2話 それで、話ってなんですか
【2話 それで、話ってなんですか】
「じゃあ、この夏の活動資金を手に入れにいこうっ」
カフェの支払いを済ませ、財布の中身が心もとなくなった僕に向かって、満タン笑顔のコッペが言った。
僕に異存のあるはずもない。
ループの話を僕が肯定したことに、いたくごきげんな様子で、コッペはごく自然に僕の手を取り、モール内を先導する。
「ちょっとさあ、手を繋ぐのはやめよう。誰かに見られでもしたら」
「大丈夫。これまでの七月一日に、ここで他の誰にも会ったことないもん」
僕の抵抗を軽くいなして、コッペは僕を引っ張る力にぐんぐん加速を加える。
その姿は、やっぱり昨日までの僕が知ってるコッペとは別人みたいだ。
引っ込み思案な性格が丸ごと変わってしまうほどに、中学三年生の夏を繰り返してきたコッペ。
僕には事の真実はわからないけど、彼女の発言なら信じてみようと思った。けど、コッペの過ごしてきた繰り返す時間を自分の身に置き換えて考えることはできそうにない。
永遠に歳も取らずに夏休みを楽しめる? それって、最高じゃん。
でも多分、話はそんなに単純ではないんだろう。
強引なコッペの導きに連れられて、たどり着いたのは、一階の細い通路の奥にぽつりと設けられた宝くじ売り場だった。
「なるほど、くじが当たればループをしてる証明にもなるんだな」
「うんうん。私、当選番号覚えてるからね」
得意顔で頷くコッペ。
確かに中学生でも可能なやり方だ。
でも、ちょっと待った。
「サマージャンボの抽選は、まだ先じゃないの? だいたい、そんな都合よく当たり番号が、ここで買えるわけ?」
コッペの回答は、ぬかりない。
「そっちじゃなくってね、自分で数字を選ぶ方だったら、今日抽選があるから大丈夫なの」
彼女は、小さくピースする。
確かに『ロトくじは毎週月曜日と木曜日の週二回抽選』だと、売り場前の看板に書いてある。
そして、その看板の上には、大きな手書き文字で『キャリーオーバー発生中 現在十八億円』と、これみよがしな宣伝文句が踊っていた。わお。
売り場の横に置かれていた、七つの数字を選んで埋めるタイプのマークシートを二枚手にして戻ってくるコッペ。
「ねえ、これマジで当てるつもり? 僕一生働かなくて良くなるけど」
それこそ死ぬまで夏休みじゃないか。
「ううん、それはできないよ。今回は三等を当てるからね」
キッパリ言い切るコッペ。なんだよ、それじゃ当たりは百万円ちょっとだ。正直、大分見劣りするなぁ。
「一等なんか当てたら、人生めちゃくちゃにされちゃうよ。ユキちゃんの未来はまだまだ続くんだから、そんなのだめでしょ」
なんて物騒なことを言うんだ。
「……あのさ、もしかして以前のループで僕、なにかやらかした?」
そしたらコッペは、わずかにうつむいて、それからすぐに笑顔を浮かべて、言ったんだ。
「どの道が安全かは、私が知ってる。だからユキちゃんには、この夏を一緒に楽しんで欲しいな」
この時は、その言葉の奥底に仕舞われた意味にも気づかずに、僕はすっかりその気にさせられてしまっていた。
だって夏だぜ、そんなの楽しまなくっちゃ嘘でしょ。百万円なら、ひと夏遊ぶに十分すぎる。わかりやすい欲望を前にして、彼女の言動に感じた僅かな違和感は、僕の頭の隅の、そのまた片隅へと瞬く間に追いやられてしまう。
それに、お金だけの話じゃない。むしろこの時の僕はコッペの持つ無限の可能性に気付き、心踊らせていた。
コッペはこの先二ヶ月間に起こるあらゆる出来事を既に体験してきている。
例えるなら攻略法を知り尽くしている友達と一緒にプレイするRPG。コッペはこの夏を支配する時の女王だった。彼女が望めば何だってできるはずなんだ。
「じゃあ、数字を言うから、マークシートを潰していってね」
ランダムに聞こえる七つの数字を読み上げるコッペ。全て当ててしまっては一等になってしまうから、この中に一つだけ偽物の数字が紛れこんでいる、はずだった。
「ちょっと待ってよ。コッペの数字、僕のと一つ違うじゃん。まさか自分だけ一等当てるつもり?」
コッペは頭を振って、
「違うの。私は四等を当てるつもりなんだ」
などと不思議なことを言う。
「なんでわざわざ、さらに低い方を選ぶのさ」
四等なんて当たっても、せいぜい数万円だぜ。これから百万円を当てようとしてるのに、意味ないじゃん。
「少額なら、その日のうちに換金できるの。だから今日もらって、私と半分こしようよ」
……なるほど、そりゃ助かるよ。
つまりコッペは、僕の本日の懐事情を察して、僕のプライドを傷つけないよう慎重に気を配りながら、解決策を提案していた。
でもそんなさりげない気づかいは子供のやり方じゃないだろ。そういうのって僕の姉ちゃんみたく、つまり、大人のやり方なんだ。
コッペは少し可愛くなって、随分積極的になって、ただ、それだけだと考えていた。
でも、コッペは僕の知らない経験をいっぱいして、僕よりも、クラスの誰よりも、きっと、ずっと大人に近いところにいる。
僕は、コッペとの間に開いてしまった距離がなんだか寂しくて、でもそんな気の使い方のできるコッペを少しカッコいいなと思ったんだ。まだ小学生みたいな体型してるくせにさ。
結局、僕らは記入したマークシートをそのまま窓口に手渡し、三等と四等に変わるはずの宝くじ券と交換する。
くじの購入費は僕のおごりだと恩着せがましく提言すると、コッペはお腹の底から楽しそうに笑ってくれた。
家に帰れば夕飯の支度が始まっている頃合いだけど、くじの抽選が始まるまで、まだ三十分ほど時間がかかる。
とりあえず僕らは同じフロアにあるフードコートに移動して時間を潰すことにした。
入り口に近い席に横並びで腰掛けて、僕らはジュースを飲みつつ、短い時間の大半を笑いながら過ごした。
コッペによると、宝くじを一緒に買ったことも、初日からこんな時間になるまで僕と一緒に過ごしたことも初めてのことらしい。
「だからね、やっぱり今回のユキちゃんは特別な感じがする」
「僕が変わるはずないじゃん。コッペじゃあるまいし」
ほんの照れ隠しのつもりだった。
「そんなに私、変わったかな」
やばい。気にしてる。
「いや、いいことだと思うよ。今のほうが、断然話しやすいし、さ」
かわいいし。絶対言わないけど。話を変えるぜ。
「大体ねえ。なんで、僕のことちゃんづけで呼ぶんだよ。そこだけは、いただけない」
「あ、ええとねえ。うん」
「ふん」
「それはね」
「それは?」
「……内緒にしとく」
おい、そりゃないだろ。
「あのっ」
僕らのバカ話に割り込む声。しばらく前から向かい側の席に座って本を読んでいた若い女性がいつの間にか顔を上げて、こちらを見据えている。明らかに話しかけるタイミングをうかがっていた様子で。
「お取り込み中、ごめんなさい。少しお話させてもらえない、かな?」
多分年上。私服を着ているが高校生くらい。黙っていれば、優しげなお姉さんとでも思っただろう。でも、今のこの感じは嬉しくない。相手もかなり緊張していることが伝わってくる。
「なんでしょう?」
警戒心を隠さずに、僕は返事をする。
あなた達、さっき宝くじの売り場にいたでしょう。そのことで一つだけ確認させて欲しいことがあるの
それって、僕らの後をつけてきたってことじゃないか。まず、間違いなく売り場での僕らの会話を聞いていたに違いなかった。コッペに目を向けるが困った顔で僕と女性を交互にみているだけ。
とにかく相手の身元と目的をハッキリさせなくちゃ。
「……あの、よければ身分証をまず見せてもらえますか」
「慎重なのね。いいよ、少し待って」
目の前の彼女は安心させるように、僕とコッペに向かって微笑むと、鞄から学生証の入ったパスケースを取り出し、テーブルの上に置く。
この女性の名前は、水守江梨子。僕も名前だけは聞いたことのある、県をまたいだ隣接都市の進学校に通う高校二年生だった。
「本当にごめんね。こんな風に声かけたら驚いちゃうよね」
「それで、話ってなんですか」
そしたら、水守さんは突然目をつむり、大きく息を吸ったんだ。
「はぁー。緊張する!」
水守さんはコッペに向かって、テーブルの上のパスケースを差し出した。
「彼女の方にお願いできるかな。この中に、一昨日、私の買ったくじのチケットが入ってるんだけど」
「みゃっ。私!?」
急に話をふられて、不思議な鳴き声をあげたコッペ。水守さんに促されて、パスケースの中から一枚のロトくじ券を取り出すと、ためつすがめつ印刷の表を確認して、裏を見て、また表を確認して、今度は自分の券を取り出しはじめた。何やってるんだか。
コッペは無言で僕の半袖の裾を握りしめた。コッペの指先がわずかに震えるのを感じる。コッペは唇を固く結びチケットを、いや、チケットの向こう側にある何かを見つめていた。いやいや、まさかね。それでも。それでも、コッペの反応だけでチケットに何が書かれていたか嫌でもわかってしまう。
――これは一等の当たり券。その意味するところは、ひとつだ。
「循環者の水守江梨子です。はじめまして」
二話目です。なんとか毎回ヒキを作るよう頑張ってみます。




