聖画
「これでどう?」
「いいよ、ありがとう。」
私は念願のマイホームのリビングにお気に入りの絵を掛けるように夫に頼んだ。
その絵は鉛筆書きのイエス様。
思いの外ごついイエス様が満面の笑みを浮かべて手を広げている。横には小さな羊。残りの99匹を置いてでも1匹の羊を探す聖書のお話しの絵。
その絵の作者は木原直人、彼の両親が先生をやっている教会学校に私も通っていた-幼馴染みとでも言えばいいのだろうか。
だけど、いつも彼は話なんか全然聞かないで、先生であるお父さんの横に陣取り、ニコニコしながら絵を描いていた。
サヴァンシンドロームとと言うらしい。日常生活は出来るくらいの軽度の知的障害。
本人の中の時間がゆっくりな分、何か飛び抜けて素晴らしいものを持っていることが多いらしい。直ちゃんの絵は飛び抜けて上手いとは言えないけど、本当に見る者の心を温かくする力を持っていた。
あるとき、直ちゃんはイエス様を書いていた。でも、そのイエス様は一般的なイエス様よりも少し、ううん、かなりマッチョ。
「直ちゃん、このイエス様ごっつくない?」
私がそう言うと、直ちゃんは、
「そうかな、イエスさまはどんなひとでもだきしめてあったかくするんだよ。だからごっつくなくっちゃ」
と言って笑ったのだ。その笑顔が絵の中のイエス様と同じで私はドキッとした。
私はどうしてもその絵が欲しくなった。
「描きあがったらそれ、私にくれる?」
と言うと、
「いいよ、かいたらあげるね。」
直ちゃんはにっこり笑って即答してくれた。そして続きを書き出す。
その時もらったのがこの絵なのだ。落書き帳に描かれた鉛筆書きのこの絵を、私はお小遣いで買った額に入れて自分の部屋に飾った。
私にとっては、どんな巨匠のイエス像より、直ちゃんのちょっとマッチョなイエス様の方が本物だった。
満足そうに絵を眺めている私に、弟は何だ? って感じで覗き込むから、
「この絵を描いた子は将来絶対に有名になるわよ。だから、先にファンになっとくの」
と言って笑ってやったのに……
でも、そんな日は来なかった。誰よりも神様に愛されていた直ちゃんは、それから2年後、突然トラックに撥ねられて天国に帰っていってしまったのだ。神様はこんな荒れた世の中に、愛する直ちゃんを長く置いておけなかったのかも知れない。
それからも、直ちゃんのイエス様は辛い時悲しい時、いつでも私を励ましてくれた。
嬉しい時には一緒に喜んでくれているようだった。
-私の小さいものの一人にしたのは、私にしたのである-
『靴屋のマルチン』……実は彼がイエス様だったのかも。でも、私は彼に悪いこともしなかった代わりに、良いこともしなかったな。
「この絵、いいよなぁ。君が言うように見てるとホントに心が温かくなるね」
かけ終わった絵を見てしみじみ夫がそう言った。
今度の休みには夫を誘って直ちゃんの好きだった花を持ってお墓参りに行こうかな。
-完-
この物語に出で来る「靴屋のマルチン」
ある日、靴屋のマルチンはイエス様から、
「今日、あなたの家を訪ねます」
と言われて、大喜び。
しかし、待てど暮らせどイエス様は来られません。来るのはへんなお客ばかり。
とうとう、夜になってしまい、
「イエス様、来なかったなぁ」
と呟くマルチンに、
「いいえ、私は行きましたよ」
とイエス様の声が。
その日訪れた客全てがイエス様だったというお話です。