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7話 チンパンジーがシェイクスピアに進化しちゃうんでしょうね

【7話 チンパンジーがシェイクスピアに進化しちゃうんでしょうね】


 先日、水守さんが僕の部屋でメモしてみせたメールアドレス

『gate@library.babel』。

 手帳に書かれたその文字を一目みるなり、千秋さんは言ってのけた。

「これ、バベルの図書館じゃないか。へぇ、面白いね」


「……え」

「えっ!」

「ええっ?」


 僕ら訪問者三人の声が重なる。


「なんだよ。聞いてきたのは、君たちだろう」

「いや、だって。本当に知ってるなんて思わなくって」

 狼狽した挙句、敬語を使うことすら忘れてしまう僕。


「そんなに驚かれると調子狂うな。この家にも置いてあるけど、見てみる?」

「それって、僕らにも見れるものなんですか?」

「もちろん。二階にあるよ」

 ことも無げに千秋さんは言う。

 机から下ろしていた僕の手の甲に、コッペがこつんと、こぶしをあててきた。

 千秋さんに連れられて、緩やかに曲がる階段を上る。


 上階の入り口はホールのような空間になっていて、周囲のあちこちに淡い緑色の扉が見えた。千秋さんは、そのいずれの部屋にも進まず、右手に伸びる廊下を二回曲がり、最奥にある一枚の扉を開く。

「この家の書斎だ。俺が一番好きな場所」

 まだ午後の入りだというのに、カーテンの隙間から、まるで夕方みたいな蜂蜜色の陽光が差し込んでいた。千秋さんが部屋に入り窓を開けると、涼しい風とともに流れてきたセミのやかましい合唱が、あっという間に室内を満たした。


 招かれるまま、僕らは部屋に足を踏み入れる。


 室内には、背の高い千秋さんを軽く凌駕する大型の本棚が据えられていて、棚の中に所狭しと並べられた厚さも高さも不揃いの背表紙には、日本語、アルファベット、アラビア風の糸文字に、読めない漢字。そして文字もかすれた古ぼけた雑誌に、変色した封書を紐で閉じた謎の紙束。一見して規則性など微塵も感じさせず、無造作で無秩序な情報のかたまりに、僕はランダムに組まれた一万ピースのパズルを見せつけられたみたいな気分になる。


「言っておくけど、特に貴重な本は無いよ。ここの住人がそれぞれ勝手に持ち寄ったものだからね」

 ああ、だからこんなにも賑やかなのか。つまりこの書斎は、外国ハウスの個性そのものってことだ。


 千秋さんは、窓際に置かれた机の上のノートパソコンを立ち上げる。画面いっぱいに広げられたブラウザに目録アプリが表示された。

「どれ、バベルの図書館は、スペイン語版と日本語版があるね。日本語の方を出そうか」

 どういう仕組みか、千秋さんは書棚のひとつから迷うことなく一冊の文庫本を取り出し、机の上に置いた。


「アルゼンチンの作家、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの『伝奇集』。この短編集に収められている話のひとつが、バベルの図書館だ」


 真っ黒塗りの背景に、得体の知れないのおじさんの顔写真が、どピンク色で印刷された表紙は、どうにもこうにも怪しい魔術的なニオイがした。この印象は僕だけのものではないようで、コッペも水守さんも反応に困った顔をしている。メールのことを尋ねたってのに出てきたのが本だって? どういうことさ。


「その様子だと、読んだことはなさそうだね」

「どういう、お話なんですか」

 千秋さんの言葉に、コッペが口を開く。

「話そのものを説明するのは難しいけど、話の仕掛けなら教えてあげられる。簡単に言えば本で造られた迷宮の物語だ」

 そういうと千秋さんは、机のひきだしから一本の鉛筆を取り出し、コッペに手渡した。


「その鉛筆みたいな六角形の部屋を思い浮かべてごらん。部屋の中央には、鉛筆の芯のような換気のためのまるい穴があいている」

 僕は、伝奇集の怪しげな表紙につられて、ぽっかりと底なし穴の開いた薄暗い部屋を思い浮かべた。

「六角形のうち、四つの壁にはそれぞれ本で埋め尽くされた書棚が設置されていて、残りの二辺は螺旋階段のあるホールに通じている。その同じ形の閲覧室が蜂の巣みたいに、天地左右にほぼ無限に繋がっているわけだ」

「際限なく部屋が続くなら……どうやって建物の外にでるのかなぁ」

 と、手元の鉛筆をじっと眺めながらつぶやくコッペ。

「外にでることは出来ない。バベルの図書館の司書たちは、そこで産まれ、寿命が尽きたら、部屋の穴に落とされ埋葬される」

 うわ、最悪。げんなりする僕と対照的に、コッペは少し興味がわいてきたようで、

「そこには、どんな本が収められてるんですか」

 と尋ねた。すると千秋さんは答えのかわりに、

「バベルの図書館の本は全てアルファベットで表記されていて、同じ中身は二つと存在しない。さあ、考えてごらん」

 と僕らに伝えたきり、口をつぐんでしまう。けどね、この手の問題は考えるだけ無駄なんだ。なぜなら僕が思いつくよりも早く、隣から答えがでるに決まっているから。


「そっか。この世界の全ての本があるんだね」


 こういう時、何故かコッペは僕に答えを確認する。僕がお前ほど賢ければ、すぐに同意してやれるんだけど。


「そうだ。でも、それじゃ満点はあげられないね」

 千秋さんが楽しげに指摘する。これ、ひっかけ問題? 結果、正しい解答を導き出したのは水守さんだった。


「組み合わせ可能な全ての文字列が書物として収められているんでしょう? つまり、過去だけでなく未来において書かれる話も含めて」

「いいぞ。君たちは、なかなか賢い」


 やっぱり、よくわかんない。


 千秋さんが今度は僕に視線を合わせ、背中越しにノートパソコンのキーボードを適当に叩いてみせながら質問を寄越す。

「じゃあ君に質問。チンパンジーにノートパソコンを渡して、寿命が尽きるまで、でたらめに打鍵させたとしよう。チンパンジーによって偶然シェイクスピアの戯曲が書かれてしまう可能性はあるだろうか」


「……それはさすがに無理でしょ? 意味のある言葉をひとつでも打てたら驚きです」

 千秋さんは頷く。

「じゃあ、サルには無限の命があって、宇宙誕生から終わりまでキーボードを打ち続けていたとしたら、どうだろう」

 そんなのわかるはずがない。だとしたってチンパンジーに歴史的傑作(読んだことないけど)を書かれちゃ、シェイクスピアも筆を折るだろうさ。


「宇宙が終わる前に、チンパンジーがシェイクスピアに進化しちゃうんでしょうね、きっと」

 ひねくれた答え方だとは思うけど、僕一人だけわかりませんとは言いたくないからさ。

「君は視点がユニークだな。質問の答えだけれど、宇宙の歴史程度の短い時間では、まず無理だと言われている。それでも無限の時間キーボードを叩き続ければ、いずれ必ず猿の手によってハムレットが生み出されてしまうことは明らかなんだ」

 バベルの図書館の蔵書も、同じ理屈だよ、と千秋さんは言葉をつなげた。

 僕はようやく理解する。アルファベットの組み合わせが有限である以上、全ての文字の組み合わせを試せば、その中には過去から未来にいたるまでに生み出される全ての書物が含まれることになる。


 それはつまり予言の書のようなもので、今こうして僕らが千秋さんと対面している場面だって、バベルの図書館には既に収められていて誰かに読まれる日を待っているはずなんだ。そして、それをいずれ読むだろう見知らぬ誰かさんの物語すらも。


「でもね、話の中の司書たちは、バベルの図書館のどこに、どんな物語があるのか誰ひとり把握できていないのさ」

 ひどいオチだぜ。欲しい時に望む本が読めないんじゃ、ただの巨大なゴミ箱と何が違うんだ。


「だから、まあ……寓話なんだろう。そのメールアドレスの持ち主は、ネット上にバベルの図書館を築くつもりなのかな」

「それはどうでしょう。どれだけグーグルが優秀でも、無限の言葉を検索するには無限の時間が必要なはずです」

「うん、違いない」

 水守さんの指摘に、千秋さんが両手をあげた。


「あの、話は変わるんですけど」

「なんだい」

「こんな変わったメールアドレスって、どうしたら取得できるんですか?」

 そうだ、コッペ。メール自身の謎も聞かないと。

「それは取得手続きの出来る代行会社があるんだよ。お金さえだせば、君らにも取れる」

 それじゃあ、先んじてバベルのメールアドレスを取ることもできるってことだ。

「価格を見てみようか」

 千秋さんはノートパソコンのアドレス欄にhttpからはじまる呪文を直打ちしてひとつのサイトを呼び出した。そこはドメインと呼ばれる呪文の親玉を売買するマーケットだった。

「ほら、色々あるだろう。ドットダイエットにドットクラブ。ええと、ドットバベルは……」

 クリックとスクロールを二度、三度繰り返し、千秋さんは動きを止める。

「ないね。日本では売られてないのかもしれない」


 次に千秋さんは別の英語サイトを開き、またしても首を傾げる。

「そんなドメインは、この世に存在しないみたいだ」

 やっぱり。まあ、わかってたことだけどね。


「これから取られるはずなんです。私たちは、その取得相手を探してて」

「なんのために?」

 千秋さんが怪訝な顔を見せる。

「詳しくはお話できませんが、そのメールアドレス宛に八月までに連絡を入れなくてはいけない事情があるんです」

 水守さんが補足するも、未だ首を傾げる千秋さん。なんだろう。何かが食い違ってる気がする。

「ワケのわからない話だが。取り敢えず、それは不可能だよ」

「みゃっ……?」

 コッペが子猫のしゃっくりみたいな鳴き声をあげた。


 どうして、不可能なんて言い切れるの? 循環者でもない、あなたが。コッペは、そう言いたいんだ。多分。

「comやjpなんかもそうだけど、ドット以下のトップレベルドメインを自由に作ることは出来ない。必ず長い審査期間が入るんだ」


 千秋さんはノートパソコンを持ち上げて僕らに画面を示した。


「ところが前回公募のあった三年前には、バベルドメインの申請は出されていない。タイムマシンで過去でも変えない限り、そのメールをこの八月に準備することは出来ないんだよ」



 その言葉通り、画面内のリストに、babelの文字はどこにもなかった。

書き貯めはここまで。この先は週1更新(予定)で進行します。

よろしくお願いいたします。

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