The Changing Man
――魔法使いは命を得ることには、代償があるのだと説明する。
おもちゃの兵隊が代償とは何かと聞くと、魔法使いは答える。
それは「生きていくこと自体」なのだと。
土曜の午後2時、昂汰は約束した駅の入り口に立っていた。比較的広い駅前には、待ち合わせをする男女などが数多く見受けられる。ターミナル駅ということもあり、休みの日でも多くの人が行き交っている。
昂汰は持ち慣れないギターケースを背負って、Tシャツにジーンズというラフなスタイルだ。まだまだ残暑が厳しく、ギターケースを持った昂汰は、既に汗ばんでいた。普段ギターなど外には持ち出さない為、どうしても周りの目を意識してしまう。
「悪い悪い、待った?」
誠司が約束の時間より10分程遅れて現れた。フレッド・ペリーのポロシャツに細身のジーンズ、見慣れないスニーカーを履き、頭にはストローハットを被っている。英国風のモッズスタイルだ。ギターケースをこ慣れた感じで持ち、如何にもイギリスのバンドマンといった感じである。
60年代の英国ロックを語る際、モッズカルチャーは切っても切り離せない関係であろう。モッズとは60年代の英国の若者の間で起こった一大ムーブメントである。オシャレな細身のスーツやポロシャツ、ジーンズなどの上に軍物のコートを羽織り、ヴェスパやランブレッタなどのスクーターを集団で乗り回し、クラブで朝まで踊る。簡単に言えばそんなライフスタイルだ。デビュー当時のザ・ビートルズも流行のモッズスーツを身に着けていたし、ザ・フーやスモール・フェイセスなどはモッズカルチャーから出てきたバンドである。
とは言っても、当時のモッズが聴いていたのは、モダンジャズやR&Bなどであり、いわゆるロックンロールではなかった。そういった黒人音楽の影響を受け、英国ロックは洗練、多様化していく。
(あのポロシャツ、ポール・ウェラーとかブラーのデーモン・アルバーンがよく着てるやつだ。)
普段とは違った様相の誠司に昂汰は若干困惑する。思ってみれば、高校生になって友達とどこかに出かけるなんて初めてのことであった。それにファッションなど気にしたこともない昂汰には、誠司のそのシンプルであるが洗練されたスタイルはとてもオシャレに感じられた。なんだかダサくて根暗な自分とは、住む世界が違うような気持ちを覚えた。
「・・・いや、今来たばっかりだよ。それよりどこに行くの?」
「すぐそこだから、説明は後だ。さあいこうぜ!」
誠司の先導に、昂汰は焦りながらもついていく。まだどこに行くかは知らされていなかった。
(一体どこにいくんだよ? こっちは暑いのに慣れないギターなんか背負って、へとへとだよ。)
誠司の言った通り、目的地は駅から歩いてすぐの場所にあった。狭い路地を通り、着いた先は、ザ・ビートルズ、ザ・ローリングストーンズ、ザ・フーなどオールドロックのバンドが壁に描かれた何ともレトロな建物であった。
昂汰はその看板に目をやる。
「ラ・・イブハウス・・・シャラララリー!? せっ誠司君、なんだよここは!?」
「な、センスのないネーミングだろ? よっぽどスモールフェイセスが好きみたいだな。」
慌てる昂汰に、誠司は笑いながら答える。もちろん昂汰が驚いたのは、そのライブハウスの気の抜けるような名前にではなく、いきなりライブハウスに連れてこられたことに対してである。
「いっいきなりライブするなんて聴いてないよ!?」
「ははは、そうしたい気持ちもやまやまだけど、今日はスタジオを借りに来ただけだよ。ここスタジオのレンタルもやってるんだ。」
昂汰の早とちりではあったが、誠司にはどこかそういうことをしそうな危なっかしさがあった。その怖いもの知らずな行動力には痛快さがあったが、この時既に昂汰は誠司に振り回され始めていた。
「ここのマスター、ネーミングのセンスはないけど、すげー話が合ってさ、スタジオを安く貸してくれることになったんだ!」
誠司は得意気に話し始める。このことを聴いて、昂汰は安心したのと同時に、ある好奇心が湧いてきた。いつも家の小さなアンプにヘッドホンを繋いで弾くことしかできなかった昂汰は、スタジオの本格的な機材での音出しに心が踊ったのだ。
「おい誠司! ネーミングがどうだって!?」
店の奥から、50代くらいのスキンヘッドでサングラスをかけた強面の男性が出てくる。昂汰は驚き、後ずさる。
「あ、マスター! 相変わらず柄悪いな。」
誠司は動じることなく気さくに声をかけた。昂汰はその人物がここのマスターであるということは理解できたが、右往左往し、何もしゃべることができない。そんなきょどる昂汰に、マスターがどんどん近づいて来る。
「あははは、す、素敵な名前のお、お店ですね!」
昂汰は何を言ったら良いのかわからなかった。店の名前を馬鹿にされて怒っているのだと思い、店の名前を褒めるが、それでもマスターはどんどん凄んでくる。
「マスター、こいつだよ! この前言ってた、ザ・フーとかジャムが好きで、ギターやってる友達ってさ!」
一瞬身の危険を感じた昂汰だったが、誠司は気にすることなく紹介した。マスターは昂汰の前に立ち止まると、サングラスを外してにこっと笑い、昂汰に話しかけた。
「いらっしゃい。楽しんでいってね。」
「・・・へ!?」
マスターは優しく挨拶すると、店の中に戻っていった。昂汰は腰を抜かしてしまい、誠司はそれを見て腹を抱えて笑い出す。昂汰はムスッとするが、文句を言う余裕もなかった。
店頭で受付を済まし、二人はスタジオの中へと入っていく。内部は練習用のスタジオとしては比較的小さめで、白塗りの壁に床にはフローリングが敷かれており、ドラムのセットや大きいスピーカー、アンプなどが並んでいる。
初めて触れる本格的な音響機材に、昂汰は興奮を隠せない。
「凄い凄い! 本当に鳴らしていいんだよね?!」
「当たり前だろ、その為に借りたんだから。」
子供の様にはしゃぐ昂汰に、誠司は苦笑する。昂汰は早速自分のギターケースからエピフォン・カジノを取り出し、他に持ってきたエフェクターと一緒にスタジオのアンプに繋ぎ始めた。
「それじゃあ、俺も準備すっか、と。」
誠司は自分のギターケースから楽器を取り出す。リッケンバッカーのギター・ベースであった。
「よしコウ、音出しした後、簡単に合わせてみたいから、何か得意な奴を弾いてみてくれよ。」
「え!?」
スタジオの機材に興奮していた昂汰は、人前でギターを弾かなければならない現実に引き戻される。嫌であれば断れば良いだけのことであったが、既にここまで来て、やはりできませんなどと言うわけにもいかない。誠司に流されてしまった自分の浅はかさを、昂汰は後悔していた。
(とにかく、何か無難な奴をやるしかないか・・・。)
昂汰は緊張で震える手でピックを持ち、電源の入ったギターを軽くストロークする。その音はスタジオ一杯に鳴り響き、いつもヘッドホンで小さく奏でられていた音が、洪水のように押し寄せてくる。
昂汰は手を止めて立ち尽くし、その音の余韻に酔いしれる。
――初めて聴く音みたいだ。ギターってこんな音がするんだな・・・。
誠司の少し不思議そうな視線に、昂汰はふと我に返り、再びギターを弾き始める。ギターリフが奏でられると、誠司はすぐに何の曲であるかを理解する。昂汰の好きなザ・ジャムの1stシングル「イン・ザ・シティー」だ。
ザ・ジャムは70年代後期のパンク・ムーブメントの最中にデビューしたスリーピースバンドである。細身のモッズ・スーツを着こなすスタイルは、他のパンク・バンドとは一線を引いていた。初期は流行のストレートなパンクソングが多かったが、後に伝統的なブリット・ポップ、R&Bやソウルなどを取り入れ、国民的人気バンドとなっていく。
「イン・ザ・シティー」は早いギターコードから始まる、当時のパンク・ムーブメントを代表する曲の一つだ。この歌詞、メロディーともに若者の力に満ち溢れた曲を、昂汰はこれまで何百、何千回弾いてきたことだろう。昂汰にとっては特に思い入れの強い曲であった。
「イン・ザ・シティーか、ベースもリッケンバッカー持ってきたし、調度良かったかな。」
機械のような正確さで高速でコードを刻む昂汰を見て、誠司がベースのストラップを肩にかける。
ザ・ジャムのデビュー当時、ギターのポール・ウェラー、ベースのブルース・フォクストンが使用していたのはともにリッケンバッカーだ。リッケンバッカーで一番有名なのは、やはりザ・ビートルズのジョン・レノンであろう。彼が使用していた影響で、イギリスでは数多くの著名なミュージシャンがリッケンバッカーのギターを愛用していた。
誠司のリッケンバッカーの弦が野太い音を立てて弾かれると、再び昂汰に音の洪水が、今度は地響きを伴ったかのように押し寄せてくる。昂汰はギターを弾きながら、これまでにない高揚感に浸っていた。
(・・・これがグルーヴってやつなのかな?)
この3分足らずの曲を昂汰は全力で弾ききった。まるでランナーズハイにでもなったかのような感覚であった。これは昂汰が初めて体験することというのもあったが、純粋に誠司のベースがとんでもなくうまかったというのも大きな原因である。
「やっぱり俺の予想通り、コウかなり弾けるな!」
「いやいや、誠司君こそ凄いじゃないか! さすがロックの本場でバンドを組んでた人は違うな。」
昂汰は照れくさかったが、ストレートに褒められて悪い気持ちではなかった。不安は完全には晴れなかったが、それより色々な曲を引いてみたいという好奇心が勝った。
お互いの好きな曲を数曲合わせると、二人は喉が渇いて外に飲み物を買いに行く。スタジオの外に出ると、カウンターでマスターと中年のバンドマンらしき男が、何やら困った様子で話し込んでいた。
「今日のイベントに穴は空けられないんだ。とにかくまだ時間があるから、代わりを探してきてくれ。」
「そんなこと言っても、こんな時間からギターとベース両方を見つけるのなんて無理です! 今回は勘弁して下さい。」
どうやら、今日のライブに出演する人らしい。急遽メンバーが足りなくなって困っているみたいだ。
昂汰が何もなかったように通り過ぎようとすると、誠司は不敵な笑みを浮かべてマスターとその男の方に近づいていく。
「マスター、ヘルプが必要なの? おじさん、今日は何をやるんだい?」
何やら誠司がマスター達と話を始めた。離れていてよく話が聴こえないが、昂汰は嫌な予感がした。
しばらくして話に折り合がついたようで、誠司が昂汰のもとに戻ってきた。
「ファンタスティックだ、コウ! 今日の夜のギグに出演できるぞ。」
戻ってきた誠司が満面の笑みを浮かべ、昂汰に伝えた。昂汰はまだ状況がよく理解できていない。
「凄いじゃないか誠司君! それじゃ、今日は僕も見ていくよ!」
「何言ってんだ。お前も出演するんだよ! ギターとベースが急な仕事で来れないんだってさ。曲もフーみたいだから、二人とも余裕ですって言っといたぜ! お前もライブデビューだ!」
「・・・そうか、確かに余裕・・・って、ぼぼぼっ僕が出演!?」
昂汰の嫌な予感は最悪の形で的中してしまった。誠司はその日の重要なイベントライブのヘルプを引き受けてきてしまったのである。しかも自分だけならいざ知らず、昂汰の出演まで勝手に決めてきてしまったのだ。
「ほらさ、俺だけ出ても、ギターいなかったら、いずれにしても意味ないだろ? マスター達もすげー喜んでたぜ。」
「むむむ無理だよそんなの! ほとんど人前で弾いたことない僕が、いきなりライブなんてできるわけないよ! 頼むから勘弁してよ!」
昂汰が慌てるのも無理はない。どこの世界に生まれて初めて来たライブハウスで、いきなり演奏する破目になる少年がいるだろうか。誠司にとってはラッキー以外の何ものでもなかったようだが。
「そうか・・・、お前も出たがってるって言っちゃったからな、このあとすぐリハって言ってたしな。今からやっぱり無理でしたなんて言ったら、あのおっさんとマスターに殺されちゃうぜ?」
(はっ・・・ハメられた!?)
昂汰はあの強面のマスターの顔を想像し、顔が青くなった。そもそも誠司が一人で勝手に決めてきたことなのだ。それを説明すれば許してもらえそうなものだが、昂汰にそこまで考える余裕はなかった。
「・・・誠司君、もし出たとしてもまともに弾けるかどうかわからない。どっちにしても迷惑かけちゃうかもしれないよ。」
昂汰はもう逃げられないと思い、覚悟を決める。人前で弾くと言っても、自分のことを知らない人しかいないのだ。どんな酷いことになっても今日限りだ。そう自分に言い聞かせた。
「大丈夫だ。ギタリストっていうのは頭より先に指が動く生き物だからな。体が覚えてるよ。オーディエンスが俺達を待ってるぜ!」
昂汰はこの時確信する。誠司は天然なのだと。しかし、この悪意のない誠司の前向きな言葉を、昂汰は心強くも感じた。
★
ライブハウス・シャラララリーは、古いUKロックのコピーバンドを中心に、いわゆるおやじバンドなどが多数出演する箱である。客の年齢層も比較的高く、一般的に想像されるライブハウスというよりは、ロック好きの大人が集まるパブといったところである。
この日シャラララリーでは、「英国三大バンドの祭典」というイベントを開催予定で、昂汰と誠司がヘルプで出るバンドを合わせて、いくつかのバンドがザ・ビートルズやザ・ローリング・ストーンズ、ザ・フーなどの曲を演奏する予定だ。
昂汰と誠司がヘルプで参加するバンドは平均年齢30代後半のサラリーマン達が趣味でやっているバンドだ。バンド名は「ピンホール・ウィザーズ」。編成は4人で、先ほどマスターと話していた男がボーカルの新藤さん、それにドラムの井上さん。他にリードギターとベースがいるのだが、今日は急な仕事で来れなくなってしまったとのことである。
ライブの開演が迫り、出演するバンドがリハーサルに入っていく。昂汰達のバンドの順番は一番最後であり、昂汰はドキドキしながら順番を待つ。
「コウ、俺たちヘッドライナーだぜ! こりゃあ出る甲斐あんな。」
「・・・。」
不安の隠せない昂汰をよそに、誠司はわくわくが止まらないといった感じだ。しかし今の昂汰には、誠司の天然ぷりを気にかける余裕もない。
いよいよピンボール・ウィザーズの順番が回ってきた。新藤さん、井上さんが昂汰達にセッティングの指示をする。
慣れない手つきでセッティングする昂汰に誠司が声をかける。
「大丈夫だ! 曲も全部わかるし、お前と俺ならきっと余裕だ。」
「・・・う・・うん。」
今回昂汰達が演奏するのは、ザ・フーの楽曲だ。「キッズ・アー・オールライト」に「マイ・ジェネレイション」、「サブスティチュート」、「ピンボール・ウィザード」といずれも名曲揃いである。
ザ・フーはザ・ビートルズ、ザ・ローリング・ストーンズと並び、英国の三大バンドに数えられる偉大なグループである。初期は流行のモッズカルチャーを前面に出したバンドであったが、後にロックオペラなど斬新な表現手法を確立し、英国を代表するバンドとなっていく。 ピート・タウンゼントの腕を振り回すギター奏法やキース・ムーンの破天荒なドラムプレイが有名である。ちなみに「ピンホール・ウィザーズ」の名前の由来も、ザ・フーの楽曲のパロディーだ。
ドラムのスティックを叩く音とともに演奏が始まる。新藤さんの歌は中々で、井上さんのキース・ムーンを真似した破天荒なドラミングもいい味を出している。誠司のベースの上手さには、周りの大人もぎょっとした。昂汰は相変わらず緊張した面持ちであるが、周囲に合わせてギターをプレイする。体の手以外が硬直状態で、それでも正確にビートを刻む昂汰は、宛らロボットのようであった。
曲の合間にそれを見かねて、新藤さんと誠司が昂汰に声をかける。
「結城君、演奏は問題ないけど、もう少しリラックスした方がいいよ。」
「コウ、緊張するのもわかるけど、本番はもっと楽しめよ。」
顔の強張る昂汰に気を遣っての言葉であるが、無理な話だ。昂汰は恥ずかしさと、間違ってはいけない使命感で心が一杯であった。
リハーサルが終わってイベントが開演し、次々に観客がライブハウスに入ってくる。レンガ調のレトロな壁に丸いテーブルが並び、そのテーブルを囲んで観客は酒などを飲んでライブを楽しむスタイルだ。
やはり年齢層は高めで、30代~50代が中心のようだ。その中に混じって、10代~20代の男女がちらほらと席に着いていく。
昂汰は何だか場違いな雰囲気に苛まれたが、誠司は楽しそうに、入ってきた観客を見物する。
「うーん、やっぱりおっさんばっかだな。あ、あのねーちゃんかわいい!」
誠司はやはり全く緊張している様子はない。それどころか、客が入るにつれ、どんどんテンションが上がっている感じだ。
時間となり、演奏が始まる。最初はザ・ビートルズのコピーバンドからの演奏だ。「アイ・ウォント・トゥー・ホールド・ユア・ハンド」、「カム・トゥゲザー」、「レット・イット・ビー」など名曲が演奏されていく。観客の盛り上がりも上々だ。
誠司は演奏される曲を口ずさみ、体を揺らしてリズムをとっている。
曲順が進んでいくにつれ、昂汰の緊張は増していくばかりだ。
ザ・ビートルズ、ザ・ローリングストーンズのコピーバンドの演奏が終わり、ピンホール・ウィザーズの順番が回ってくる。
ライブハウス・シャラララリーの名前は、ザ・フーと並ぶモッズを代表するバンド、スモール・フェイセスの楽曲名が由来だ。マスターは大のモッズ好きで、このイベントの鳥にザ・フーを持ってきたのも、彼の好みによるところであろう。それだけピンホール・ウィザーズの役回りも重要であった。
前のバンドが撤収を始めると、ピンホール・ウィザーズもステージの用意に取りかかる。
昂汰は緊張のあまり、一瞬出遅れ、小走りで誠司たちの後を追う。その時であった。
「あれ!?」
昂汰はステージの段差に足を取られ、凄い勢いで転んでしまう。何とかギターはかばったが、狭いライブハウス内は騒然とする。
「あははは、なんだあいつ、今思いっきりこけたぞ!」
「緊張しすぎじゃねーの。」
「なんだかあいつ場違いじゃねー?」
昂汰は誠司に手を借りて立ち上がるが、騒ぎたつ会場に赤面してしまう。
誠司は落ち着いた様子で、微笑みながら昂汰に語り掛ける。
「演奏前から盛り上げてどうすんだよ。大丈夫か?」
「大丈夫じゃないよ! 心臓がはち切れそうだよ!」
「そうじゃねーよ。」
誠司は徐に昂汰の左手を掴み、自分の顔に近づけて念入りに確認をする。
「どうやら大丈夫そうだな。指はギタリストの命だぜ。大事にしろよ。」
「う・・・うん。」
このやり取りで少し落ち着いた昂汰は、演奏の準備を終える。
少し時間が押してしまっていた為、新藤さんが急ぎ足でMCに入る。
「皆さんお騒がせしました。本日は若く有望な将来のロックスターが二人ゲストで参加しています。我々ピンホール・ウィザーズはご存知の通り、ザ・フーのコピーバンドです。こちらの眼鏡の彼も、先程はザ・フーのステージパフォーマンスを真似して、楽器を壊すのを待ちきれなかったようです。もう少しで演奏する前に全部壊してしまうところでした。」
新藤さんが上手くMCでフォローすると、騒然としていたライブハウスからは、和やかな笑い声が聴こえてきた。
MCの通り、ザ・フーは破壊的なステージパフォーマンスで有名だ。ボーカルのロジャー・ダルトリーはマイクを振り回してキース・ムーンはドラムセットをぶち壊し、ピート・タウンゼントはギターでアンプを叩き壊す。一人黙々とベースを演奏するジョン・エントウィッスルの姿がシュールであった。
MCが終わると、ドラムの井上さんがスティックを叩き、一曲目の「キッズ・アー・オールライト」が始まる。ザ・フー最初期のポップなナンバーだ。
昂汰のギターストロークを皮切りに、皆がそれぞれの演奏を始める。井上さんはリハーサル以上に破天荒にドラムを叩き、新藤さんはコードを掴んでマイクを振り回す。
「ドラムの奴、よく真似してるな!」
「ボーカル、マイク壊すなよ!」
「あのベースの子、若いのに上手いな!」
ピンホール・ウィザーズの演奏に会場が沸き立つ。誠司のベースはやはり目を引くようだ。昂汰は正確にプレイしてはいたが、相変わらず直立不動で手だけが動いている。
一曲目の演奏が終わり、会場は更に盛り上がる。
「いいぞ! 早くマイ・ジェネレーションをやれ!」
「ベースの子、かわいい!」
「うおおお! ピンボール・ウィザード聴かせろ!」
大体は歓声であったが、中には心無いヤジも飛んでくる。
「ギターの奴、ザ・フーだったら腕でも振り回してみろ! お前だけつまんねーぞ!」
「ちょっと止めなよ! かわいそうじゃない。」
酔っ払た30代くらいの男が、昂汰のギタープレイに文句をつける。一緒にいた若い女性が、見かねて止めに入った。
昂汰はその男の言動に動揺し、足が竦んでしまう。誠司と新藤さんは、「気にするな」というような表情で昂汰を見た。
不穏な空気が漂う中、2曲目もポップなナンバーが続き、「サブスティチュート」の演奏が始まる。皆先ほどと同じように無難に演奏をこなすが、昂汰は動揺を隠せなかった。先程までの機械の様な正確な演奏も、どこかたどたどしい様子になってしまう。
(小学生の頃から弾いてる曲なのに、なんでこんなに上手く弾けないんだ!?)
何とか演奏を終えるが、メンバー達は昂汰を気遣う。会場からも心配そうな声が聴こえてくる。
そんな中、先程ヤジを入れた酔っ払いが、再び昂汰に絡んでくる。
「なんだお前、ちゃんと練習して来いよ。たまたまただでチケットが手に入ったから来てみたら、あんなオタクくせークソガキの演奏聴く羽目になるとはよ~。・・・ヒック。」
「あんた酒飲みすぎだよ。いい加減にして!」
「ただでさえこんな古臭いロックなんか好きじゃねーのに、あんなクソガキのつまらねー演奏で退屈な音楽聴かされて、余計最悪だぜ。」
同伴していた女性が止めに入るが、その男は泥酔しており、好き勝手言い始めた。
周りの観客たちもムッとしたが、それ以上に友達を馬鹿にされた誠司が怒りを抑えられなくなる。
「ファッキン・クレイジー・ガイ、演奏はそんなに悪くない! それ以上言うと、お前の頭ギターでかち割るぞ。」
誠司は耐えかねて、その男の方に足を踏み出す。ステージを降りようとする誠司の体を、昂汰の腕が静止した。
「おい、コウ・・・?」
誠司の行く手を止めた昂汰は、下を向き何やら小声でブツブツと言っているようだった。誠司はいつもと何か違う昂汰の様子に冷や汗を流す。他のメンバーも唖然としている。
「・・・冗談じゃない。・・・ザ・フーも・・・60年代のロックも最強だ。ロックが一番力を持っていた時代の音楽だ。僕は馬鹿にされてもいい、だけどお前なんかに・・・、この音楽を馬鹿にされる筋あいはない!」
昂汰はそう言い終えると、上を向いて深呼吸を一回した。再び前を向いた昂汰の目つきが明らかに変わった。
60年代・70年代の特に英国ロックは、昂汰にとって聖典と言っても過言でないほど大事なものであった。そんな大事な聖典を自分の演奏が原因で汚されてしまったことに、やりきれない憤りを感じた。
(激しいのが聴きたいんだろ、だったら聴かせてやるよ!)
昂汰は何かに取付かれたように、凄い勢いでギターのアンプやエフェクターの歪み、音量などを調整し直す。まるで心に火が点いたようであった。
誠司や他のメンバーは、昂汰のあまりの急激な変化に声をかけられなかった。会場も騒然とする。
「なんだあいつ? ヤジ入れられて、頭でもおかしくなったのか?」
酔っ払いは昂汰に絡むのを止めようとしない。一緒にいた女性も何とか黙らせようとするが、この男は何とも酒癖が悪い。
「お客さん、他のお客さんの迷惑になるんで止めてもらえますか?」
見かねたマスターが酔っ払いを止めに入る。柄の悪い大男が低い声で凄んできた為、酔っ払いの顔は一気に青ざめる。
「は・・はひ!」
全ての調整を終え、ただ立ち尽くすメンバーに昂汰が声をかける。
「お待たせしました。時間ないですよね? 次の曲お願いします。」
「お、・・おう。」
状況を今一呑み込めない新藤さんが、井上さんに合図をする。ドラムのスティック音から再び曲が始まる。ザ・フー初期の代表曲「マイ・ジェネレーション」だ。ポップなナンバーが続いたが、ここにきて激しいロックなナンバーである。
ライブハウスにギターの轟音が響く。先程とは打って変って、前傾姿勢になった昂汰は手を大きく振って、激しく弦を弾いた。ボーカルが入っても、ギターの激しさは増していく。
「あれ? この曲のギターって、こんなにヘビーだったっけ?」
「ていうか、スゲー上手くねーか?」
「さっきとは別人だな。速いし上手い。」
「なんか原曲とは違う気がするけど、いいぞー! もっとやれ!」
観客は一瞬その急激な変化に戸惑うが、その後驚きと賛辞の声がライブハウスを飛び交う。そして一部の客が「トーキング・バイ・マイ・ジェネレーション」とコーラス部分を歌い始める。
昂汰のギターは留まることを知らず、歌と歌の合間にオリジナルアレンジのギターソロを組込む。速い手捌きから、とろけるような、官能的な音が流れる。昂汰は暴走していたかもしれないが、それは他の演奏者のことも考慮され、曲が壊れない絶妙な範囲で行われていた。
「なるほど、そういうことね。やっぱお前最高だよ! 俺も負けてらんねーな。」
誠司はしばらく昂汰を静観していたが、その鬼気迫る演奏に触発され、誠司にも火が点く。
昂汰の激しいギターに誠司の速弾きベースが答える。二人の気迫に後押しされるように、井上さんのドラムも新藤さんのボーカルも勢いを増す。昂汰はピート・タウンゼントの様に腕を振り回して観客を更に煽る。いつしかライブハウス中の観客が「トーキング・バイ・マイ・ジェネレーション」とコーラスを熱唱していた。
メンバーそれぞれがこの日最高の演奏をして、3分ちょっとの曲はあっという間に終わった。ライブハウス中が歓声に包まれる。
「すげー! こんなマイ・ジェネレーション初めてだ!」
「早く次の曲聴かせてくれ!」
先程昂汰に絡んできた酔っ払いも大人しくなり、申し訳なさそうに拍手している。
曲が終わり、ふと我に帰った昂汰に、誠司が肩を掴んで微笑む。
「ファッキン・ナイスなプレイだったぜ。一体どうしたんだよ?」
「・・・分からないよ。でも何だか魔法にかけられた気分だ。」
元々一人でギターを弾くことしか趣味の無かった昂汰は、好きなバンドの曲は全て完璧に覚えてしまっていた。昂汰は自分なりのギターアレンジを加えて弾くことを、既に暇潰しとして行っていたのだ。
まさかこんなところでぶっつけでやることになるとは思わなかったが、暴走した昂汰は理性が吹っ飛び、インシュピレーションのまま自分のギターを弾ききった。
そんな二人に新藤さんが安心した様子で話しかける。
「君達がヘルプで出てくれて本当に良かった。いよいよ最後の曲だ。程々に頼むよ。君たちの若いパワーには、ついていくのが手一杯だ。」
演奏は完全にギターとベースがボーカルとドラムを食ってしまっていたが、新藤さんも井上さんも、かつてないほどの盛り上がりに満足していた様子であった。嬉しい悲鳴である。
そして最後の曲、ピンホール・ウィザーズの名前の由来にもなっている「ピンボール・ウィザード(邦題は『ピンボールの魔術師』)」の演奏だ。昂汰は落ち着いた様子でギターを弾き始める。
「ピンボール・ウィザード」はロックオペラ「トミー」の中の一曲だ。ピンボールの達人である主人公トミーの姿を、他の若者の目から描いている。
曲は物憂げなギターソロから始まり、ボーカル、その他の楽器が入り、煌びやかな曲調へと変わる。
ロックという魔法にかけられた少年が、魔術師の如きピンボールの達人トミーの姿を奏でる。
昂汰のギタープレイは前曲と同様神懸っていた。誠司のベースも負けてはいない。バンド名の由来となった曲ということもあり、新藤さん、井上さんの演奏にも気合が入る。
観客の熱も冷めやらぬままであった。皆が楽し気にサビ部分のコーラスを口ずさむ。昂汰と誠司は最後にハイジャンプをきめ、演奏は大歓声のうちにラストを迎えた。
★
その後熱烈なアンコールに答えて、「サマータイム・ブルース」を演奏したが、昂汰はよく覚えていなかった。新藤さんと井上さんは昂汰と誠司に感謝し、「また一緒にやろう」と約束した。口には出してなかったが、マスターも昂汰のプレイを大いに気に入ったようだ。
この日はまるで夢のような一日であった。昂汰はライブを終えても尚、これが現実に起きていることだとは信じられなかった。またあんな演奏ができるかは、今は分からない。「一夜の英雄」、「ひと時の夢幻」、様々な言葉が浮かんだが、この日はまだ始まりであったのかもしれない。
全てが終わった夜、うす暗い電柱の明りが照らす帰り道で、誠司は昂汰に「一緒にバンドを組もう」と告げる。昂汰は一瞬戸惑うが、少し間を置き、笑顔で深く頷いた。
――魔法はかけられた。命の宿ったおもちゃの兵隊は、その小さな足で歩き出す。
この先数多の困難が彼を待ち受けていることだろう。
それでも彼は歩き出した。まだ見ぬ世界に思いを馳せながら。