[9] 不完全な絶対者
たまらず席をたったフヒトは、勢いのまま声を張る。
「まってください……! つまり、どういう、ことですか? 最終的に、一体、なにが!?」
「落ちつくがよい。[史記]」
さめた紅茶をすすって、エマは、ぽつりとつぶやいた。
「あのとき、正確に『なに』が起きたのか、語れるモノはおるまいよ」
琥珀色の液面に映る瞳が、自嘲じみた形にゆがむ。
「妾にすら、わからぬのじゃ」
なんの偶然か。[勇聖]の代替わりと重なるように、学都を築き、統べつづけた主――[調停者]もまた、その姿を消した。
千載一遇のチャンスを、まちのぞみつづけたイフェンが逃すはずもない。
リ=ヴェーダの崩御を知るなり三位の館に飛びこんできた異端児は、状況をみてとるなり、すぐさま行動を起こした。
願うは、唯一の[寒月]――ミヅキの消滅。
[話者]は、執拗に真音を発話し、[叡魔]を支配下に置いた。その上で母を呼びよせ、本懐を遂げようとした、そのときに[勇聖]が帰還する。
次代の『ヒジリ』は迷いなくイフェンに対抗し、[寒月]は、消滅と存続、ふたつの【命令】を同時に受けて、おおきく乱されることになった。
――そこまでは、エマにも、そしてイフェンにとっても、予想の範囲内であった。
「継承が終わるはずがない、とイフェンは申したのじゃ。……まさしく、そのとおり。あの場に、リ=ヴェーダが現れるはずはなかった。現れてはならなかった」
しかし、リ=ヴェーダは、現れた。
混沌のさなかに生まれおち、まるで状況をたしかめるように、周囲を見渡し――迷った末に、その権限を行使した。
「わかるかの。[調停者]でありながら、あれは[調停者]ではない。まことの[調停者]たるモノを識らぬお主には、たやすく呑みくだせることではあるまいが」
「どういう、ことですか……。リヴさまは、……いえ、リヴさま以外の何者が、[調停者]たるというのです?」
「何者も[調停者]たらぬ。リ=ヴェーダのほかにリ=ヴェーダはなく、しかし、そのリ=ヴェーダさえも、まことの意味でリ=ヴェーダとは言いがたい」
エマの迫力に、フヒトは、なにも言葉をはさめずに、口をつぐむ。
――何者も[調停者]たらぬ。
信じつづけてきた、孤高の真実が、ゆらぐ。絶対性をうしなった正義は、分銅をなくした天秤は、いかにして立ちつづけてきたのだろう。
リヴさまは、どんな思いで。
「最終的にどうなったのか、と申したの。[寒月]は消えたのか。存続したのか。――否。いずれも満たされず、ミヅキは分かたれた。背反する【命令】の衝突と、未熟な[調停者]による力任せの介入と。決定打を与えたものがなにかはわからぬ。ただ、傷つき劣化しきった状態で、[寒月]はふたつに分断された。事が終わったときには、『ミヅキ』は消え、ふたりの[寒月]が、来訪者をしのぐほどに不安定な状態で、しかし存続していた」
イフェンの顔は絶望に染まり、幼きリ=ヴェーダもまた、顔色を変える。だれもが予期せぬ幕引き。
「それが、のちに、ユ=イヲンの親となる[寒月]たちじゃ」
わずかな時を、おぼれるように惹かれあった[寒月]たちが、最期に遺した子。
そうして、唯一無二の例外――理にとりこまれた第二の異端児は、生まれおちた。
「妾が思うに、リ=ヴェーダ――今代の[調停者]は、きしむセカイに無理やりひきずり出されてしまった。あまりに早く目覚めさせられたために、連綿とつながる絶対者の系譜から、なかば外れてしまったのではないかの」




