた。救急車は見当たらなかったのでど、うやら駆けつけた救急隊は三六らが最初のようだ。


 そして入り口からやや離れた広場中心部付近には警備会社の車が停めてあった。共同戦線は張れど立、場と役割はキッチリ区分するという意思の表れか。


 六角セキュリティの警備員がヘキサゴンシティで乗り回しているパトロールカーは六角傘下の自動車メーカー製大型SUV、それも最新鋭のハイブリッドモデルを軍用車クラスまで耐久性を上げた独自のカスタムモデルである。当然ながら防弾仕様だ。


 警備会社、それも日本国内で運用するにはいささか過剰な性能と言えるだろうが、発砲沙汰の可能性が高いこの状況ではとても頼もしかった。







 救急車が完全に停車した。反射的にドアや後部ハッチを開けて同僚らが飛び出そうとした刹那、三六は咄嗟に静止の声を上げた。



『待て! 外の安全を確認してからにするんだ!』



 負傷者を助けに駆けつけた救助隊を標的とした攻撃が加えられる展開はこの手の事態においてままある。三六はコンバットレスキューも任務の一環である救難員時代にその手の知識も散々叩き込まれていた。


 三六の警告を受け、助手席に座っていたベテランはウィンドウを下ろすと、近くを通りがかった制服警官に確認を取る。



『状況はどうなってる?』


『現場と怪我人は地下の駅だ! 我々も駆けつけたばかりで詳しい事はまだだが、こちらのお仲間と容疑者との間で撃ち合いがあったらしい』


『現場は安全なのか!?』


『そちらはもう大丈夫だ。容疑者は無力化して既には確保済みだと報告が入っている。とにかくすぐに負傷者を見てやってくれ!』



 その返答を受けベテランは三六の方を見やると重々しく頷き、「行くぞ」と改めて隊員らに命じた。


 救急車に乗ってきた隊員の内、半数は大型のストレッチャーを下ろす為にエレベーターを使う。三六を含む残り半分はベテランと共に救急バッグを担いで徒歩で地下へ向かう事にした。


 避難中の民間人とすれ違いながら、安全の為電源が落とされた永井エスカレーターを下っていく。結局徒歩組とエレベーター組が地下駅に辿り着いたのはほぼ同じタイミングだった。


 避難誘導が思ったよりも迅速だったのか、もしくは都合良く利用客が少ないタイミングだったのか、三六らの予想よりも地下空間に存在する人の姿は少なかった。


 三六の視界内でせいぜい数十人、救護所やここまでの道のりで見かけた雑踏の規模を考えると非常に少ないと言える。事態発生当時この空間にいた人々は地上に避難した以外にも近隣施設に通じる地下通路からも避難したのかもしれない。


 それでも混乱による負傷者は発生しており、ぐったりとして駅員に介抱されている女性や、呻き声を漏らして床に横たわり制服警官に容体を聞かれている男性といった姿がちらほら見受けられた。


 三六達救急隊員の出番だ。


 近い位置にいる怪我人を手当たり次第に診ていく――とはならない。


 同時多発的に大量の怪我人が出現した場合にまず行うべきは、怪我人の負傷度合いを瞬時に見分ける事である。


 駅員や警察官の声掛けに明瞭な受け答えが出来ている軽傷者は後回し。激しい出血を伴う者、一見出血が見られなくても頭や胸腹部を押さえて苦しそうにしていたり逆にほとんど反応を見せていない者は、脳や内臓にダメージが及んでいる可能性が高い。優先的に容態を確認し、応急処置や搬送を施さねばならない。


 救急隊の出現に気付いた制服警官が三六らの下へ駆け寄ってきた。



「救急隊の方ですね。現時点で確認されている死者は1名、それ以外にも撃たれて負傷した学生が向こうの地下通路に! 同僚が付いていますが頭を撃たれていて意識が無いんです!」


「分かりました。小川、山辺、この人と一緒に撃たれた怪我人の容態を確認に向かえ。すぐに搬送できるようストレッチャーも持ってっとけ!」


「了解!」



 ベテランに指名された同僚がガラガラとストレッチャーを押して地下通路へと消えていく。残る三六らはこの現場での治療を開始する。


 見回した中で特に三六の注目を引く一角があった。


 ベンチで力なく項垂れる女性の足元に男性が横たわっている。観光客が集まる場所に似つかわしくないスーツ姿の男女は、どちらも胸から腹にかけてを真っ赤に染めていた。


 三六はすぐさま駆け寄り、救急バッグを下ろしてしゃがみ込むと2人の容態を確かめる。


 嗅ぎ慣れた香り――血の臭いが鼻腔をくすぐった。


 

「怪我人ですか」



 声をかけると女性は緩慢な動きで顔を上げた。


 パッと見の推定年齢は30代前半、肉感的な色気が目立つかなりの美女だった。動きに合わせてウェーブがかったボブカットの黒髪が揺れる。


 上着の前ボタンを全て外しているせいで胸元を派手に突き上げる膨らみのラインが露わになっていたが、もちろん三六は自己主張激しいスタイルに惑わされる事無く、いち患者として素早く視診を行う。


 そして気付く。


 背中を丸めて俯いていた事で、上着に収まるか怪しいほど豊かな膨らみに半ば埋もれる格好で陰に隠れていた、ショルダーホルスターに収まる鈍色の物体に。


 前職で何度も見、取り扱った事がある代物――拳銃だ。


 反射的に体を強張らせた三六の様子を察知したのか、女性は幽鬼のような生気無い表情のまま上着の内ポケットから縦折り式の手帳を取り出して掲げた。手帳の上半分に名前と顔写真、下半分には桜の大紋。



「私は警察官です。私は平気だから、それよりも他の怪我人の治療に当たってちょうだい」


「……分かりました」



 シャツを汚す血はかなりの量だが、それ以上赤黒いシミが広がる様子は見られない。命に関わる傷を彼女は負っていないと三六は判断し、女性警官の足元に横たわる男性の診察に移ろうとする。


 すると彼女は己よりも一回り以上巨漢の救急隊員の肩に手を置き、ゆっくりと首を横に振った。



「彼は、もう死んでるわ」



 彼女の言う通りだった。


 上着の下、Yシャツの上に『POLICE』のロゴワッペンが貼り付けられた薄手の防弾チョッキを着用し、女性警官の物よりも一回り大きな自動拳銃を収めたレッグホルスターを太腿に装着した男性警官は、三六の存在にこれっぽっちも反応を見せようとしない。


 当然だ。彼は既に死んでいる。


 男性警官の喉元には1センチ程の穴が穿たれていた。昔講義や模擬演習で何度も見せられた銃創にそっくりだった。防弾装備で身を固めていても、わずかな隙間から飛び込んだ銃弾や鋭利な破片が重要な部位を傷つけて命を奪った例は腐るほど存在する。


 被災経験や救難員の任務で死体には見慣れていた。だが死そのものには未だに慣れる事は無い。特に死んだばかりの亡骸を目の前にすると、もっと早く駆けつけられていたら違ったのではないのかと、強い無常感と無力感に苛まれてしまう。


 女性がしたのだろうか、亡骸の瞼は既に閉じられていた。


 三六は唇を噛み締め、それでも女性警官の言葉通り他の怪我人の下へ移動しようと腰を上げ。







 ――唐突に異変が始まる。





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