立証-25年目のラブレター-
2010年のクリスマス自主企画です。個人的なイベントだったんで、特にシバリはありません。
私はガチガチに緊張しながら高壇に立った。クリスマス礼拝のこの日受洗した私は、その後の祝会でクリスチャンになった理由、あるいは起きた問題に対してどんなみことばが与えられて解決したなど、自分の言葉で信仰を表明する「立証」を今からするのだ。
「みなさん、クリスマスおめでとうございます」
と、私は型通りの挨拶から始めた。
「私が今回受洗したのは、みなさんご存じの通り夫杉山基樹が教会でずっとお世話になっていたからですが、私は杉山と結婚22年、結婚前のつきあっていた期間も入れると24年ずっと夫が毎週のように「教会に行こうよ」と言うのをスルーしてきました」
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私の夫基樹は、私の会社の上司だった。向こうは一目惚れだったらしいんだけど、私の方は9歳も年上のその人は、気のいいオジサンという感じで全くの恋愛対象外だった。
その30歳過ぎのオジサンの恋に周りは協力的で、何かというと彼の残業のお供をさせられた。そして遅くなった事に基樹が気を遣って夕食を奢る。もちろんその席ではお酒は出なかったし、ちゃっかりと休日に誘いをかけたりしない。私は最初、周りに踊らされて仕方なく一緒にいるのだろうと思っていたくらいだった。
残業はするけど、休日には絶対に仕事を残さない基樹に、私は次第に惹かれていった。周りの思惑に乗ったみたいで、そのことを誰にも言わなかったけれど。
だけど、その休日には仕事を残さない基樹が12月の24日、年末のクソ忙しい日に休むという。その理由が「クリスマス」だって言うんだから、なお驚きだった。
「脇谷さんも参加しない? カロリング。僕は参加してくれる子供たちに配るお菓子とかを準備するんで休むけど、脇谷さんは夕方教会に来てくれればいいからさ」
と言いながら『クリスマスは教会へ』というチラシを私に渡す。
クリスマスイブだからといってとくに用事もない私は、カロリングに参加した。でも風花の舞う中、よく知りもしない賛美歌を歌いながらかなりの距離を練り歩いた私は、翌日風邪を引いて熱を出した。
以来、私は基樹がどんなに誘おうが教会には行かなくなった。交際が親密になり彼と結婚しても、否、結婚したからこそ尚更家族より仕事より礼拝を大切にする彼の姿勢に反発を感じていたのだ。
唯一、子供たちの献児式にだけは参加した。お宮参りみたいなものだから、母親が出ないわけにはいかなかったから。ただ、彼と一緒には教会に向かわず、牧師のメッセージが終わる頃を見計らってだったけど。それに対して彼は怒ることもなく、
「静かな礼拝中にぐずったら、とまどうもんな」
と言っただけだった。そして、尚も
「ねぇ、一回で良いから礼拝に出てよ」
と囁く。
「はいはい、基樹が死んだらね」
と私は答えたら、
「それでも良いから、ちゃんと出てよ」
と笑う、基樹。
子供達を基樹が教会学校に連れて行こうが、私は頑として一緒に行かず、いつしか、日曜日の朝には毎度、
「教会に行こうよ」
「基樹が死んだらね」
が、朝の挨拶代わりになっていた。
しかし、結婚22年、私がその一言を激しく後悔する事態が起こった。基樹に肝臓癌が見つかったのだ。しかもそれは末期で、リンパへの転移も見られた。
基樹は入院しても病院から教会に通った。平日は痛みで起き上がれないほどなのに、
「日曜日になると神様が元気をくださるんだよ」
と言って喜々として参列するのだ。そしていつものように、
「尚美、一緒に行こうよ」
と言った。でもとても今までみたいに、、
「はいはい、基樹が死んだらね」
とは言えなかった。言葉をなくしている私に基樹は、
「死んだら行ってくれるんだったな。なら、もうすぐだから良いか」
と言って笑った。私はそんな彼を涙目で睨んだ。
本当は一緒に出席したかったのだ。でも、それは基樹が死んでしまうことを認めることのような気がしてできずにいただけで。
「最後だから、クリスマス礼拝には絶対に出るんだ」
そして、そう繰り返し言った基樹。だけど、クリスマス礼拝は命の期限から2ヶ月も後だった。実際、木枯らしが吹き始めた11月、基樹は一度危篤状態に陥った。しかし、奇跡的に回復し12月20日、クリスマス礼拝の当日を迎えた。
奇跡はあるのだと思った。
その日、私は、基樹を病院に迎えに行き、教会まで車で送って行った。
「尚美も一緒に出ればいいのに」
と言う基樹に、
「杏奈と良也のお昼を作らなきゃ」
と言って帰った。本当は病院に行く前にちゃんと用意してあったけれど。たぶん私は念願だったクリスマス礼拝に出られた喜びを露わにするであろう基樹を、泣かずに見られる自信はなかったから。
礼拝と祝会が終わった時間にまた迎えに行き、病院に送り届けた。
……それからすべての仕事を終えたかのように、翌日基樹は意識不明になり、22日に54年の生涯を終えた。
基樹の葬送式はクリスマスイブに。大好きなクリスマスソングに送られて天国へ凱旋していった。
私は、基樹の代わりに教会に通い始めた。本当のことを言えば最初は行きたくなかった。基樹の話を聞く度、彼がもういなくなったことを再認識してしまうから。
でも、いろんな人の口から出てくる基樹の私の知らないエピソードを聞くにつけ、彼が本当に教会の人たちに愛されていたのだと知った。
大好きな基樹と天国でまた会いたい。私は聖書研究に参加するようになり、イエス・キリストを主と迎えた。
そして、受洗したいという旨を牧師に伝えたとき、先生は、
「ああ、杉山兄弟の祈りが25年かかって聞かれたんですね」
と言われた。
「杉山兄弟はね、あなたの名前を聞いたとき、自分と結婚する導きと、あなたの救いを確信したと言っておられましたよ」
私の名、尚美は聖書のルツ記に出てくる、ルツの姑の名前だそうだ。
そのとき私は、24年間頑なに礼拝に行くことを拒んだことを後悔した。一回でも一緒に礼拝に出たら良かったと思った。
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「だけど今、受洗して思うことは、これで良かったのかなと。夫と一緒に教会生活をしていたら、私は夫を失うことで逆に教会を捨てていたかもしれません。すべての事柄には時がある、そう思えるようになりました。これで私のつたない立証を終わります」
私は一礼をして、高壇を降りた。私はそのとき、礼拝堂の一番後ろで、基樹が笑って拍手を送ってくれているような気がした。
ーMerry Christmas!!ー




