逃れの町
暗く立ちこめた、どんよりとした空気が、一瞬揺らいだようだった。今日もまた時間通りに、逃れの汽車がこの町にやってきたのだ。
一日一回決まって午後四時にやって来るその汽車は、乗客を降ろすと一刻も早くこの町から離れようと、動力機関に出来る限りの燃料を送り込むと、全速力で元来た道のりを戻り始めた。
さびれた駅前には降ろされた乗客が二人、ぽつんと佇んでいる。
僅かに揺らいだかに見えた空気は、二人を包み込むと、また元の暗く立ちこめる無表情の状態に戻った。
二人は辺りをキョロキョロと見回しながら、何かを探しているようだった。
「おい、トム、ここが逃れの町なのか? 何だか普通のさびれた町みたいだな。なぁ?」
トムと呼ばれた男は、ズタ袋からくしゃくしゃの地図を取り出すと食い入るようにそれを眺めていたが、呟くように言った。
「ああ、どうやらそうらしいな。ハハ、とにかくここに居りゃあ、命だけは保障されるってんだから感謝しなきゃあな」
感謝という言葉とは裏腹に、今にも泣き出しそうな顔で、トムは地図をズタ袋に突っ込むともう一人の男に向かって
「ジェリー、俺達、今日からここで暮らさなけりゃならねえんだな。でもよ、見ろよこの町を。この町の空気自体がどんよりとしやがって。まるで古井戸の底に降り立ったみてえだ。心なしか町の匂いもカビ臭えや」
「まぁ、そう言うなよ。ここに来なけりゃ、いつまでも命を狙われるんだからな。考えてみりゃ変な時代になったもんだぜ。だけどよ、アレは本当に不可抗力の事故だったんだぜ? なぁ、お前もそう思うだろ?」
ジェリーと呼ばれた男は人の良さそうな顔を曇らせ、その出来事を思い出すかのように、どんよりとした町の空気の中にその視線を漂わせた。
「ああ、だからこそ、この町送りって事になったんだろ? あの出来事から僅か半年だというのに、何回命を狙われたか、お前覚えてるか? 俺はハッキリ覚えてるぞ。少なくとも俺が気づいただけで三回は狙われたんだ」
「ああ…俺もだ…」
トムはジェリーの返事を聞きながら、ズタ袋を担ぐと正面に見える建物に向かって歩き始めた。ジェリーは少し遅れながらもトムの後に従った。
その建物は、まさにさびれた町のさびれた建物という感じで、昔観た西部劇の、インディアンに襲われた後のサロン、という印象を二人に与えた。
正面の半分壊れかけたドアをノックしたが、誰も答える者は居ない。二人はお互いに顔を見合わせると暫くの間そのドアの前で躊躇していたが、トムが意を決したかのようにドアを開けた。
部屋の中は薄暗く、何年も掃除をした事の無いような有様で、湿った埃だらけの床と、ひび割れた壁が、陰鬱な雰囲気を漂わせている。部屋の真ん中に古ぼけた机と椅子が一組ぽつんと置かれており、机の上には呼び鈴が、これだけは周りとはそぐわないピカピカの真鍮製の立派な物が、その存在を誇るかのように、でんと乗っていた。
開けたドアから部屋の中に入り込んでくるどんよりとした空気と、部屋の中に元から存在していた澱んだ空気とが、互いにゆっくりと絡み合って聞こえない悲鳴を上げているかのようだ。
「誰も居ねえのかな? おい、トム、確かここでこの町での登録をするんだったよな。駅を降りてすぐ目の前の建物って言やぁここしかねえし…」
「ああ、ここに違いねえさ。それにしてもこの部屋といい、この町自体といい、本当にヤな雰囲気だぜ」
トムは後ろ手にドアを閉め、呼び鈴を軽く二回鳴らすと、机の向こう側に見える隣の部屋のドアをじっと見つめた。
「はい…ちょっとお待ちくだされ。今、手が離せないんでな」
しわがれた老人の声が隣のドア越しに響くと、再び部屋の中は重苦しい空気に包まれ、トムとジェリーの吐き出す息だけが、かろうじて二人の周りを循環しているかのようだ。
「やっぱりここでいいのか。それにしても変だよな。この町には毎日決まって午後四時に、あの汽車が着くんだろう? 俺達みてえな乗客を運んでさ。そいでその乗客達が皆ここで手続きをするって事になると、もう少しこの建物自体もしっかりしていてもいいもんだがな。床が埃だらけで壁もひびだらけ。入り口のドアときた日にゃ、半分壊れかけてるとなると、こりゃ何かあると思わざるを得ねえぞ」
「ちょっと黙ってろよ。それよりジェリー、お前、ここに来るにあたっていくら持ってきた? 俺は銀五十シケル持ってきた。あの出来事の後、ろくに仕事が出来なかっただろ? だからこれが精一杯よ」
トムはズタ袋の中から巾着を取り出すと手の平に乗せ、軽く振って見せた。チャリ、チャリという音がやけに虚しく響いた。
それを見たジェーリーも懐に手をやり、財布を取り出すと中身を数えながら言った。
「俺だってあの後ろくに仕事はしてねえさ。それに家の奴らに責めてもの事をしてやろうと思って稼ぎは殆んど置いてきたからな。今俺の手元にあるのは銀二十シケルがいいとこさ。ところでよぉ、ここの町でもこのゼニが使えるのかな?」
「なぁに、ゼニは銭さ。地獄の沙汰も金次第って言うだろ? 特にな、小役人にはこれが一番効くんだ。いいか、良く見てな」
トムは巾着から銀十シケルを取り出すと、残りをズタ袋に大切そうにしまい込んだ。
丁度その時だ。隣の部屋のドアが軋んだ音をたてながらゆっくりと開いて、全身黒ずくめの老人が姿を現した。
「おお、今日はお二人さんかい。で、お前さん達は何をしたんじゃ? まぁ、聞かなくてもここに来る奴らは人殺しと相場は決まっておるがね。で、セクションは何じゃ? お前さん達の人相から言うと、そうじゃな、交通事故ってとこかね」
老人の表情は深くかぶった頭巾によってまるで分らなかったが、笑っているようだった。トムとジェーリーは顔を見合わせると、作り笑顔を浮かべながら老人に話しかけた。
「お、俺達のした事がもうこちらでは分っているんで? 手続きはまだしてねえってのに…」
「あの、俺達…」
「いやいや、これはすまなかった。今のはお決まりのジョークじゃよ。お前さん達、何も聞かされてないみたいじゃな? ここの町はな、同じ様な六つあるうちのひとつでな、交通事故で相手を殺めた者専門なんじゃ。まぁ、言うなればノーマルな町かの。いや、逃れの町にノーマルという言い方はおかしいかもしれんが」
老人は含み笑いをしながら椅子を引き寄せ、座り、続けた。
「あ、そうそう、まず最初に言っておかなければならん事があるんじゃった。ここでは今までの社会生活とは無縁だと思って欲しいんじゃ。そうじゃな、お前さん達の言い方で言えば、隠遁生活をするつもりでいて欲しいって事じゃね。ああ、そっちのアンタ、ここじゃゼニは何の力もありゃしないよ。まぁ、思い出にとっておくだけが関の山じゃな」
トムは慌てて手にしていた銀十シケルをズタ袋に突っ込むと、老人の機嫌を伺うように訊ねた。
「あの、ゼニが何の力も無いってどういう事なんで? それに今までの生活とは無縁てなぁどういう事です? 俺達が聞いているのは、ここに来りゃ命を狙われる事無く生活が出来るって事だけで。第一、俺達はここでは何の仕事をすりゃいいんです?」
老人は暫く黙っていたが、溜息をひとつつくと
「まったく本部の方も勝手なもんじゃて。お前さん方、本当に何にも聞かされてないのかの? ここに来れば命が狙われないって事の他には本当に…う~ん、あのな、あんた方、えーと、名前は…」
「俺がトムでこいつが…」
「ジェリーです」
トムの後ろからジェリーが慌てて愛想笑いを浮かべながら答えた。その顔は半分引きつり、泣き笑いのようだ。
「ふむ、ではトムさんにジェリーさん、良く聞いておくれよ。ここではな、ゼニは使えないんじゃ。ここというのは勿論この町全体の事での。言うなれば経済活動も流通機構も無いって事なんじゃ。だからゼニは必要が無い。必要が無ければ力は無いって事になるの」
「経済活動が無い? じゃぁ食いもんや飲みもん、身の回りのもんはどうするんで?」
トムとジェリーは青い顔になった。
「ああ、それは大丈夫じゃよ。食べ物は朝、地面の上に用意されてる物を取って来ればいい。飲み物は町に井戸がちゃんとある。もっともひとつだけのちっちゃな物じゃがね。身の回りの物は、まぁ、自分で工夫すれば何とかなる、かな」
老人は当たり前の事のように、淡々と説明した。
「え? 食べもんが朝、地面に用意されてる? どういうこってす? それに身の回りのもんは自分で工夫するって、具体的に言うとどういう事で?」
ジェリーは思わず身を乗り出して老人に詰め寄った。
老人は一枚の紙を取り出すとテーブルの上に置き、
「どういう事も何も、言葉通りの意味じゃよ。まぁ、嫌でもそのうち分る事じゃ。ああ、ここは監獄でも刑務所でもないんじゃから、嫌なら出て行ってもらっても結構じゃ。言っておくがの、この町は境界線が杭によって区切られてるだけでの。ここから出ていく事は簡単なんじゃ。ただ、一歩でもここから出たら、あんた方の身の保障は出来かねる。分ったならとりあえずこの書類にサインをしておくれ。これは単なる手続きじゃから心配は要らんよ」
そう言うと老人はペンを二人に渡した。二人は恐る恐る書類にサインをすると、もう一度老人に訊ねた。
「あの、よく分からねえんですが、もうひとつだけ聞かせておくんなせえ。俺達、ここで何の仕事をすればいいんです? 経済活動が無いなら一体何をすればいいんで?」
老人は懐に書類をしまいながら
「ああ、何もしなくて結構じゃ。最初に言ったじゃろ? お前さん方の言い方で言えば、隠遁生活をしてもらえればいいんじゃよ」
そう言うと老人は隣の部屋に戻りかけた。ドアに手をかけたところで振り返ると
「そうそう、お前さん方、この町の中ならどこで寝泊りしてもらっても結構じゃよ。ただ、何事も自分達で工夫してもらっての」
そう言うと老人は隣の部屋へと入ってゆき、もう出ては来なかった。
二人は暫くの間、部屋の真ん中で突っ立っていたが、やがて荷物を手にすると半分壊れかけたドアを開け、外に出た。まだ夕暮れの時間だというのにそこは真っ暗だ。二人は駅まで戻るとベンチに腰をかけた。トムがズタ袋から携帯用のランプを取り出し火をつけ、
「なぁ、ジェリー、やっぱりこの町は何かあるぜ。お前気がついたか? この町には人が住んでる気配がまるで無え事を。いくらさびれてるって言っても人が生活してりゃ、それなりの生活の匂いってもんがあるもんさ。ところがどうだ? ここにはそれがまるで無えと来てる。第一、この時間で真っ暗になるのもおかしいし、暗くなっても明かりひとつ点きやしねえ。それに経済活動が無えなんて町とは呼べねえ代物だぜ? おい、ちょっと、聞いてんのかよ?」
「ああ、聞いてる。俺達、とんでもねえ所に来ちまったみてえだな。ここに毎日着く野郎共は、多分すぐにここから逃げ出しちまったんだろうぜ。なぁ、ちょっと地図を見せてくれよ」
トムはズタ袋からくしゃくしゃな地図を取り出すとジェリーに渡した。ジェリーは地図の皺を手で綺麗に伸ばすと、ランプの傍にそれを広げた。
「ええと、ここが駅だ。ああ、この町は周囲が二キロ足らずの小さな町なんだな。あ、この印が井戸かよ。本当に町の真ん中に一つしかねえみてえだな。なぁ、トム、俺達も明日明るくなったらこの町からおさらばしようじゃねえか。いくら命が保障されると言ってもただ生きてるだけじゃ、生きてる甲斐が無えってもんだ」
「そうこなくっちゃ! 俺もさっきからそう考えてたんだ。明るくなったら逃げ出そうや。故郷に帰るのはやべえからとりあえず地図で見ると、そうだな、隣の町が良さそうだぞ。そこでほとぼりが冷めるのを待とう。そうと決まりゃ明日の為に早いとこ寝ちまおうや」
二人は駅のベンチでその夜を過ごす事にした。
その頃、先程の老人は自分の部屋に戻り、定時連絡をしていた。相手の姿が目の前にフォログラムとして立体化していたので、その様子は内緒話をしているかのようにも見える。
部屋はコンピューターに囲まれ、壁には大きな立体モニターが掛っていた。最新の科学力の粋を凝らした部屋である事は間違いない。時折、コンピューターの作動する音だけが響いている。
「ええ、それでですね、今例の二人、はい、ナンバー二十六号とナンバー二十七号の、トムとジェリーといっていましたが、ええ、今モニターに映っていますがね、駅で夜を明かすようですよ」
老人は先程の口調とはまるで違った調子で、きびきびと答えた。その声は若者の声だ。
「ええ、本部長、今から相手方に連絡を取ろうと思うんですが、よろしいでしょうか? ええ、そうですか、ポイント弐の場所で待機するように申し伝えます。はい、そうします。ではそのように。失礼します」
本部長のフォログラムが消えると老人はほっとした表情になり、黒ずくめの衣装と三次元メーキャップを落とした。すると老人は青年になった。彼はもう一度通信機器を操作すると、今度は中年の婦人が目の前に立体化し、現われた。青年はにこやかな表情で対応を始める。
「ああ、あなたが御依頼のテレサ様ですね。こちらは逃れの町ナンバーシックスの駐在員、ケントと申します。早速なんですが、今例の二人がこちらに居るんですがね、ポイント弐の場所に明日の早朝、いらして頂けませんか? ええ、そこでやって頂くという事になりそうです。ええ、そうです。いいえ、そんな事はありませんよ。これが我々の仕事ですから。それで成功された暁には、料金は本部の口座に振り込んで頂く事になりますので。で、成功の後はどうなさいますか? お持ち帰りになるのも御自由ですが、そうでなかったらそれもこちらで処分いたしますが。いいえ、それはサービスでございます。はい、いいんですよ。相手は、そうですか、あなたの息子さんをねぇ。はぁ、輸送トラックではねられたんですか。ああ、ジェットバイスクルに乗っていたところをねぇ。そうですか。これまでに三回ほど狙われたのに失敗なさった…ふん、ふん、そういう方の為に我々みたいな組織が存在してるんですからね。はい、それでは明日、よろしくお願いします。失礼いたします」
ケントは通信機器のスイッチを切ると大きなデスクの前に座り、再び立体モニターを眺めた。そこでは例の二人が寄り添うようにして眠っている。ズームをすると、二人の顔が仄暗いランプの光によってぼんやりと浮かび上がった。ケントは暫く二人を見ていたが、思わず呟いた。
「この二人の顔はどう見たって悪人の顔には見えないんだがな。どうせさっきの御婦人の息子が、ジェットバイスクルで暴走した処をあの二人が引っ掛けちゃった、ってのがホントの処なんだろうな。何だかやるせないよな。いくら法律で復讐法ってものがあっても、なんだかなぁ…この町みたいに逃れの町があっても、今じゃ実態は復讐の町だもんな。嫌いなタイプの町で隠遁生活をするなら、命だけは守られる。でもそうでなけりゃ、町を一歩でもで越えた所で待ち伏せしていて、ハイ、お終いだ。昔、まだ狩というものがあった時、禁猟区というものもあったというが、一番獲物が獲り易い場所は禁猟区との境だったっていうものな。あ~あ、何だかこの仕事、ヤになっちゃったな…」
「何を言っておる! ケント! 明日の乗客のリストを送るぞ。いいか?」
突然本部長のフォログラムが立体化し、ケントの目の前に資料が実体化した。ケントは思わず椅子から立ち上がると本部長のフォログラムに最敬礼をした。
やけに厚ぼったい巨大な太陽が昇ると、それでも辺りは次第に明るくなっていった。トムトジェーリーの二人はのろのろと起き上がると、身支度を整え始めた。と、ジェリーが突然大きな声を出した。
「おい、周りを良く見てみろよ! 何だか白い変なもんが地面にくっついてるぜ? 何だこりゃ?」
ジェリーの言う通り、見渡す限り辺り一面、白いものが地面に張り付いているのが見える。
「おい、これが昨日じいさんの言ってた食いもんじゃねえか? まるで薄いウロコみてえだが」
トムはそれを手に取ると匂いを嗅ぎ、恐る恐る口に運んだ。
「ん? 何だいこりゃ? 蜜を入れたせんべいみてえだ。これが食いもんだと? 冗談じゃねえや。これだけしか食えねえなら、やっぱりさっさとここから逃げ出した方がいいやね」
「そうそう、じゃ、もう出発するとしようや。でも途中で腹が減るといけねえからこれを少しばかり持ってくか」
ジェリーは地面から白いウロコの様なものを両手一杯に採ると、トムのズタ袋の中に押し込んだ。
二人が出発してから暫くすると、地面に残っていた白いものは奇麗サッパリと消えてしまった。
二人は辺りをキョロキョロしながらも、地図を見ながら何とか町の外れへと辿り着いた。そこには杭がずっと一直線に、綺麗に並んでいる。
「おい、どうやらここが町の境界線のようだな。でもよ、隣の町なんか無えじゃねえか。どうなってんだ?」
トムとジェリーが境界線を一歩越えた時だった。キラリと光る一条の光が二人を捉え、次の瞬間、辺りが急に明るくなった。ファンファーレが鳴り響き、拍手が起こる。レーザーガンを手にした一人の中年女性が勝ち誇った顔をしながら手を振っている。黒ずくめの老人は、それを見届けると急いで駅前の事務所に戻った。
「今、テレサ様が二人を処分しました。ええ、レーザーガンを使ったようです。遺体はこちらで処分することになりました。はい、それは上手くやっておきます。あ、それでですね、今日の乗客の資料を見たんですが、今回はどんなタイプがいいですかね? ええ、前回はごく普通の小市民だったのでノーマルタイプバージョンだったんですが、私としては今回はタイプ参のジャングルバージョンがいいかと…はい、何でも成金の、爬虫類が苦手な人物のようですので。では、私は原地人の酋長になります。はい、ではまた定時連絡の時に。失礼します」
ケントがコンピューターを何回か操作すると、隣の部屋は藁葺きの壊れかけた小屋に変わった。窓の外は密林に囲まれたジャングルに一変した。
続いて着ているものを総て脱ぐと、全身に三次元メーキャップを施し、原地人の酋長になった。
「これでよしと。後は午後四時になるまで本でも読むことにするか」
ケントは本棚から一冊の本を取り出した。黒い革表紙の随分と古い本だ。表紙の金色の文字は滲んではいるが、何とかそのタイトルは読むことが出来る。
「ええと、この本は、と。ああ、旧約聖書だ。大昔の、確か宗教関係の本だったな。難しそうだけど、まぁいいか。俺には時間だけはたっぷりとあるんだから」
ケントはその本を開くと、暇にまかせて読み始めた。
「そう言えば、この本の中に出てくる【逃れの町】がこのシステム設立のキッカケだといつか本部長が言ってた様な気がするな。まぁ、そんな事はどうでもいい事だが…」
今日も決まって午後四時になると、この町に逃れの汽車がやってくることだろう。そして明日もあさっても。
この町は住人が増える事の無い、逃れの町である。
逃れの町は、旧約聖書で、ユダヤ人の領土に設置するよう神から定められた、過失で殺人を犯してしまった人が復讐から逃れて安全に住むことを保証された町のこと。
民数記35章には、エジプトから上ってきたユダヤ民族が得るはずの領土において『ヨルダン川の東側に三つの町、カナン人の土地に三つの町を定めて、逃れの町としなければならない。これらの六つの町は、イスラエルの人々とそのもとにいる寄留者と滞在者のための逃れの町であって、誤って人を殺した者はだれでもそこに逃れることができる』とある。
逃れの町に滞在することが認められるのは、敵意や怨恨でなく、故意でもないことが条件であり、後日改めてイスラエルの共同体による裁判を受け、過失であったことが認められねばならない。逃れの町に避難した人は、その時の大祭司が死ぬまでの間、そこに留まらねばならず、それまでは元の住所に帰ることはできない。また、逃れの町以外の場所においては、被害者の遺族が直接加害者を殺す血の復讐の権利が認められている。
申命記19章、ヨシュア記20章にも同様の記述があり、申命記19章では逃れの町に入って生き延びられる条件として、たとえば隣人と柴刈りに行き、木を切ろうとして振り上げた斧の頭が外れて死なせたような場合が示されている。
当時のオリエントでは、ハンムラビ法典の影響で「目には目を、歯には歯を」の同等の刑罰を科すのが一般的で、旧約聖書も同等の報復の権利は認めているが、「逃れの町」の規定は過失で人を死に至らしめた人の生存権をアジール権によって保護するよう明文化している。【ウィキペディアより】
地面に用意されている白いウロコのような物→マナ(Manna、ヘブライ語:מן, מָן, mān、アラビア語:مان, mān)は旧約聖書「出エジプト記」第16章に登場する食物。イスラエルの民がシンの荒野で飢えた時、神がモーゼの祈りに応じて天から降らせたという。この時人々は「これは何だろう」と口にし、このことから「これは何だろう」を意味するヘブライ語のマナと呼ばれるようになる。露が乾いたあとに残る薄い鱗もしくは霜のような外見であり、コエンドロの実のように白く、蜜を入れたせんべいのように甘いとされる。早朝に各自一定量ずつ採って食べねばならず、気温が上がると溶けてしまう。また余分に採取する事も許されず、食べずに置くとすぐに腐敗して悪臭を放つ。ただし安息日には降ってこないのでその前日には二倍集めることが許されている。カナンの地に着くまでの四十年間、イスラエルの民の食料だった。これは旧約聖書に登場するエデンの園の林檎(もしくは林檎に似た果物)を暗に指しているのではないかと考えられる。林檎の実は白く、甘い蜜が中に入っている。気温が上がる季節や乾燥地帯においては果物を余分に採取し、食べずに置いておくと腐ってしまう。