5話 それ、歴史を変えちゃうことになんない?
【5話 それ、歴史を変えちゃうことになんない?】
循環者であるコッペと共に過ごし、改めて実感させられたのは、彼女が語る未来の記憶が、やけに具体的かつ立体的に聞こえることだ。
コッペに、この夏この町で起こるイベントをひとつ尋ねたとしよう。するとコッペは、同じ時間帯における、その周囲の人々の様々な行動を、まるで連想ゲームか、はたまたネットの関連リンク集をたどるみたいに順序立てて説明してくれる。
たとえば……お魚くわえたドラネコを追いかけるはだしの奥さんを見とがめた酒屋の店員さんが配達するのを忘れてしまった作家先生んちのその日の献立の内容についてだとか、さ。このことについて僕が、
「全部見てきたみたいに言うんだ?」
と聞くと、コッペからは、
「見てきたよ」
って答えが返ってきた。
二ヶ月間という周期を繰り返すことで、この町のあらゆる場所、あらゆる時間にコッペは現れることが出来る。コッペにとって気になる出来事があれば、気が済むまで何度でも情報を収集しなおして、学習することが可能なんだ。
コッペはこの町の今を丸ごと収めた図書館を頭の中に築きつつあった。
僕は辞書の中にそのことを表すのにピッタリの言葉を見つけた。こういうのを『遍在する』って言うんだって。
いつでもどこでも、あまねく存在すること。それって……神様みたいじゃん。
***★
部屋探しを翌日に控えた金曜日の放課後のことだ。
僕が教室のロッカーから、今期はお役ごめんとなった運動着を取り出していると、後ろで待ちぼうけのコッペから声が飛んできた。
「ね、ユキちゃんもネットでお部屋探ししてみた?」
「当然。してるけど、水守さんの希望条件じゃ見つかんないよ」
僕は振り返らずに答える。
「そう! 検索で出てくるの、山の上のお屋敷ばっかりだもんね」
コッペはそうやって笑うけどさ。
ただでさえ、この学校が山の途上にあるというのに、秘密基地までそれに合わせられたら、たまったもんじゃない。水守さん、もう少し庶民側に賃貸条件を振り直さないと、平地の物件は見つかんないぜ。
正直、水守さんの家探しの提案に最初は面食らっていたものの、僕は今やすっかり乗り気になっていた。でも、僕以上にこの話を契機にした奴がいる。もちろんコッペだ。
「それでね、ユキちゃんに少し相談があるの」
「なんだよ、改まって。まあ聞いてあげてもいいけど?」
校門から続く長い坂道を下りながら、僕は答えた。
「うん。えっとね、小学生の頃の『外国ハウス』のこと、覚えてるかな」
……外国ハウス! なんて懐かしい響きだろう。それは僕らの通った小学校までの通学路沿いに建っている、緑屋根の洋風木造一軒家の通称だ。毎朝、外国ハウスの扉からあらゆる国籍の人物が現れるため、当時の小学生の間では彼ら彼女らにハローと声をかけることが流行していた。それがアメリカ人でも、インド人でも、オランダ人でも、お構いなしにハロー、ハロー。
今思えばこんな適当な話はないものだ。ここは日本なんだから、『こんにちは』で良いんだってば。
それでも外国ハウスの住人たちは笑顔で手を振ってくれたものだ。ま、苦笑だった可能性は否めないけどね。
結局、その建物が近所にある私立大学の留学生向け宿舎と知ったのは、僕が中学生に上がってしばらくしてからの話で、その頃には滅多にハウスの前を通ることもなくなってしまったんだ。
「懐かしいなあ、外国ハウス。今でもあるんだよね?」
「……うん。建物はあるけど、もうすぐ売られて無くなっちゃうの」
「ふうん。あそこの管理人さん、結構なお歳だったしねえ」
そんなこともあるだろうな。
「あのね。私たちで、売られちゃう前に借りられないかなあ」
コッペは言いながら振り返り、僕を見つめる。
「なんでまた。確かに、通うのは便利そうだけど」
「お部屋がたくさん分かれていて、それぞれ鍵もかけられるし、お庭もあるし、建物も江梨子さん好みだし……」
どうして既に水守さんの好みまで把握してるんだよ。もっぺん嫉妬するぞ。
ただ、コッペのもじもじした様子を見るに、どうやら理由はそれだけじゃないみたいだ。
「なにか事情があるんだろ。きちんと話てくんないと、こっちも判断できないよ」
僕がそう告げるとコッペは今がタイミングだと判断した様子で、
「ありがとう、ユキちゃん。あのね、外国ハウスってね、オーナーさんがお婆さんだったでしょ。今は息子さん夫婦に建物を譲られたんだけどね」
うん。それで?
「譲られたご夫婦は別のお仕事もあるし、管理業をする気はなくって、去年、寄宿舎を閉められたのね。そこに奥さんのご実家の景気が悪くなって、急にお金が必要になったんだって」
「見てきたみたいに言うね」
「これは聞いてきたの」
そうかい。
「で、資金を得るために外国ハウスを売り払いたい、と」
「うんうん」
「もしかして、コッペは外国ハウスを救いたいの?」
「そう!」
「それさ、一時的に僕らが払う賃料くらいでどうなるものでもないだろ。売る時期を先に延ばすだけだ」
僕の言葉に、コッペは頷いた。
「そうなんだけど、売り先が問題なんだ」
かいつまんで話せば、こういうことらしい。
購入に名乗りをあげている土地開発業者は、日照権を気にする地域住民の反対を意に介さず、あの土地に許される制限いっぱいの高さのマンション建設を計画している。お金に困ってるとはいえ、外国ハウスに愛着ある現オーナー夫婦も、出来ればこの建物をそのまま使ってくれる人に譲りたがっている。しかし時間が足りない。せめて数ヶ月分の家賃収入くらいのお金が入れば、当面の資金繰りはできるのに、と。
「水守さんのループが終わるまでの半年間だけ、私達が外国ハウスを借りれたら、その間に別の買い手を見つけられるかもしれないでしょ」
「つまり時間稼ぎさえ出来ればいい?」
「うん。売りたくない相手に渡すより、ずっといいよ」
それは分かったよ。けどさ、ひとついいかな。
「それ、歴史を変えちゃうことになんない? ハウスを買いたがってるマンション業者にだって生活があるんだぜ。僕らが勝手に阻止していいのかな」
「……あのね。未来のために動くのって、悪いことなの? 未来って、いつだって変わるものだよ」
あれれ、なんか変だな。
「未来って言うけどさ、コッペにとっては過去に何度もあった話じゃん。過去を勝手に変えちゃダメって、よく聞くけど」
「でも私は、ループするたびに前回と繋がりの無い違う世界に来てるんだよ。前のユキちゃんと今のユキちゃんはよく似てるけど、少し違うもの」
それはわかる。僕はコッペを不覚にも可愛いと思ってしまった、奈々宮シリーズの欠陥品だからさ。僕は、頬を上気させて僕の目を真摯に覗き込むコッペから、少しだけ視線を外す。
コッペの主張はこうだ。歴史が確定した過去を変えるのはご法度かもしれないけど、まだ起きてもいない未来には、因果関係もパラドクスもない。だから未来を変えることになんの問題もないってこと。コッペが宝くじを当てても、そこに矛盾は無いのと同じ理屈だ。
……そりゃそうかもしれないね。でもさ、ほんとに、そうなの?
ただ、今の僕には、この違和感を上手く説明できる言葉がなかった。
「わかった。水守さんも納得するなら、僕はそれでもいいよ」
コッペが喜ぶことなら、僕も協力する。それだけさ。
その日の夜。グループトークで、水守さんにその事を提案すると、
『そのお話自体は、私も良いなって思う。でもその物件を私たちみんなが気に入ることを条件にさせてね』
意外にもすんなり肯定された。
水守さんも、既に知ってしまった未来に手を加えることに抵抗はないんだろうか。
『じゃあ、明日は十二時に駅前集合。契約には親の同意書が必要になると思うけど、それとお金はこちらで準備するわね』
そして休日がやってきた。駅前で合流を果たした後、僕ら三人は近くの喫茶店に移動して、ランチを食べつつ今日の行動予定を話し合う。
「送ってもらった外国ハウスの写真を見たけど、素敵じゃない。私は良いと思うな。他におうちの候補もなさそうだものね」
黒糖ミルクコーヒーの氷をストローでかき回しながら水守さんが言った。
「ただ、間取りはわからないのよね」
「私もユキちゃんも、中までは入ったことないんです。でも、留学生の人が多い時で五、六人は暮らしていたと思うから」
「それで個室に鍵付き、庭付きなんでしょう? だったらもう、言うこと無いわ」
「じゃ、あとは売られる前に僕らが借りる契約を結ばないと。オーナー夫婦の連絡先はわかる?」
「今のご夫婦に変わられてからも毎週末にお掃除に来られてるから、今日訪ねていけば会えるはずだよ」
と、コッペ。なるほど。譲り受けた息子の方にも、外国ハウスへの愛着があるっていうのは本当らしい。ならなおさら、取り壊されるところを見たくはないだろうな。
コッペが肩入れしてしまう気持ちが、僕にもなんとなくわかる。
僕もコッペも、この町が変わってしまうことに臆病なだけかもしれないけれど。
喫茶店での話し合いは以下に決まった。
僕らは売却話については知らないふりをして、外国ハウスの半年間レンタルをお願いする。通帳の預金残高を見せれば、ある程度の信用はしてもらえるだろう。水守さんが名門校に通ってることもプラスに働くはずだ。
何のために借りるのか、用途の設定は悩んだけれど、水守さんのアイデアで夏の間だけ留学生を短期ステイさせる予定があるということにした。
子供だけで部屋探しをしているのは、自分のことは自分でするという水守家の方針によるという設定だ。まあ、これに関しては実際そんなご家庭らしい。
こんなところかな? あとは、アドリブでなんとかしよう。
僕らは席を立ち上がる。
「じゃあ、行きましょう」
懐かしの外国ハウスへ。
子供だけで使える秘密基地が昔欲しかった。今もほしい。




