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言葉の庭のAlife  作者: 本宮愁
第五話*観測者とハカイシャ
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[20] My name is...

 足が重い。


 なんで、こんなに進まないんだ。走っても走っても、切り貼りした景色がつづくだけ。コピーコピーコピー。あふれかえる模造品。ああもう、なんだよ。いらいらする。


 俺は、端にいきたいだけなんだ。

 『壁』をぶちこわして、『外』を知りたいだけなんだ。


 外なんかない? そんなはずはない。

 だって、俺は落ちてきたんだ。外で生まれて、外で――。


 なんで。



「俺、を知ってるんだ……?」



 アリスは立ちすくんで、ぼうぜんと空を見上げた。


 煌々と光球の照る『天』は、皮肉なほどに青く澄みわたっている。雨も曇りも存在しない。学都の天候は、快晴ひるよるの二種だけなのだ。


 ……では、この知識は?


 雨と曇りを、俺はどこでみた?


 外で。そう、外だ。ここに落ちる前、ここではないどこかで、……ほんとうに? ほんとうに、見た(・・)のか?



「うそ、だ……。うそだろ、んなわけ」



 なんで。なんでだよ。

 知っているのに、どうして知らないんだ。


 雨に濡れた感触を、木陰で涼む風の温度を、どうして思い出せないんだ。


 工業区は、まだまだ果てしなく、どこまでもおなじ景色が反復しつづけている。前にも、後ろにも、……未来にも、過去にも。


 たとえば何十年前の景色とさえも、寸分の狂いなく一致するだろう倉庫街の中心で、アリスは、ぽつりとつぶやいた。



「『俺』は、だれだ……?」



 何十回とこの道を駆けた。いいや、何百回、何千回、何万回、何億回と――。


 積もり積もった記憶のデータベースが、求めに応じて異常な数の正答・・を差しだす。


 考えちゃいけない。気づいちゃいけない。

 俺は無垢でなければ。俺は無我でなければ。


 ……みとめてしまったら、俺はどうなる?


 けたたましい警鐘が鳴り響いているのに、アリスは手繰ることをやめられない。



――冗談だよ。でも、そうだな、きみが望むなら。



 ユ=イヲンは、憎悪のこもった瞳で俺をみて、思慕のこもった声で俺に言った。表情ひとつうごかさぬまま。



 きみが、望むなら。



 なによりも印象的に響いたのは、その言葉だった。アリスは笑った。覚えている。……ワラったのだ。


 そのとき、アリスは、笑わずにはいられなくなった。表面上にただよっていた、眠りをさまたげられたときのような薄ぼんやりとした怒気を、たちどころにかき分けて。代わりに現れでたのは、嘲りじみた愉悦感だった。


 カワイソウとカワイラシイが表裏一体となったような、絶妙に心をくすぐる衝動にふるえた。



――イカレてる……!



 最高のエンターテインメントを見たときのような気分。そんな心当たりもないのに。困惑したアリス以上に、露骨に反応したのがユ=イヲンだった。


 ユ=イヲンは、笑い、ののしりながら、まるで泣いているようだった。


 悪意をむきだしにする少女を、まるで爪をたてる子猫のように感じていた。嗚呼、なんてカワイラシくて、カワイソウな。



 どうして忘れていたんだろう。ちがう。思いだそうとしなかっただけだ。うたがおうとしなかっただけだ。薄っぺらな事実のその奥を、決して覗かぬように、と。逃げつづけていただけだ――。



「おれ、は……有栖來兎、だろ……?」



 まてよ。なんでだよ。

 なんで、呼ばれた記憶がないんだ。


 ここにきてから名を呼ばれたのは、リ=ヴェーダから一度きり。その前に、いったい、だれが俺を「有栖來兎」と読んだだろう?


 ひざの力が抜ける。崩れおちたまま目を閉じて、アリスは、つめたい道に腰をおとした。所在のない手指で、路面を埋めた石材の合間から土をえぐる。



――めずらしいお客さんだ。いいや、と呼ぶべきではないのだろうね。いらっしゃい、迷い子(アリス)



 しらない。

 こんな声は、こんな男は、しらない。

 俺はなにも、しらない。



――有栖という男がいてね。彼が語った物語だ……ウサギを追って穴に落ちた少女がめぐる不思議の国……きみはしっているのかな?



 しらない。しらない。しらない。



――ちいさなアリス。きみに名前をあげよう。驚くべきことに、この私にもわずかな【権限】が許されているようだから。



 あんたはだれだ。なにものなんだ。


 うつろな領域に、声だけが響く。実体はなにもない。混沌とした空間には、ただ意思だけが満ちていた。


 ここはどこだ。俺はだれだ。



――そうだな、あやつの影を色濃く引いているのなら、来訪者式に名を継がせてしまうのもおもしろいかもしれない。



 くすり、と笑う、男の声。余裕と確信に満ちたその響きは、他の追随をゆるさない孤高の絶対者のものだ。



――招かれざる兎の子。きみの名前は、



「アリス!」



 呼ばれたその名に、少年はハッと我に返って、まぶたをはね上げた。かたく握りしめていた石材の一枚が、ぽろりと砕けおちて消滅する――。

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