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野良犬と生存者-7






「し、失礼しますっ……」



 仮眠室に現れた相手は、兵衛にとっては初遭遇時に待望の食事を台無しにされ、怒りの衝動に駆られるがまま掴みかかった結果こうして隔離される羽目になった元凶である。


 殺しかねない勢いで―事実、その時の兵衛は殺意満々だった―突然襲い掛かってきた相手の下へ、どういう訳か自らやってきたその女は、首輪を繋がれていない肉食獣の檻にでも入ってきたかのように怯えた様子だ。


 しかし今の兵衛は状況が異なり、剣護が持ってきた新しい食事を腹に収めたばかりだ。


 胃を満たされた事で精神的にも満足した彼は再び襲い掛かったりはせず、胡乱(うろん)げな目を女に向けるにとどめた。


 それにしてもデカい女だ、そう兵衛は思う。身長的にも、胸の大きさ的にも。


 背丈は猫背の姿勢を取っている現時点でも平均的な男性身長と並ぶぐらい。ちゃんと背筋を伸ばせば180センチ近くなるだろう。


 そして胸。兵衛としてはそこが特に重要だった。そのサイズは並みの男性を超える背丈以上に注目を惹く。何せ無造作に顔の前へ垂らされた長髪が、膨らみに乗っかって軌道を変えてしまう位の豊かさである。


 先程掴みかかった時は頭に血が上って視野狭窄に陥っていた兵衛は、女が男物の上着を羽織っている事に遅ればせながら気付く。


 上着の下の格好は……何故かレオタードだった。変な飾りが所々に付いている上に各部が妙に際どく露出している。へその部分など大きくくりぬかれ、豊かな乳の下半分が覗いている始末だ。


 おまけに衣装そのもののサイズが彼女の背丈ともバストとも合っていない様子である。見てて苦しそうに感じるほど押さえつけられた膨らみは大きくくり抜かれた脇からはみ出しているし、股の部分は細くなった布地が軽く食い込んですらいるという按配である。


 ハッキリ言って男物の上着で隠してなければ痴女としか言いようのない衣装であった。チラチラと見え隠れする谷間や脇、両手足は不健康そうな印象を感じさせる白さだった。


 何でどういう理由からこんな状況でそんな格好をしているのかは分からないが、とりあえず兵衛は浮かんだ感想を率直に口にした。



「コールガールを呼んだ覚えはねぇぞ」



 ストリッパーでも可である。



「こーるがーる?」



 あからさまな暴言に、しかし女は心底不思議そうな疑問のまなざしを返した。前髪の間から覗く瞳の純粋さは、発言した兵衛の方が気恥ずかしくなってしまった程だ。


 暴言を誤魔化そうと最初よりも早口気味に彼は新たな言葉を投げかける。



「で、何の用だ。言いたい事があるならさっさと済ませてくれや」


「用事は、その、あのぉ、ん、ええと、その、うう」



 投げやりに急かすと、女は元々俯き気味だった顔を更に下へ向けてしまう。もごもごと動いた口から漏れた言葉はほとんど意味を成していない。


 ちゃんと前が見えているのか怪しく感じる程に長い前髪で顔を隠して俯きながら佇むその姿は、動画を見た7日後に画面の中から出てきて登場人物を呪い殺すという前世紀に流行ったのホラー映画の怨霊が如し。


 施設規模の異常事態によって照明が暗くなっている中、心臓の弱い人間が彼女と不用意に出くわそうものならショックでポックリ逝ってしまいかねない。一見そう思えてくる位の不気味さである。


 しかしそれはあくまで他人から見た話。記憶を失う前はどうだったかのかは知らないが、今目の前に立つ貞〇もどきは兵衛からしてみれば、体も胸もデカい割に中身は内気なただの陰気な女でしかなかった。


 女はさっきから口をもごもごとさせて立ち尽くすばかり。食事で腹が膨れて気分が良くなったとはいえそれにも限度がある。


 このまま放置し、もうしばらく女のはち切れそうな胸とか、肉付きの良さと肌の張りが両立している見事な太股から腰回りにかけてのラインを目で堪能しても良かったが、延々と突っ立ってもじもじとされ続けるのは気に入らない。


 兵衛はせっかちな人間だった。内気な相手に気長に付き合ってやれるだけの寛容さも持ち合わせていなかった。



「いいか、俺は言いたい事があるならさっさと言えっつったんだ」


「へぅ、その、それは、そのっ」


「だからさっさと言えっつってんだろうがアァン!? 」


「ひゃひっ!?」



 じれったさに耐え切れなくなった兵衛が威圧すると、女は頭を両手で庇って縮こまってしまった。



「い、いじめないで……」



 ぷるぷる。


 小さく震えながら瞳を潤ませて上目遣いに兵衛に懇願するその様は、まさに捨てられた子犬そのままだった。



「はぁ、付き合ってられっかチクショウ」



 とことん見た目と中身と雰囲気が一致していない。


 イラつきを通り越して脱力してしまった兵衛が投げやりにベッドへと身を投げ出すと、先程出て行った剣護がようやく仮眠室へと戻ってきた。


 彼は涙目の女とベッドに寝転がって女から顔を背けている兵衛を交互に見てから、険しい表情を浮かべてやや硬くなった声で問いかけた。



「……彼女に何かしたんじゃあるまいな?」


「俺のせいじゃねぇよバカ。そこの女が俺に用があって来やがったくせに、話そーとしねぇで突っ立ってっからこうなったんだ」


「本当か」



 剣護は女に向けても問いかけるが、彼女はまた口元をもごもごと動かしただけですぐに俯いてしまう。


 結局、貞〇もどきの痴女は剣護と入れ違いに仮眠室から出て行ってしまった。



「何だったんだ彼女は」


「俺が知るかよ。つか何だあの女、どこのストリップ小屋から呼んできやがったんだありゃ」


「彼女のあの格好にも一応理由がある。我々が地下に閉じ込められた直後、この場所にも蘇った死体がそこいらに存在していた」



 コンビニのバックヤードに集められた死体の事だ。



「事態発生直後は無事でも現れたゾンビに食われて死んだ生存者も幾らかいた。彼女はそうならずに済んだが、犠牲者の血で足を滑らせて着ていた服が血まみれになった。そのままでいるのは不味いという事で本人がたまたま持ち歩いていた別の服へ彼女は着替える事にしたんだが……」


「それがアレ(痴女レオタード)か」


「そう、アレだった訳だ」



 神妙な顔で剣護は首肯した。



「本人から聞いた所では『英雄コレクション』? とかいう名前のゲームに出てくるキャラクターの衣装を真似た衣装だそうだ」


「コスプレ用のかよ……」


「事態が発生した日はここ(ヘキサゴンシティ)の展示場でコスプレありのイベントも行われていたからな。彼女もそれに参加するつもりだったと言っていた。俺には興味がない話題だったからそこまでしか聞いてないがな」



 コスプレイベントを筆頭に、アニメ・ゲーム関係のファンらをターゲットにしたイベント参加者の垣根はこの約10年で格段に低くなった、という話題を兵衛も耳にした覚えがあった。


 そもそもこのヘキサゴンシティ、サブカル界隈では一種の聖地として認識されている土地でもある。埋立地の一角に設けられた巨大展示場が開業当時より毎年夏冬の2回行われる一大同人誌即売会の会場として利用されている為であった。



「あの御立派な胸ならさぞかし客の人気が取れたろーな」



 イベントに加わる者はコスプレする側も見物する側も等しく『参加者』として扱うのが習わしなのだが、兵衛にそこまでのサブカル知識は持ち合わせていなかった。


 ――あそこまで見事な胸は初めて見た。俺記憶無いけど。性格は赤点だが体は満点だ。


 そんな情欲に満ちた兵衛の内心を読み取った剣護が再び険しい表情で睨みつける。今度は見えない刀を突きつけられているかの如き本気の脅しを含んだ視線であった。



「警告しておくぞ。もし彼女のような女達や他の生存者に不埒な真似をしてみろ。その瞬間が貴様の命日だ。蘇る事が無いように念入りに殺してやるから覚悟しておけ」


「シャッター1枚向こうでゾンビどもがゾロゾロうろついてやがるって時に女押し倒してる暇なんぞありゃしねぇよ」


「フン、どうだかな。生き死にのかかったこういう状況でこそ本性を現すのが人間というものだ。違うか?」


「いや、それ関しちゃ同意するぜ」



 そう答えると剣護はフンと鼻を鳴らし、手にしていた物をベッドサイドのテーブルに置いた。


 単一電池レベルのサイズのウェアラブルカメラと10インチサイズの薄型タブレットがケーブルで繋いである。



「カメラは救急隊員が記録用に常時身に着けていたものだ。異変が発生する前後も作動していた。貴様が昏睡状態にあった間に何が起きたのか、少しでも知りたければ見ればいい」


「……悪いな」



 そう兵衛は短く言った。


 彼は礼であれ、謝罪であれ、言うべき事は素直に口にする主義の人間であった。





 少なくとも、今はそのつもりだった。



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