本場の味
正午、俺はいつも通り嫁、翼にメールを入れる。それを見て、兵藤なんかは、
「結婚10年超して未だにラブラブかよ」
と冷やかしたりするけど、そんなんじゃない。転勤でこの三重に来て初めて取った免許で毎日通勤してるから、無事着いたという意味でだ。だから、書いてる内容なんて大体、『今日の晩飯何?』がほとんど。
そんで、いつもならかなり時間かかって、メニューだけの返事が返ってくるのはまだいい方で、
『あたしが献立決めるの苦手なの知ってるっしょ。開ちゃんが考えて!』
と逆ギレメールが戻ってくる方が圧倒的に多い。だからと言って、こっちの好みのメニューを書いた日にゃ、速攻で
『却下』
って返ってくる。なら、聞くなよって話。甘さなんて欠片もありゃしない。
けど、今日は違った。
『ふっふっふ~、開ちゃん、今日は松阪牛だよ~ん』
のあと、かなりご機嫌なのが解る絵文字が張り付けてある。
そういや翼、今日近所の奥さんと松阪に口で絵を描いている画家の展覧会に行くってたな。地元の人間じゃなきゃ分からないと思うけど、伊勢と松阪はかなり近い。国道23号で30分くらいだ。
にしても、松阪牛!? 俺の脳内が紅白の霜降りに染まり、思わず涎を啜る。ステーキ? それともすき焼き? 俺のテンションは一気にマックスになる。俺がメールを見てニヤついてると、
「お前、嫁からの返信で何ニヤニヤしてやんだよ。
本日のお誘いか?」
と兵藤がそう言って俺の肩を肘で突く。
「そんなんじゃねぇよ。今日は松阪牛だ」
どうだ、と言う俺に、
「へぇ、そりゃまた豪華だな。俺も今日はおまえんちに行こうか」
という兵藤。
「おう、匂いぐらいは嗅がせてやるぞ」
と言うと、
「匂いで終わりかよ。余計腹減るだけじゃんかよ」
と、口を歪める。兵藤は家族を残しての単身赴任、良い顔したら、ホントに来かねないもんな。
何にしても、今日は松阪牛~♪ 俺は午後からの仕事をサクサクと片づけて、定時で退社して家に戻る。
だけど……帰宅した家のダイニングに置かれていたのは、土鍋。すき焼き? いや、翼がすき焼きするときはいつもマーブルコートのフライパンだ。じゃぁ、ああそうかしゃぶしゃぶ!
だが、土鍋のフタを取って出てきたのは大量の大根だった。それからちくわにさつま揚げ……おでんか。それにしても……肝心の松阪牛が全然入ってないじゃんか! 俺を担いだのかよ。
「翼ちゃん、言ってた松阪牛はどこ?」
思わずそう聞いた俺に、
「ほら、どこ見てんのよ。いっぱい入ってんじゃん」
と翼が指さしたのは、鍋の底。つまり牛すじ。
「さすが三重だね。松阪牛の牛すじなんて、余所では絶対に食べられないよ」
そう言って翼は満面の笑みでその『松阪牛』を咀嚼する。
うん……確かに、他県では食べられないよね。確かに松阪牛に違いないんだろうけどさ……
何か違う! って思うのは俺のワガママじゃないよね。
口に入れた瞬間溶けてバリ旨だったんだけどさ。
それでも何か変だって思うのは、俺の思い違いじゃ……ないよね。
「おうちでごはん」参加作品です。
松阪牛のすじでおでん。マジで旨いです。
しかも、県外ではまず食べられないレアアイテム。普通、県外の人は松阪まで来てすじ肉とか買わないですよね。
あ、お値段はスーパーのごく普通の牛肉ぐらいの値段します。でも、それだけの価値はあります。