Tender
――おもちゃの兵隊は道端で呪いのかけられた少女の人形を目にする。
その薄汚れて物憂げな姿を見て、おもちゃの兵隊は祈った。
「おお、魔法使いよ、どうかこの哀れな少女を救いたまえ」と。
羽田野 奏、15歳、高校一年生、英語部在籍。趣味・特技ピアノ、オルガン。
父親が作曲家、母親がピアニストという音楽一家に育った奏は、幼少の頃より音楽の英才教育を強いられた。
厳しい親ではあったが、それでも奏はピアノを弾くのが好きであった。幼い奏はピアニストであった母親に憧れ、自分も母親のようなピアニストになれるよう、自らが叩く鍵盤にその思いを乗せた。
そんな彼女はある日、突如としてピアノを奪われることとなる。正確に言えばピアニストとしての未来を奪われたのだ。
コンクールで思うような結果の出せなかった奏に、音楽科の高校への進学は難しかった。両親は「ピアノを弾くだけが人生じゃない」と言って普通科の高校への進学を促す。
ピアノが全てであった奏にとって、それは残酷な現実であった。
――私はただピアノを弾いていたかった。
高校進学後、ピアノを奪われた奏は空っぽであった。
そんな奏に英語部の先輩が声をかける。ピアノを弾ける奏に英語部のイベントでの伴奏を依頼したのだ。
最初は何となく参加していた奏であったが、優しい先輩、訪問先の小学生と触れ合うことで次第に英語部で演奏することに喜びを見出していく。いつしか英語部は奏の大切な場所へと変わっていった。
そんな奏に更なる不幸が訪れる。英語部には2年生の部員がおらず、1年生も奏だけであった為、3年生の引退とともに奏は一人ぼっちになってしまったのだ。
自分の大切な居場所を守る為、奏は奮起した。後は周知の通り、英語部に入ってくれそうな生徒に声をかけ回っていたわけである。
昂汰と誠司が英語部に入って数日、顧問である翔子は奏を含む三人を部室である視聴覚室に呼び出した。何か重要な知らせがあるようだ。
三人が視聴覚室に入ると、翔子はこないだと同じようにパイプ椅子に座り、足を組んでいた。
「さあ、あなた達、新生英語部の初仕事よ! 東成小学校への訪問が決定しました。」
それを聞いて奏は歓喜する。昂汰と誠司は何の話やらといった感じである。誠司が翔子に問いかける。
「小学校に行って一体何すんだっけ?」
誠司の問いかけに奏が不満そうな様子で答える。
「だから何回も言ってるじゃないですか! 小学生達と英語を通じて触れ合って英語の素晴らしさとか文化を知ってもらうんです! 英語の話せる佐伯君にはしっかり働いてもらいますからね!」
奏は訪問の趣旨を意気揚々と説明する。昂汰は案の定不安な様子であり、誠司は気だるそうだ。
それを見て翔子が口を開く。
「せっかくだからいい機会です。ザ・ティン・ソルジャーズの初ライブをしてきなさい。あくまでも子供達が喜びそうな曲でね。」
誠司の表情がみるみる変わっていく。あからさまに嬉しそうな顔である。
不意を突かれた奏が慌てて翔子に確認をとる。
「せ、先生! ライブって、あと一週間しかないんですよ! それに小学校で何をやれって・・・。」
「何をやるかはあなた達に任せるわ。ただしハードロックとかメタル・パンクはやめて頂戴。」
奏は困った顔をする。確かにバンドに参加するとは言ったが、まだ曲合わせも何もやったことはない。今まで小学校で弾いてきたのは童謡がほとんどであった。
「そうだな、アコギとピアノでポップな曲をやればいいんじゃないか? ビートルズとかならどうだ?」
「いいね! 家にアコースティックギターあるから持ってくよ!」
誠司と昂汰はどんな曲をやるかで勝手に盛り上がっていた。それを見て奏は気に食わない様子で顔を膨らせる。
「何勝手に決めてるんですか! 私が弾ける曲にしてもらわなければ困ります!」
「別にビートルズのレット・イット・ビーくらい弾けるだろう? 弾けなくても一週間あるんだから練習して覚えろよ。」
誠司の返答に奏はイラッとする。二人の言い合いはエスカレートしていく。
「そういう問題じゃありません! やっぱり私、あなたのことが大嫌いです!」
「ファッキン・ビッチが! じゃあ、奏は何なら納得すんだよ!?」
「え!? えーと・・・。」
誠司の問いかけに奏は答えられない。当の奏も何をやったらいいのか分からなかったのだ。
黙り込む奏に昂汰が声をかける。
「羽田野さんもやりたい曲があるなら教えてよ。英語のポップス何かわかるでしょ?」
昂汰に聞かれて、奏は恥ずかしそうな顔をする。自分の音楽の趣味をこの二人に話すのは初めてであった。
「カ、カーペンターズ・・・のトップ・オブ・ザ・ワールド・・・です。」
「いいじゃないか! ポップだし有名だから、今回のライブ向きだよ!」
「ああ、そうだな! ブリット・ポップじゃないけど、奏にしてはいい選曲だな。」
奏の予想に反して、二人の反応は意外に良いものであった。奏はハニカミ、照れくさそうな表情をする。
三人の話がまとまりかけたのを見て、翔子が安心した様子で手を叩き、口を開いた。
「それじゃ、2~3曲決めておいて。後は子供達に簡単な英会話を教えられるようにね。」
誰も予想しない形で、ザ・ティン・ソルジャーズのファーストライブが決定した。三人は次の日の放課後から早速練習を開始することにした。
★
結局今回小学校訪問で演奏する曲は、カーペンターズのトップ・オブ・ザ・ワールドにザ・ビートルズのレット・イット・ビーに決まった。
放課後三人は視聴覚室に集まり、練習を開始する。三人は協力し合い、見事な連携で息の合った演奏を見せる。
「ファーック! そんな弾き方ロックじゃねーぞ! 奏!」
「はあぁ!? だからロックなんて嫌いだって言ってるじゃないですか!」
「二人とも喧嘩はやめて! 時間がないんだから!」
・・・そう、三人は協力し合い、見事な連携で息の合った演奏ができるようになる為、練習を始めた。
元々音楽畑の違う奏は、クラシックとの弾き方の違いに少し戸惑うが、徐々に慣れていった。やはり長年弾いていただけのことはあるようだ。
練習の合間、奏は小学校訪問の件に関して誠司と昂汰に問いかける。
「ライブも大事ですが、小学生に英語や英語圏の文化を伝えるのが本来の目的ですよ。佐伯君にはきっちり働いてもらいます。それで、結城君は英語どのくらいできるんですか?」
奏のいきなりの問いかけに昂汰はドキッとした。昂汰は学業全般が苦手科目である。この前の期末テストでの真っ赤なテストの答案が頭に浮かんだ。
「あははは、洋楽は好きだけど、英語は苦手っていうか、英語も苦手っていうか・・・。」
「聞くな奏。それがデリカシーってもんだぜ。」
話の流れで奏も状況を察した。この後奏は結城 昂汰という人物を端的に表現する。
「ふーん。結城君てギター以外は何もできないダメ人間なんですね。分かりました。結城君は雑用をお願いします!」
「って、酷いよ! 確かにそうだけど!」
何だかんだで奏も昂汰、誠司と少しずつ打解けていく。三人での演奏は何とか形になっていき、いよいよ英語部の小学校訪問兼ザ・ティン・ソルジャーズのファーストライブの日がやってくる。
★
誠司が転入してきてから一月。10月となって季節は秋の色を強め、日が落ちるのも早くなる。ワイシャツやブラウス一枚であった東成高の生徒達もベストやブレザーを羽織るようになってきていた。
東成高の文化祭である東成祭を11月に控え、各クラス・部活動は出し物の準備を始めようとしている。
そんな中、たった三人の英語部バンド、ザ・ティン・ソルジャーズは文化祭でのライブ出演を目指し、近所の小学校で初ライブを行おうとしていた。
「初ライブだ。緊張するなあぁ・・・。」
昂汰は小学校の正門を前にしていつものように緊張していた。
引率として同行している顧問の翔子が職員室へ挨拶に向かう。今日三人が訪問するのは、五年生の教室だ。
学校側への挨拶を終え、英語部一行は訪問先の教室へと入っていった。教室の中では子供達が床に体育座りし、わいわいがやがやと談笑をしていた。
昂汰達が入って来るのを見て、担任教師が小学生達に静かにするよう呼びかける。教室は静まり返った。小学生達は緊張している様子だ。
「皆さんこんにちは! 東成高校から来ました英語部です。今日は私達と一緒に英語を勉強しましょう!」
奏の明るい挨拶に小学生達から多少和んだ様子で「宜しくお願いします!」と返答が返ってくる。
引率の翔子の簡単な挨拶が終わると、まずはお互いの緊張を解く為に奏から自己紹介を始める。
「東成高校一年生で英語部部長の羽田野 奏です! 趣味はピアノです。今日は皆さんが楽しく英語を勉強できるように頑張りますので、宜しくお願いします!」
奏の自己紹介が終わると、小学生達が一斉に拍手をする。一部の女子からは「かわいい!」と声が上がる。
続いて誠司の自己紹介である。いつもと同じく平然と話し始める。
「同じく一年生の佐伯 誠司です。イギリスに住んでたんで英語は普通に話せます。ファッキン・グッドな時間にしましょう。」
ネイティブスピーカーの登場に小学生達のテンションは上がる。大きな拍手が起こるが、奏が誠司に汚い英語を使わないよう釘を刺す。
インパクトのある誠司の後に、昂汰が申し訳なさそうに自己紹介をする。
「あ、あの・・・、結城 昂汰です。宜しくお願いします。」
昂汰の短い挨拶が終わり、疎らな拍手が起こる。
小学生達の緊張は解けたが、奏と誠司に興味深々の様子だ。一息つく暇もなく、小学生達から質問の嵐が起こった。
「お姉さん、彼氏いるの?」
「お兄さん、その髪型イギリスで流行ってるの?」
「イギリスにどれくらい住んでたの?」
奏も誠司もたじたじである。そんな中一人の男子児童から誠司に質問する。
「ねえねえ、ファッキン何とかって何?」
「ファッキン・グッドか? そんなのクソ素晴らしいってことだよ。ちなみにファックは・・・。」
「ちょっ! 佐伯君! ちょっと待って下さい!!」
汚い単語を平然と説明する誠司を、奏が慌てて静止する。
「別にいいじゃねーか。俺らの間じゃ常用単語だぜ。」
「よくありません! 子供たちに下品な言葉を教えないで下さい!」
そんな誠司と奏のやり取りを見て、女子児童達が更に質問を投げかける。
「お姉さん、このお兄さんと付き合ってるの?」
「はあ!? なんで私がこんな人と! 頼まれたってごめんです!」
奏は真っ赤になって反論する。質問の流れは昂汰にも及ぶ。
「じゃあ、こっちのお兄さんと・・・。それはないか。」
(え!? 酷! 小学生にも馬鹿にされた!?)
小学生の反応を見て、誠司と奏は今にも吹き出しそうである。
「誠司君、羽田野さん。笑いたきゃ笑いなよ!」
「悪い悪い。子供って言うこと残酷だよな。」
誠司は半笑いで昂汰のことを慰める。
一向に内容が進まないのを見かねて、翔子が奏に先に進めるよう指示をする。奏も時間が押しているのを思い出し、慌てて説明に入る。
「皆さん、まずは英語の自己紹介を覚えましょう。佐伯君、お手本を。」
「お、おお。マイ・ネイム・イズ・セイジ・サエキ。ナイス・トゥー・ミーツ・ユー。」
誠司のネイティブな発音に小学生達から拍手が起こる。予想外の好反応に誠司も照れくさそうである。
それから奏は好きな人とペアになり、お互いに自己紹介の練習をしてみるように指示をする。小学生達は次々にペアを作っていった。
こういうことをすると必ず余ってしまう子がいるのが世の常である。他の児童達が楽しそうにペアを作っていく中、一人の男子児童が動こうとせず、ポツンと取り残されていた。
それを見た奏が昂汰に一緒にペアを組むように指示をする。昂汰はその子の前まで歩み寄り、膝をついて話しかける。
小学生の中では見慣れないマッシュルームカットにレトロなビートルズのティーシャツを着た、少し風変わりな少年であった。
「君、ペア組まないの? よかったらお兄ちゃんが一緒にやろうか?」
「いいよ別に。クラスの奴ら音楽の趣味が合わなくて、皆俺のこと変人扱いするんだ。俺は一人でいい。」
クラスでの立場は昂汰と一緒であるが、風貌と態度は誠司の様な少年であった。昂汰は妙な親近感を覚えて、この少年のことを放ってはおけなかった。
「ビートルズ好きなのかい? お兄ちゃんも大好きなんだ。後でビートルズの曲を演奏するから楽しみにしててね。僕もギターを弾くし、あのお兄ちゃんは歌がめちゃくちゃ上手いんだ。」
「本当に! 何て曲をやるの!?」
先程まで暗い目をしていた少年の瞳に生気が宿ったようであった。昂汰は微笑み、話を続けた。
「今日はレット・イット・ビーをやるんだ。カーペンターズもやるんだけどね。君もギター弾くんだろ?」
「す・・・少し・・・。」
昂汰はその少年の指のタコを見て、ギターを弾いていることを察した。少年は恥ずかしそうに答えた。
「一人もいいかもしれないけど、ロックって皆でやった方が面白いんだ。そんな簡単なことに気付くのに、僕は15年もかかっちゃったんだけどね。」
「でも誰も俺のことわかってくれないし・・・。」
少年は下を向いて唇を噛みしめた。昂汰の脳裏に幼い頃の自分の姿が過る。
それはセピア色の記憶であった。昂汰は休み時間、一人で音楽を聴きながら、他のクラスメイト達が楽しげにはしゃいでいるのをいつも遠くから見ていた。
何の救いもない、思い出したくもない過去の姿であった。しかし誠司や奏と出会った今、昂汰にはそれすらも優しい気持ちで向き合うことができた。
「君が心から自分のことを伝えようとしないと、誰も理解はしてくれないよ。だけど分かってくれる人は必ずいるから。僕みたいにね。」
少年は昂汰に笑顔を見せて、ゆっくりと頷いた。それを見て安心した昂汰は自己紹介を始める。
「それじゃあ始めようか。マイ・ネイム・イズ・コウタ・ユウキ。ワッツ・ユア・ネイム?」
「マ・・マイ・ネ・・イム・イズ・レン・ジョウノウチ!」
二人は打ち解けて、自己紹介をし合う。奏も遠くからそれを見ていて満足気であった。
その後英語のゲームをしたり、クイズをしたりなどして楽しい時間はあっという間に過ぎていった。
そしてイベントの最後に三人の初ライブの時間がやってくる。
「皆さん。最後に英語部の三人で英語の曲を演奏します。私達はザ・ティン・ソルジャーズというバンドを英語部でやっています。有名な曲なので、皆さんも一緒に歌ってください!」
奏が曲の説明をして歌詞カードを小学生達に配った。昂汰はアコースティックギターを取り出し、誠司はタンバリンを持つ。
最後に奏がキーボードの前に立ち、演奏が始まる。まずはカーペンターズのトップ・オブ・ザ・ワールドだ。
誠司のかけ声とともに演奏が始まる。昂汰の軽やかなギターと奏の流れるようなキーボードに小学生達から声が上がる。
最初の頃にあった昂汰の演奏の固さはなく、奏も経験者だけあって、少しの期間の練習で素晴らしい演奏を披露する。
イントロが終わると誠司のボーカルが入る。英語の発音もさることながら、やはりその歌の上手さは異常であった。ノーマイクながら女性ボーカルを見事に歌い上げる。
(相変わらず憎たらしいくらい上手いですね。あんな人が歌っているとは思えません。)
奏は心の中で呟く。小学生達もあまりのレベルの高さに驚いているようだ。
「あの冴えない兄ちゃんギター上手いな!」
「羽田野さんの演奏まるでプロみたい!」
「よく分かんねーけど、あの兄ちゃん歌めちゃくちゃ上手いね!」
驚く小学生達を誠司が手を叩いて煽る。小学生達は慣れない英語の歌をゆっくりと歌い出した。
誠司はあっちこっち歩き回ってタンバリンを叩きながら歌っている。皆楽しそうである。
最後には全員がトップ・オブ・ザ・ワールドを合唱していた。まるで人気バンドのライブのようである。小学生達のまだ声変わりのしてないあどけない声が実に心地良い。
見事な一体感であった。曲が終わっても尚、小学生達のテンションは上がる。誠司のMCが更にそれを煽った。
「最高だお前ら! もっといい声聴かせてくれよ! 次はレット・イット・ビーだ!」
演奏が始まろうとしていたその時、昂汰が徐に先程のビートルズ好きの小学生、城之内 蓮に歩み寄った。
翔子に誠司や奏、クラス中の子供たちが注目する中、昂汰は蓮の前にギターを差し出した。
「君、弾けるんだろ? 君がどのくらいロックが好きか皆に見せてやるんだ!」
「無理だよ。・・・人前でなんて弾いたことがないんだ。」
昂汰は蓮の手を掴む。蓮は動揺を隠せない。
「僕だって最近まで人前で弾いたことがほとんどなかったんだ。大丈夫! 僕がついてるから!」
蓮は不安を拭えなかったが、昂汰の手に引かれて教室の前へと行った。蓮のクラスメイト達がざわつく。
「なんだ? 城之内の奴いつも生意気なこと言ってるけどギターなんて弾けんのか?」
「城之内君て何かとっつきにくいよね。」
「さっきもあの兄ちゃんしかペアになる人いなかったみたいだよ。」
昂汰の行動を見て、誠司と奏は笑顔を浮かべた。誠司は特に感慨深そうだ。
「結城君いいとこありますね。」
「コウの奴、粋なことするようになったな。こっちも負けずに演奏しないとな! 行くぞ奏!」
「言われなくても弾きますよ!」
先程とは異なり、奏の静かな伴奏で曲は始まる。落ち着いたピアノの音に乗せて誠司が丁寧に歌を歌い出す。
前半はギターは弾かれない為、昂汰は蓮の演奏の準備をする。緊張する蓮を昂汰は優しく指南した。
誠司はクラス全員に語りかけるように体を揺らし、情緒豊かに歌いこなす。
徐々に子供達からも歌声が聴こえてくる。先程よりも曲調がゆっくりで有名な曲の為、声の出もいいようだ。
子供達の声が賛美歌のような神聖な空気を醸し出した。
そしてギターの登場である。蓮は神に導かれるように自然にギターを弾き始めた。
まだあどけない手が鮮やかなメロディーを刻む。昂汰も体でリズムを取り、蓮の演奏を見守った。
蓮のクラスメイト達は、その堂々としたギタープレイに思わず声を出す。
「すげぇー! 城之内上手いな!」
「口だけじゃなかったんだ。」
「・・・ちょっとかっこいいかも。」
誠司はテンションが上がり、教室中を縦横無尽に歩き回って歌を歌う。今日の誠司はまるでミック・ジャガーの様であった。
奏も盛り上がる教室の様子を見て満面の笑みを浮かべる。翔子も椅子に座り、優しく笑っていた。
最高潮に盛り上がる中、曲はフィナーレを迎える。
曲が終わると、クラスメイト達が一斉に先程素晴らしいギター演奏をした蓮の元に駆け寄った。
「何だよ、お前凄いじゃないか!」
「他にも何か弾けるの? 今度聴かせてよ!」
「俺にもギター教えてくれよ!」
蓮は照れくさそうにクラスメイト達の問いかけに答える。先程までとは別人のようであった。
昂汰、誠司、奏の三人もその様子を見て底知れぬ達成感を感じていた。
「何だよ、俺達の初ライブなのに、全部あいつに持ってかれちゃったな。」
「あなたはいつも必要以上に目立ってるんだからいいじゃないですか!」
「とりあえず、今回の初ライブは成功だね!」
惜しまれつつも、英語部の小学校への訪問時間が終わり、英語部部員三人と引率の翔子は教室を後にする。
小学生達からは「また来てね!」だとか、「楽しかったよ!」と嬉しい声が聴こえてきていた。
そして昂汰が教室を出ると、一人の小学生が呼び止めた。
「お兄ちゃんありがとう! 今度は一緒に弾きたいな!」
蓮であった。昂汰は微笑みながら頷き、廊下を歩いて行いく。蓮は昂汰が見えなくなるまで手を振っていた。
外に出ると日は傾きかけていた。翔子が初ライブを終えた三人に労いの言葉を贈る。
「あなた達、お疲れ様。初ライブは大成功ね。こういうライブっていうのもいいものね。」
三人は初ライブの成功を喜ぶのも束の間、疲れ果てて帰路に就く。方面が同じな昂汰は奏と一緒に帰ることとなった。
夕暮れに昂汰と奏は特に会話もなく淡々と歩いていた。一緒にバンドを組んでいる中とはいえ、昂汰の女の子に対する免疫は皆無に等しい。気まずい空気が流れていた。
そんな中、初めに口を開いたのは奏であった。昂汰に今日の行動の真意を問う。
「結城君、今日はいつもと違う感じでしたね。あの男の子に対してですけど、ちょっと見直しました。」
奏の唐突な問いかけに昂汰はドキッとするが、一息ついて答えた。
「あの子は小さい頃の僕みたいだったんだ。孤独で意地っ張りでね。でもあの子には僕みたいになって欲しくなかった。できれば皆と分かり合って欲しいんだ・・・。」
昂汰の返答を聞くと、奏は上を向いて空を仰いだ。
「私、結城君のこと誤解していました。いつも佐伯君の後について、自分じゃ何もできない人かと・・・。でも本当は凄く優しくて自分を持っている人なんですね。」
「そ、そんなことないよ! 僕なんて誠司君や羽田野さんに比べたら・・・。」
奏の思わぬ賛辞に昂汰は慌てて手を振った。奏はそのまま上を向いて話し続ける。
「私・・・挫折したんです。お母さんがピアニストで、私もいつかはお母さんみたいなピアニストになるんだと漠然と思ってました・・・。でも全然才能なくて・・。音楽科の高校なんて全く手が届きませんでした。」
「・・・。」
さっきまで笑顔だった奏だが、今は上を向いて無理して笑っている様子だ。昂汰は何も言わずに奏の話に聞き入る。
「やめて改めて思います。私、本当にピアノが好きだったんです。だから英語部で少しでもピアノを弾く真似事ができるだけで凄く楽しかったんです・・・。」
自らの心境を奏は赤裸々に語った。奏の心の闇、そしてピアノへの思いを昂汰は聞く。奏が話し終わるのを待って、昂汰は口を開く。
「僕、羽田野さんの弾くピアノ好きだよ。弾いてるとき凄く楽しそうなんだ。プロのピアニストがどうとか分からないけど、上手いと思うし、何より一緒に弾いててこっちまで楽しくなるんだ!」
そう言うと、昂汰は奏の方を向き、拳を奏の前に突き立てた。奏は昂汰の方を向き、ハッとした表情をする。
「弾きたいものを弾け! それがロックだ! ・・・多分誠司君ならこう言うかな?」
昂汰は誠司の口調を真似て啖呵を切る。奏は一瞬間をおき、お腹を抱えて笑い出した。その反応に昂汰は照れくさくて頭を掻く。
「あはははは! 似てる似てる! よく見てますね!」
奏は笑い涙を流しながら歩く。昂汰の発言に過去のことをくよくよ悩んでいるのが馬鹿らしくなってきた。
小さな頃、母親に憧れてクラシックを弾いていた時も、子供たちに童謡を弾いていた時も、昂汰や誠司とロックを演奏している時も、彼女の奏でるピアノはいつだって生きる喜びに満ち溢れていた。
立場、状況、形は違えど、いつでもピアノは奏のそばにあったのである。
奏の目に別の涙が混じっているようである。奏はそれを誤魔化すように昂汰の前へ回り込み、深々と頭を下げた。
「私の居場所を守ってくれて・・・、英語部に入ってくれて本当にありがとうございました!」
昂汰は奏のいきなりのお礼に戸惑い、両手を大きく振った。
「や、やめてよ羽田野さん! お礼を言うなら誠司君に言ってあげてよ!」
顔を上げた奏は笑顔だった。手を後ろで組み、昂汰の顔を見上げる。
「あの人にはお預けです。調子に乗りますから! それから今度から奏でいいですよ。あの人だけに呼ばれるのは癪ですからね!」
「えぇぇあぁぁい!? 」
昂汰は驚いて変な声を出し、顔を真っ赤にする。そして震えながら奏の名前を口にした。
「か・・か、奏ちゃん? でいいかな?」
「はい! 昂汰君!」
――ある晴れた日の午後、少女は母の膝の上でピアノを聴いていた。
疲れてうとうとし出した少女はソファに横になる。母は微笑み、ブランケットをかけた。
母の奏でる優しいメロディーを聴きながら、少女はゆっくりと眠りについた・・・。
――呪いの解かれた少女の人形はゆっくりと立ち上がる。
彼女の見上げた空は青く、世界はどこまでも広がっていた。