ユダヤ人の王
クリスマス「もみのき企画」から。
ちなみに「クリスマス」「聖夜」「サンタクロース」の3ワードがNG
『ナザレのイエスが捕まった』
その噂がこのベツレヘムで宿屋を営むアサとハンナに耳に届いたのは彼が捕らえられた翌日のこと。
彼らはそれを聞くと逡巡したが、結局店を息子夫婦に任せてエルサレムに向けて出発した。
元々エルサレムは10kmほどの距離だ。遠くないのでここを経由して神殿に向かう客などあまり多くはないから、余程のことがなければ大変なことはならないだろう。
彼らがゴルゴダの丘に着いたとき、イエスは既に十字架につくことが決まっていた。
パリサイ派(ユダヤ教の中で律法の遵守を第一とする一派)と思しき者が、
『ユダヤ人の王』
という罪状書きの前で、
「こんな大罪人が我々の王であるはずがない。即刻外せ」
としきりに抗議しているが、ローマの役人は
「それはできない。第一、こいつを刑に定めたのはお前達だ。こいつの血の責任はお前達が取るのではなかったのか」
と歯牙にもかけない。
(そう、あのときも『彼』はそう呼ばれていた。宿を貸したものとして、それは誇らしくもあったのに……)
それを遠巻きに見ながらハンナは、30年あまり前の出来事に想いを馳せていた。
30年程前、時のローマの皇帝、アウグストから人口調査をせよとの命が下る。それはローマの支配下に置かれたユダヤの国も例外ではない。いやむしろそういった所謂属国に更なる課税を模索する為の彼らの錬金術と言った方が正しいのかもしれない。
人々は己が在所に戻り、その場で登録をせねばならなかった。おびただしい数の人々が、それぞれの在所を目指して旅をした。
そうしてアサたちの宿を訪ねたのがナザレのイエスの両親、ヨセフとマリアだったのだ。
きちんとはしていたが、あまり裕福そうでない彼らは、中心地から外れたここに来るまでに、既にベツレヘムのそこここの宿で宿泊を断られてきたらしい。
「どんな場所でも良いですから泊めてください」
と、悲壮極まりない顔つきで彼らは懇願した。しかし、受け入れる宿はなかった。
それはそうだろう。まだうら若いそのマリアという女性は明らかに妊婦と判る大きなお腹をしていたのだ。あの様子では早晩生まれるに違いない。それなのに、夫ヨセフ以外誰も一緒ではなかった。
何よりも家系を重んずるのがユダヤの民だ。しかもベツレヘムは彼のダビデが生まれた地。自分たちには伝説の王の家系としての自負がある。彼らの親が既にいないのだとしても、誰かしらサポートをする親類がいても不思議ではない。むしろ、いないことがおかしい。
どうせ、婚約期間中のフライングなのだろうと、アサたちは思った。それで、周りは2人きりで登録地を往復することによってその間に出産し、月足らずの禊ぎをそこでさせ、黙認しようという腹積もりなのだと。
実際、客室は満室なのだし、他の宿屋同様に突っぱねることもできたのだが、先年3人目となる娘タマルを生んだハンナにはどうも無碍に断ることは出来なかった。
それはアサも同じだったようで、彼女の夫はたっぷりと渋い顔をした後、それでも、
「厩なら空いてるが。それで良ければ」
と彼らに提案した。彼らはもちろんそれを喜んで受け入れ、マリアはそこで『彼』-イエスを産んだ。彼らはイエスを布に包んで飼い葉桶に寝かせた。逆にそうやって見てみると、この飼い葉桶というのは赤子の寝台には打ってつけに見えた。
その夜、星に導かれて羊を飼う者が彼らを訪れて、産まれたばかりのイエスを伏し拝んだ。
神殿に行けば、神殿で祈り暮らしている年寄りは涙を流してその誕生を喜ぶ。
待ち望んでいたメシヤが産まれたのだ。そしてその手伝いをすることが出来たアサたちは非常に誇らしかった。
「私たちがメシヤを無事生まれさせたのだ」
と近所を触れ歩きたい気分だった。
だが、それも長くは続かなかった。遠い東の国から訪れた星読みたちによってその様相は一転した。
こともあろうに、ユダヤの地理に不案内な彼らは、王宮を訪ねて、
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどちらですか」
とこの国の為政者に幼子の所在を聞いた。
自分はそこそこの歳であり、子供たちですら既に幼子の域は脱している。だが、まだ孫というわけでもない。いったい誰のことだ? 不安を感じた時の王ヘロデは、自国の学者たちに預言の書を徹底的に調べさせ、その幼子がベツレヘムにいることを突き止めた。
そこでヘロデは、
「ユダヤに王は2人要らない」
と言い、ベツレヘムの街にいる2歳以下の男児の皆殺しを命じた。
ただそれは、神が父ヨセフにその危機が迫っていることを夢で教え、彼らが無事エジプトへと逃れた後のことだった。
ベツレヘムに残されたのは、関係のない幼子たちの亡骸と、それを呆然と見つめる母親たちの姿だけ。アサたちの一番下の子は女児だったため難を逃れたが、もし、男児であったならと思うだけで、アサもハンナも震えがいつまでも止まらなかった。
それだって、このときの幼子-ナザレのイエスが本当に長じてユダヤ人を統べてくれたなら、それを御心として受け入れられると思った。だから、彼が預言の通り世に現れ、エルサレムに入場し、人々が棕櫚を敷いて熱狂したと聞いて、やっとそれが成ったのだと心底嬉しかった。
なのに……あれから、たった一週間である。一週間で事態はまた最悪に転じた。
神よ。どうしてあの時、あなたは十字架につくような男を救ったのですか。それではあのとき潰えた小さな命は全くの犬死にではないですか。ハンナは母としてどうしても納得できなかった。
そして、今度は以前のような神の助けもなく、イエスは十字架につけられて死んでいった。アサたちはやるせない想いを抱いたままベツレヘムに戻って行くしかなかった。
だが、それから3日後、イエスはよみがえったという噂が流れてきた。
「もう騙されるもんか。あんなの、お弟子が勝手に言ってるに決まってる」
と、言い合うアサたちのところに一人の男が訪れた。彼は宿泊の手続きをしつつ、イエスの噂を始めたので、
「神がおられるのなら、どうして罪もない命の代わりにあんな男を救ったりしたのですか」
ハンナはアサが止めるのも聞かずに毒づいた。すると男は、
「その子らは人の罪の為の犠牲の雛形。
ただ、罪ある者がその罪を雪ぐことができるのはその時だけ。
しかし、これは罪なき者が全ての罪を代わりに背負って十字架につき、その者は死に打ち勝ったということ。
それ故、人の子を信じる者は全ての罪許され天国に入ることができるのだ。
ユダヤ人のみならず、全世界の人が」
とハンナに優しく諭した。
「罪なき者が全ての罪を代わりに背負う……ユダヤ人のみならず全世界の人がですか……これまた、でかい話だ」
しかし、アサそう返したとき、男の体が光に満ち、すっと消えていった。
幼子のような澄み切った瞳……あの瞳には、出会ったことがある。その時彼らは、男が復活の主その人であると悟った。
やはり、御心は成ったのだ。人智を遙かに超える形で。
その後、アサたちはイエスを伝える者となり、イエスが産まれたその厩は、生誕教会として、今も残されている。
『神はそのひとりごをお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである』
新約聖書ヨハネの福音書3章16節
リアルクリスチャンとして、ずっと書きたかった作品でしたが、書きつつこれってどっちかと言うとイースターネタだと思っていました。
これで難解な聖書に少しでもとっついてくださる人が現れることを祈りつつ。




