[19] Who is Alice?
おなじような倉庫が立ちならぶ、工業区。代わり映えのしない景色のなかを、アリスは走り抜けていく。
「なんで……俺……」
荒い息の合間に漏れだす、声。
「うそだ……」
信じられない。信じたくない。帰るべき場所があるはずだ。ここではないどこかに、俺の居場所があるはずだ。
アリスは走る。迷路のような道を、脇目も振らずに駆けていく。『壁』をみたいと思った。端にいきたいと思った。学園を抜け、商業区を抜け。走る。迷うこともないままに。走りつづける。
どこから来たのだろう。この学都に落ちる前、どこでなにをしていたのだろう。
「どうして……!」
なにも、思いだせないんだ。
積み上げてきた知識が、ガラガラと崩れ落ちる。有栖來兎は、苦しんでいた。有栖來兎は、悩んでいた。なにに? そもそも。
――有栖來兎って、だれだ。
三位の館、とフヒトが呼ぶ場所で、目の前に現れた少女。初対面のときと、なにも変わらない無感情な瞳で、「あなたはこっち」とフヒトから引き離された。
押し込められた別室は、まるで牢獄のようで。
綺麗に整えられた内装に反して、あんまりにも冷たくて、居心地がわるかった。
フヒトのところにいきたい、と言えば、無言で扉を閉められた。外に出してくれ、と言ったのに、扉はかたく閉ざされたまま。
――この部屋は嫌だ。この部屋は気に入らない。
ひと気のない、しんみりとした一室。もの寂しさは、フヒトと過ごした監査棟にも似ているのに。
どうしても、この場所は落ちつかない。
(俺は、この部屋を、しっている……?)
アリスは混乱した。
見覚えのない部屋。見覚えのない家具。……ホントウに?
しらないのにしっている。気持ちがわるい。苛立ちまぎれに、装飾品のひとつを床にはたき落とせば、音も立てずに霧散して消えた。
そういうものなのかと、思っていた。
常識が通用しないセカイだってことはわかってる。とつぜん"生まれる"くらいなんだから、消えるのだってとつぜんなんだろうと。
こうして壊れるのだって、彼らが言う"あたりまえ"なんだろうと。
思っていた。
戸口のそばに立ち、無表情にアリスを観察していた[干戈]の目が、まるく見開かれて。黒い瞳にうかんだ怯えに、はじめてオカシなことだと知った。
とたんに、なにもかもが、気持ちわるくなった。
あたりまえってなんだ。普通ってなんだ。
なにがオカシイんだ。
――俺か? 俺が、オカシイのか?
ちがう。オカシイのは学都だろ。
だって、あたりまえだ。情報体だとか、権限だとか、言名とか、ありえない。『壁』のなかしか存在しないなんて。そんなの。
――きみは、なにを根拠にそれをとなえるの?
だって。
根拠、なんか。
必要ない? それとも、存在しない?
はじめから。
まちがってたのは、俺――?
ゾッとした。勝手に身体がふるえる。考えちゃいけない。気づいちゃいけない。受け入れればいい。ぜんぶせんぶ、飲み下してしまったら楽になれる。
――アリス。僕はきみを救わない。自分で立って、認めて、選んで。
フヒトは、どんな目をしていたっけ。どんな顔で俺をみていただろう。
――このセカイは、きみを必要としていない。
気持ちわるい。気持ちわるい。気持ちわるい。
庭に面した窓枠は、ガラスのはまった細い木製。金色の髪に黒い瞳をした、自分の顔が映りこむ。そこに、かすかに重なってみえた、儚げな女性の面影に。
――強烈な破壊衝動が、湧いた。
がむしゃらに殴りつければ、窓の一部が粉々に散って崩れさる。もはや、その"壊れ方"に疑問すら抱かずに、アリスは外へ飛びだした。
ここにいちゃいけない。こんなところにいちゃいけない。帰る場所があるはずなんだ。必要としてくれる場所が。俺を認めてくれる場所が。
――どこに、あった?
『壁』……そうだ、『壁』を越えて。あの向こうには、きっと。
俺が許される場所が、あるはずだろ?
だれに出会うことも、止められることもないまま、アリスはセカイの果てをめざす。
なぜだろう。……哀れだね、と嗤った[破戒者]の声が、耳にこびりついて離れない。
足を動かすたびまとわりつく"袴"が、走るのに邪魔だなと、思った。




