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名前のない野良犬-1

今話より1週間連続で毎日投下を予定しています。






『戦って、死ね』 ――映画『スプリガン』






 ================








 第2回東京オリンピックから数年経った頃、その事件は起きた。



『……はい、ご覧下さい! お分かりになられますでしょうか! 東京を代表する一大シンボルであったヘキサゴンシティが、忽然と消失しております!!』



 日本屈指の財閥を流れを汲む巨大企業グループの肝煎りで東京湾に誕生した一大ウォーターフロント……


 通称ヘキサゴンシティと呼ばれる海上都市がある日突然、閃光と共に消失してしまったのである。






 かつて『東京臨海副都心』という名を与えられて東京都主導に開発が行われ、しかしバブル崩壊による不景気により失敗、頓挫寸前になった東京湾内の埋立地の開発。


 進出予定だった各企業がことごとく撤退する中で救いの手を差し伸べた救世主が、不景気の最中でもその威容を揺らがせる事なく発展し続けていた六角グループだ。


 都と国から実質開発の全権を握った六角グループは、江東区の一部を含む埋立地の開発を従来の計画より大幅に上回る規模へと拡大。


 膨大な予算・資源・技術・マンパワーを注ぎ込み、都市機能に必要なありとあらゆる施設を建造し、長い時間をかけて新たな都市を首都の目と鼻の先に広がる東京湾内に作り上げたのである。


 ヘキサゴンシティの由来は様々だ。海上都市を作り上げた六角グループにちなんだものというのが主な通説だが、空から見ると複数のブロックに分かれた埋立地が正六角形をしているからとも言われている。


 この海上都市にはあらゆる施設が存在する。


 観光客向けの複合商業施設と各種交通機関は当然の事、第2東京港と呼ばれる本土側以上の規模を誇る巨大港湾地区、海風と日光を従来よりも効率良く電力へと変換するエネルギー施設。


 当然の権利とばかりに埋立地の中心部に社屋を据えた六角グループ系列のみならず国内外の企業が集まるビジネス街、海上都市を職場とする勤め人とその家族向けの高層マンションが立ち並ぶ住宅街に学校、警察署、病院、運動場、研究施設、イベントホール……


 今や海上都市の居住者と就業人口は都心部に引けを取らず、折しも海上都市が消失したその日は商業区画の複数個所にて動員人数が数万人規模という巨大イベントが開催され、海上都市外からも大量の観光客が詰めかけていた。


 ヘキサゴンシティはまさに国土の狭さに負けぬ、技術力と経済力を秘めた日本という国家の代名詞と言っても過言ではない存在であった。


 それが突然、住民諸共消え去ったのである。


 その規模は文字通り土地ごと――そう、人工的に海を埋め立てて構築された地盤ごと、街1つが消えてなくなっていた。


 海上都市と本土を繋ぐ海底トンネルや陸橋は、消失の境界部から完全に寸断されていた。


 調査に当たった専門家曰く、自重による崩壊とも外力による破壊とも違う、まるで巨大な包丁でスッパリ断ち切られたかのような状態だという。


 人々は大混乱に陥った。万単位の人間が影も形も残さず消えてしまったのだから当然である。


 混乱は日本国内のみならず、世界中に及んだ。


 世界でも滅多に見ない現象もさる事ながら、事件発生当時海上都市で行われていた催しの中には六角グループの長年の躍進を祝うパーティーも含まれており、招待客の中に世界各国の富豪や重鎮も多数含まれていたのだ。


 対策チームが各国から日本へ派遣され合同対策本部が設立されると、彼らは事態の収拾と調査に当たる事となった。


 しかし周囲の期待とは裏腹に、消失から数日、数週間、数か月経っても、対策本部はまともな手がかり1つ得る事が出来なかった。


 テロによる破壊工作?


 近隣の仮想敵国の新兵器による攻撃? 


 都市内のエネルギー施設の暴走? 


 人工地盤の不備による崩壊? 地震による沈没?


 様々な仮説が持ち上がっては却下された。


 街1つを地盤ごと一瞬で消し去る規模の破壊行為や災害ならば、本土も甚大な被害を受けていなければならない。しかし本土側の被害は皆無も同然。せいぜいが消失に驚いた目撃者が起こした事故による二次被害ばかりである。


 海上都市の一部らしき残骸、当時海上都市内に居た犠牲者の死体が発見されていない点も謎を呼んだ。


 数千度の高熱を生み出す核兵器や火山噴火だろうが、あらゆる痕跡を消滅させる事は不可能だ。それどころかどちらも放射線や火山灰といった特有の痕跡が残る。


 が、東京湾内にそれらの存在や発生を示すデータは発見されなかった。





 ……海上都市の消失に関するある突飛な仮説が広まり始めたのは、巻き込まれた行方不明者の親族関係者らの無事と帰還を求める祈りが、諦観と絶望へと取って代わりつつあった頃である。


 曰く、『かの海上都市は箱舟であり、あの日集まった人々は選ばれた存在として約束の地へと旅立ったのだ』、と――












 タバコに火を点けた途端、口元から問答無用で奪われた。


 アスファルトに落ちたタバコはそのまま転がり、少年の手の届かない物陰へと転がって見えなくなった。


 鬱陶しくならない程度に短く刈られた黒髪の少年は、うんざりした表情でタバコを取り上げた相手を見上げる。


 二十歳にもならない見た目でありながら野生の肉食獣を思わせる壮絶な眼光に睨まれているにもかかわらず、少年よりも10歳は上だろう、重ね着された服の上からでも見て取れるほど肉感的な胸と尻を持った女性は決して怯まない。



「臭いや火を察知されて襲われたらどうするの。大体、貴方は未成年でしょう」


「今更酒だのタバコだのに歳なんか関係あるかよ」



 そう吐き捨てる。それでも注意の前半部分については思う事があったのか、彼は残りのタバコとライターを収めた紙箱を無造作にタクティカルベストの胸ポケットへ突っ込んだ。


 少年も女性も武装している。


 それも木材だとか鉄パイプだとか大工用具といった、そこいらの残骸や家屋から調達出来るようなちゃちなものではない。幾つかのパーツを組み合わせた即席の武器も一部所持しているが、彼らの主武装は銃だ。


 本体や機能拡張用の付属パーツが細かな傷で覆われた軍用のアサルトライフルとオートマティックの拳銃。血痕が所々に染みついた、弾薬や戦場で役立つ各種装備品を携行する為の戦闘ベスト。



「急がないと、もう日が暮れるわ」



 着心地と頑丈さを両立した動きやすい衣類の上からそれらを身に着けた少年と女性は警戒を解かぬまま移動を再開する。


 先に立って進んでいた女性はふと振り返ると、水平線に沈みかけた夕日を背に浴びて浮かび上がる巨大な複数の影を眺め、懐かしむような声色で囁いた。



「住民だけでも数万、あの時訪れていた観光客も含めると何十万人……それだけの人があそこ(・・・)には居たのよ。そのほとんどがあんな事(・・・・)になってしまうなんて未だに信じられないわ」


「どうでもいいね。くたばってからもうろつき回ってる連中よか、まだ生きてる俺らの事が大事だろーが」


「……そうね。今は自分達の事で精一杯なんだから頑張らないと、ね」



 歩き続ける。


 何台もの車両が放置された巨大な陸橋の上を。


 彼らの頭上、わずかに錆が浮き始めた道路標識には『ヘキサゴンシティ海上道路出口』と書かれていた。





 少年と女性がこのような境遇に至った発端は数か月前まで遡る――

 










 瞼越しに瞳へ突き刺さる光が、彼を目覚めさせた。



「……っ」



 背中に感じる無機質な硬さと冷たさ。少なくともふかふかの布団やベッドの中ではないのは確かだ。


 自分が現在どういう状況にあるのかさっぱり分からないので、まずは目玉がまともに機能しているのかどうか確かめるべく、ゆっくりと重い瞼をこじ開けてみる。


 まず目に飛び込んできた存在は規則的に点滅する照明だった。点いたり消えたりを繰り返す照明の残像が目に焼き付いて鬱陶しい。


 それでも天井のデザインや使われている材質、また耳と肌に感じる空気の流れからして、一軒家やアパートの一室とは違うと直感的に見抜いた。


 ふと、口の中に鉄錆の臭いと味が充満しているのを自覚する。舌で探ってみるとかすかに刺すような痛みを覚えた。


 これで触覚に視覚に聴覚、嗅覚に味覚と五感が機能している事は理解できた。


 次は体が正常に動くのかどうか確かめようと、小さく身をよじってみる。右の側頭部が妙に痛む。


 結果は、五体満足とはいかなかった。


 正確に言うと両足と左腕は大丈夫なのだが、右腕だけが動かそうとしても上手く動かない。感覚からして右腕がもげているとかそういうのでもなく、どうやら何らかの原因で自由に動かせない状態にあるらしい。


 彼は右腕の状態を確かめようと首を動かし、焦点を合わせる。照明の点滅に合わせて右手首の辺りが鈍く光った。



「――はぁ?」



 黒光りする手錠が彼の右腕と鉄パイプを繋ぎ止めていた。数拍間を置いて、己のすぐ横にストレッチャーが横倒しになっている事に気付く。


 察するに自分は恐らく頭部の負傷が原因で搬送が必要な羽目に陥り、手錠によって右手首をストレッチャーのフレームに繋がれた状態で搬送されていたのだろう。その途中何らかのトラブルで横倒しになったようだ。


 しかし手錠、手錠である。


 単なる怪我人ならストレッチャー備え付けの固定用テープを使えば良かっただろうに、よりにもよって手錠による拘束を受けるとはどういった理由からなのだろうか。まるで犯罪者みたいな扱いではないか。


 一体自分が何をしたというのか――そこまで考えた彼の全身を、次の瞬間不快な冷たい汗がぶわっと覆った。


 自分が何をしたのか。どうしてこんな状況に陥っているのか。


 そもそも……自分が何者なのか。






「俺は――誰なんだ」





 そう、何も思い出せなかったのである。




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