枢機卿と人魚姫に友情は芽生えるか?
癖っ毛の榛色の髪に黒い瞳の美青年は目の前の男ににっこり微笑み、剣をつきつける。
「君も何か言いたいことぐらいあるだろう?どうだ、死ぬ前に一言。それぐらいは聞いてあげるよ。」
美青年の言葉に男は美青年を睨みつける。
「この教皇の狗どもが。」
男の吐き捨てた言葉に美青年は苦笑する。
「ははっ。それはどーも。主よ、今迷える仔羊が貴方のもとへ、参ります。どうかお導きあれ。...さよなら。哀れな魔物よ。」
美青年はためらわずに男の心臓を銀で出来た剣で一突きする。男は灰になり、風が灰を運んでいった。
「猊下。本日も見事な腕前で。聖下もお喜びなられることでしょう。」
美青年の元に歩いてきた青年に、美青年、アルノルド・レクイシアは微笑みかける。
「わざわざ俺が出て来るまでもなかったな。あんな雑魚だったとは残念だ。聖下に報告は君に頼むよ。ケヴィン。」
アルノルドはそう言って、剣をしまい歩き出す。ケヴィンと呼ばれた青年、ケヴィン・マクバッドは呆れたようにアルノルドを見る。
「たまには聖下にその元気なお顔を見せて上げなさいませ。それに、聖女マルグリット・シィカもたまには猊下にお会いしたいでしょうに。」
ケヴィンが諭すように言うと、アルノルドは嫌そうな表情を浮かべる。
「聖下はどうやら俺と会うと血圧があがるようだからな。それに聖女マルグリット・シィカは聖下さえいれば文句は言わないだろう。俺はこの後行くところがあるし。」
アルノルドの口の減らない言葉にケヴィンは少し考え込む。
「猊下。もう仕事はありませんでしょう?猊下の大好きなお菓子屋さんもこんな時間は空いてないでしょうし。」
ケヴィンが不思議そうに聞くと、アルノルドは機嫌良さそうに微笑む。
「ああ。最近、このへんで、噂があるんだ。海に人魚姫が出るんだって。...人魚の一族、セイレーンにしちゃあこんな浅瀬に来るのはおかしいだろう?聖下のお膝元で滅多なことされると面倒だからね。ちょっと様子見に。たんなる物見遊山だからケヴィンは帰っていて構わないよ。」
アルノルドが言った噂は確かにケヴィンもきいたことがあった。人魚の一族であるセイレーンは滅多に陸に姿を現さず、海の底で暮らしているのだそうだ。
「アルノルド・レクイシア枢機卿。あまりご無理はなさらないように。貴方には明日も仕事があるのですから。」
「わかってるさ。じゃあね。」
アルノルドは手をひらひらさせながらどこかへ行ってしまう。この世界で人を導き庇護する宗教である星教会。アルノルドはそのアストラルの数少ない枢機卿である。最もなりたくてなったわけではないのだが。
アルノルドは海岸に来ていた。噂によるとここらへんで聞こえるらしいが。アルノルドがきょろきょろしていると澄んだ綺麗な声が聞こえてきた。声は軽やかなメロディを奏でている。アルノルドは声のする方へ行く。海岸の岩の上に少女が腰かけ、歌を歌っていた。少女はこの世のものと思えない美貌の持ち主だった。髪と瞳は海のようなマリンブルー、肌は白すぎるほど透き通り、唇は紅く艶やか。少女は上から腰くらいまであるマリアベールをかぶり、純白のドレスをきている。アルノルドは思わず、見惚れてしまったのだ。アルノルドが近づこうとすると、少女アルノルドに気づいてしまった。
「やあ。麗しい姫君。こんなところで何をしているのかな。」
アルノルドがにっこり笑って聞くと、少女は何故か慌てた様子で岩から落ちる。ぱしゃん、と水の音がして、浅瀬に落ちてしまった。どうやらアルノルドは少女を驚かせてしまったらしい。少女は恐る恐るアルノルドを見つめている。
「あのう、私に何か御用でございますか?」
少女が聞くと、アルノルドは笑みを絶やさずに少女に近づく。アルノルドは気にせずに海に足を踏み入れる。浅瀬なので靴とズボンの裾が濡れるくらいだ。少女は身を引く。
「用ね。君が最近このへんでよく出没するというセイレーンなのかな。」
「ひえ。...はい。そうでございます。私めがセイレーンです。でも誓って悪さなどしてません!歌ってるだけです。」
少女は怯えた様子で言う。アルノルドは自分の格好を思い出した。アルノルドは星教会の制服のままだった。これで少女は怯えているのかもしれない。
「ああ。違うよ。ごめんね。俺は君を祓いに来たわけじゃないんだ。」
アルノルドが少し苦笑して言うと、少女は少し怯えをなくした。
「俺はアルノルド。ただのしがない祓魔師だ。君の名前を聞いていいかな?」
「リーゼロッテと申します。アルノルド様。」
リーゼロッテ、と名乗った少女は少し微笑んだ。
「そうか。何故君はこんなところで歌っているのかな?セイレーンは古来から地上を嫌い、海の底の水の都に住んでいるらしいけど。」
アルノルドが聞くと、リーゼロッテは少し表情を曇らせる。
「はい。セイレーンはそういうものです。私みたいに地上には来ません。私が地上にいるのは、情けない話なのですが、水の都にいると息が詰まるからです。周囲からのプレッシャーが嫌だといいますか。」
リーゼロッテは顔を暗くして言う。アルノルドはわかるような気がした。アルノルドも周囲からのプレッシャーには幼い頃から耐えて来た。ケヴィンなどはアルノルドがプレッシャーのせいでこんなちゃらんぽらんになったと言うくらいだ。
「つまり浅瀬で歌うのが、君のストレス発散方法なんだね。わかるような気がするよ。俺も昔からああしろこうしろと、周囲には嫌ってほどプレッシャーをもらってきたからね。毎日お菓子を食べることだけがストレス発散方法だった。」
アルノルドは頷きながら言う。
「わかってくださいますか?そうなんです。別に私は周りの方が嫌いなわけではありません。ただ、セイレーンは私には向いてないのです。私はセイレーンの正装が嫌いです。半魚の姿になると窮屈だと思うからです。それだけでも異端なんです。それに私は半端者ですから。」
リーゼロッテは愚痴を吐き出す。確かにセイレーンは下半身が半魚であることが多い。これは本人の力で変えられるらしく、ほとんどのセイレーンは半魚のままらしい。だが、リーゼロッテの下半身は普通の二本の足だ。
「半端者。それはまたどうして。」
「実は私の母はセイレーンですが、父は地上の者なのです。そのせいか、ますます周囲の目が厳しくて。」
「へえ。君はなんだか、他人とは思えないな。俺の父と母も異種族だった。にてるね。俺たち。」
二人はこうして共感しあったのだった。なんとも奇妙な友情がここに育まれていったのである。この先この友情がどうなるのかはまた別のお話である。