[23] Who is Crazy?
声、が。
出てこない。つまって、からまって、……喉に、指に、……ない。なにも。……空白。無。……掠れて、ノイズ……消える……消え――?
叫びたいのに叫べない。まっさらになった頭のなかにはなんにも浮かばなくて、ただただ覚めきった感情が横たわって、なにがなんだか。
――言葉にならない絶叫が聞こえた。
ぼうぜんと立ちつくしたまま、うつろに視線を流した先で、青銀色の長髪が、荒れ狂った風に踊っていた。
つい先ほどまで、アカリという少年が存在していた空間を、その横に立ちつくすアリスを、見開いた瞳に映して。
とり残された双子の片割れは、啼哭する。決してだれとも共有することのできない悲哀を抱いて。哭声を上げる。
そのとき唐突にアリスは理解した。
これは、死だ。
喪われた。消えた。砕け散った。不可逆的な損失。二度とはもどらぬ、別離。いま目の前にあるのは、死以外のなにものでもない。
なんてあっけない。
なんて。
「うそ、だ」
こんなの。
口もとが震えて、まともな言葉が発せられない。風はいよいよ荒れ狂い、ありとあらゆるものを巻き上げる。そのなかで、アリスは、ただただ立ちつくした。この世のすべてが、自分とは無関係のものとしか感じられない。
“こんなのぜんぶうそだ”
音という音が消えた。
感覚という感覚が消えた。
必死で語りかけるメイの姿も、絶望に狂い落ちるソウの叫びも、なにもかもが遠ざかる。白く白く塗りつぶされていく。うそだ。なにもかもうそだ。ありえない。ありえちゃいけない。こんなの!
「――酷なことをするね」
すべてが遠く、薄い幕の向こうへと隔てられたセカイで、耳もとに吹きこまれるハスキーボイス。逃げることなど許さないと、残酷にささやかれる言葉に、膝が折れた。
ノイズが散る。四方八方に走るひび割れ。ぐにゃりと歪みだす空間。イカれた空間にたたずむ、イカれた猫の姿が、ゆらゆらと揺れていた。揺れているのは、セカイか、己か、己の心か。はたまた己の存在か――。
「理に親しく耐性のある特異職とはちがって、民にすぎない彼らにとって、きみの存在は猛毒なのに」
どこからともなく現れた混沌の主――ユ=イヲンは、ひとり嗤っていた。その他大勢など知ったことではないとでも言いたげに、アリスだけをその両目に映して。
「なに、いって」
「ああ……あれは、もともと[焔灯]だっけ? でも、不安定さじゃあどっこいどっこいだ。若いのに無茶ばかりくりかえして、ひどく劣化していたからね。しかたない」
「し、かた……ない? “しかたない”ってなんだよ!?」
「しょせんあれは換えのきく歯車の一にすぎない。『ソウ』が彼であるのと同様に、『アカリ』があれである必要もない。簡単な話だよ……俺たちとはちがう」
言葉がでない。言いたいことはいくらだってあるのに、そのまま認めちゃいけないとわかっているのに。なにひとつ、でてこない。
ユ=イヲンの瞳が、紫黒と白藍の両目が、ひややかな侮蔑をこめてアリスをみつめる。
「――そんなことより、アリス。きみに俺を糾弾する権利があるの?」
アリスは、ぱくぱくと口を開け閉めして、結局なにも言えないまま唇を噛んだ。その様子を、心底おもしろそうに眺め下ろして、ユ=イヲンは、大仰に肩をすくめる。
「ねぇ、アリス。役無しのアリス。まさか、ほんとうに気づいてないわけじゃないでしょう? それとも、みとめたくないだけかな」
「……ち、がう、俺じゃ……」
「きみ以外の一体ナニが、理を否定するの?」
「俺、そんなつもり……ちが、……うそだ…………っ」
否定の声は、徐々に頼りなく消えていく。逃げられない状況証拠。その前からわかっていた。気づいていた。だけど、みとめてしまったら。
――ごまかせ。ごまかしてしまえ。まだ大丈夫。たかが特異職の一。それも『名持ち』を外されたような役立たずの子どもじゃないか。
“歯車のひとつが壊れたくらい、セカイにとっちゃ大したことじゃない”
悪魔のようなささやき。同時に湧き上がる嫌悪感。……ちがう、俺じゃない。俺はそんなこと思わない。
――かまうものか。そこにいるのは『例外』だ。否定も受容も許されない部外者なんだから。気にすることはない。観測者にさえ見つからなければ、
「ちがう!」
お前はアリスじゃない。――わかってるよ、だけど僕はアリスだ。――しらない。俺は俺だ。俺以外のなにものでもない。――みとめなよアリス。わかるだろう? 鏡を覗けばその先に、まぎれもないアリスがいる。――うるさい! お前なんかしらない。だまれ。うせろ。出ていけよ。――ねぇアリス。きみという個を、いままで一体だれが肯定したっていうの?
「ッだけど俺はここにいるんだ!」
足元にとり残された石畳へ、おもいきり拳を振り下ろす。荒い息を吐きながら、アリスは、砕け散り――文字どおり散逸していく欠片を、目に焼きつけた。いままでなんども目にしてきた光景。崩れて、壊れて、戻らない。あの闊達な少年も、また。
「ほん、とうに……俺、が……?」
ポツリ、とつぶやいたとたん、アリスは急にすべてが恐ろしくなった。ようやく直視した現実はあまりに冷たい。無数の氷の棘に貫かれるような心地に、身体がふるえあがった。無害な迷い子じゃいられない。――もう、どこにも居場所はない。
ユ=イヲンが嗤う。高らかに。ありったけの嘲罵をこめて。
「あ、はっ、ははは! そう、そうだよアリス。きみこそが加害者! れっきとした罪人さ」




