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野良犬と生存者-6



 結局あの後、数人がかりで羽交い絞めにされた挙句隔離される羽目になった。



「クッソ、怪我人だぞ俺ぁ」



 物量差で取り押さえられた影響からか痛む節々に兵衛は顔を顰めた。


 兵衛が隔離されたのは駅長室と繋がる仮眠室である。四畳半よりやや狭い程度の空間に。二段ベッドと小さなテーブルに椅子が置いてあるだけの部屋だった。


 下の段のベッドに腰を下ろすなり、これまで以上の勢いで腹が空腹を訴え出した。やはり腹を水で満たしてもまともなエネルギー補給とはならないのが致命的であった。


 怒り狂って暴れた際になけなしのエネルギーを消耗してしまったのが災いし、その場に座っているのも辛くなった兵衛はパタリとベッドに倒れ込んでしまう。



「ようやく腹ごしらえできるかと思ったらお預けとかふざけんなぁ……」



 悪態を吐く声からも力が失われている。


 ありがちな表現だが、今の兵衛は溺れて窒息寸前にようやく水面に辿り着いて酸素を取り込もうとした瞬間に再度水中に引きずり込まれてしまったような境遇だった。


 なまじ食料を分けて貰えていざ食べようとした瞬間に台無しにされた分、反動が大きいのも当然の反応と言えよう。腹の音の勢いも時間が経てば経つ程悪化しつつあった。


 純粋なエネルギー不足と極度の落胆によって心身共に最悪のコンディションだ。扉の向こうの生存者らに抗議するだけの気力すら沸いてこない。


 いっその事空腹のあまりこのまま気絶出来ればいいのに、とすら思ってしまう兵衛だが、実際には最早空きっ腹が痛みを感じるレベルまで悪化して眠れそうになかった。


 拷問レベルの空腹に思わず身を捩る。その刹那、脇腹に硬い感触を覚えた。


 学生服の外ポケットに突っ込んでおいた代物の存在を思い出した兵衛はぐったりと横たわっていた状態から一転、ベッドの上で跳ね起きるとポケットの中身を引っ張り出す。


 そう、キャットフードの缶詰、通称猫缶である。



「かくなる上はやっぱこいつに手を付けるしか……!」



 最早獣用だとかどうでも良かった。それぐらい兵衛は食べ物に飢えていた。


 意を決して蓋に手をかける。しかしプルトップが妙に硬くて中々開かない。


 ならば文明の利器の出番とばかりに没収されずにいたタクティカルペンを使い、てこの原理でこじ開けようとした、ちょうどその時。



「何やってるんだ、お前は」



 猫缶を開ける前に仮眠室の扉が開いた。


 扉を開けた張本人、遠山剣護はレトルトパックとスポーツドリンクのペットボトルを小脇に抱えながら、必死の形相で猫缶を開けようと奮闘している兵衛に怪訝な視線を浴びせるのであった。









 三六から渡されたのは白粥だったが剣護が持ってきたのは卵粥のレトルトパックだった。


 今の兵衛には些細な内容の差異など関係なかった。一心不乱に中身をかっ込み、スポーツドリンクも喉に流し込む。



「がっつくな、後で腹が痛くなっても知らんぞ。それからさっきの救急隊員からこれも飲んでおけとのお達しだ」



 更には栄養ドリンクの小瓶まで渡された。躊躇いなく受け取って一気飲み。剣護からの忠告も耳に入っていない様子で兵衛はパックもボトルも瓶もあっという間に中身を空にしてしまった。


 空っぽだった胃が単なる水道水とは違う、各種エネルギー源や栄養素をたっぷり含んだ食物に満たされ、内側から腹を膨らませるそれらの重さと存在感が心地良く思える。数日ぶりに摂取したまともなカロリーと栄養が、即座に分解され燃料となって全身に運ばれていく様子すら知覚出来る気がした。


 使用済みのゴミと化したパックやペットボトルをテーブルの足元に置いてあったゴミ箱へ放り込む。すると剣護が兵衛を鋭く睨みながらペットボトルをゴミ箱から回収した。



「ペットボトルは飲料水を貯めるのに使うから処分はするな」


「へいへい」



 腹が満たされたお陰で精神的安定を取り戻した兵衛は、先のドタバタのせいでまともに情報を集められていない事を思い出した。ちょうど良いとばかりに剣護に尋ねる。



「なぁオイ。月が2つに増えてゾンビどもがうろつき回るようになってから4日も地面の下に閉じ込められた所までは分かったがよ、救援や外の様子なんかはどうなってんだ?」


「ハッキリ言ってどれも不明だ。電話は個人の携帯も施設の固定電話も繋がらない状態になっている。

 よくある災害時に回線が混雑して繋がり難くなってるんじゃない、回線は完全に切断され携帯の電波もまったく拾えない有様だ。電話以外にもネットやテレビの電波も同様ときている」



 剣護が懐からスマートフォンを取り出すと無造作に兵衛へと放った。反射的に受け止めた兵衛は画面を見る。


 初期設定から変更されていないらしいシンプルなホーム画面の片隅に表示された受信状態のアイコンはエラーが表示されていた。



「……記憶が確か、いや記憶ねぇんだけど、ここ(ペンタゴンシティ)って都心のすぐ真ん前にあった筈だよな?」


「だから異常なんだ。今日び大都市の目と鼻の先であらゆる電波が拾えないなどという状況なんてもの、早々に起きはすまい」



 電話やテレビだけではない。まともな商業施設や公共施設では最早置いてあって当然の、Wi-Fiの電波すら探知出来なかった。


 無遠慮に剣護のスマホを投げて返す。精密機器相手にはいささか乱暴な扱い方をされているにも関わらず、剣護は特に気分を害した様子もなく受け止めた。


 使い物にならなくてもバッテリーは節約したいのか、しっかりと電源を切った上で懐へ戻す。



「生存者や死体から回収した携帯電話やタブレット端末、救急隊や警察無線に至るあらゆる通信機器が同じ有様だった。仮に世界規模の天変地異が起きたのだとしても、これは異常過ぎる」


「まーな。電波妨害食らってるにしてもノイズぐらいは拾えっだろーよ」



 言ってから兵衛は不可思議な感覚に襲われた。何故こうもあっさりと電波妨害なんて考えが思い浮かんだのか。



「お前の処置を行ったあの救急隊員も同じ事を言っていたな」


「あのキ〇肉マンか。人の事言えたこっちゃねぇがよく分かるなンな事」


「救急隊員になる前は自衛隊に所属していたそうだ。航空自衛隊の救難員? だったか、ともかく自衛隊員だったなら軍事知識もそれなりにあるのは間違いあるまい」


「どおりで妙に良いガタイしてる訳だ」



 医療関係者にもかかわらず銃を携行していた理由も納得だった。平和な日本で実際に銃を、それも合法的に所有可能な猟銃や散弾銃と違い一般市民がまず触れる事が出来ない拳銃を上手く扱える日本市民はごく僅かだ。


 それこそ国内で拳銃の扱いを学べる立場にあるのは警官か自衛隊か――それとも犯罪者か。


 ただし、三六が所持していた拳銃は普通の警官が携行しているモデルとは明らかに違うのが兵衛には引っかかった。


 三六がレッグホルスターに収めていたのは軍用クラスの大型拳銃。普通の制服警官が通常所持しているのは38口径のリボルバーか、一回り小型のセミオートマチックである筈だ。


 隔離前に目撃した駅長室内に集まる生存者らの姿を脳内再生し、剣護へ気になった点についての問いかけを重ねる。



「コンビニで見かけた死体の中にゃ警官のも何体か混じってたが、そこの部屋で見かけた連中からは警官の持ってた装備のほとんどを見かけなかった。俺達と部屋にいる面子以外にも生き残ってる奴らがいるんじゃないのか?」


「……棗相手に見せた身のこなしといい、この状況でその目ざとさといい、貴様本当にただの学生か?」


「自分でも怪しいと思ってるよ」



 ピッキング用の針金を学生服に仕込んだ鍵開けの技能を持ち、昏睡状態の間ずっと手錠でストレッチャーに拘束されていた高校生が街中にゴロゴロ転がっている訳がない。



「察しの通り、駅長室に集まった者以外にも生存者が居るのは事実だ。

 いや、正確には居た、か。警官の死体から手に入れた装備の半分は今日の朝、外部の状況確認と救援を呼ぶ為に地上へ向かった者達が持って行った。残りは下のホームで見張りに就いている者達が交代で使っている」


「見張りだぁ?」


「外で屯しているゾンビと比べれば数は少ないが、地下鉄のトンネルからこの駅に辿り着く輩もいる。その対策だ。それでも怪我人という足手まといがいる状態では、こうして地下に籠城している方がまだ安全だがな……少し待っていろ」



 おもむろに剣護の姿が駅長室へと消える。


 彼が兵衛に対し背を向けて扉を開けた瞬間に合わせ、押しのけて逃げ出そうと試みる事そのものは簡単だっただろう。


 だが今更そうして何の得がある? 欲しかった食事は与えられたしベッドもある。仮眠室から脱出してもその先は三六を筆頭に何人もの生存者が集まる駅長室だ。どうせまた取り押さえられるのがオチである。



(それにあの色男、ずっと俺から目を離さなかったし警棒からも手を放さなかった)



 仮に奇襲をかけても即座に反応されて警棒を振るわれていただろう。そう確信できるだけの実力者である事は、会話中の佇まいもさることながらコンビニで見せた一瞬の反応からも明らかだった。


 この状況でまた無鉄砲に騒いで暴れるのは何の得もない。


 何の利益もないのであれば、余計な真似はしないに限る。







 待つ事しばし。


 腹がくちくなってきた兵衛は簡素なベッドに寝転がって剣護が戻ってくるのを待つ。ようやく扉が開く音がしたので、そちらの方へと顔を向けた。


 姿を現したのは剣護ではなかった。



「あ、あのぅ」





 蚊の鳴くような声を伴いながら仮眠室へ入ってきたのは、兵衛の食事を台無しにしたあの女だった。






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