[8] 望みの果て
「やっと……! やっと、この瞬間がきた」
白い青年は、高らかに笑う。
「邪魔な[勇聖]もいない。あなたは無防備にひとりきり。頼りの[調停者]は、代替わりのさなか。いまこの瞬間、僕を妨げられるモノは、存在しようがない!」
薄金の髪をゆらし、いつになく白藍の瞳をかがやかせて。はしゃぐさまは、まるで幼い子どものようだった。
落ちつきはらった仮面を脱ぎすてたイフェン。この本性すら、きっと、あやつは知っていた。絶対者の手のひらの上、驕る子どもの滑稽なこと。
「リ=ヴェーダは、知っておったよ。すべて知った上で、お主を泳がせた」
「わかってるよ、そんなこと。彼はすごいね。彼だけには、素直にかなわないと思う。――だけど、あなたはちがう」
獰猛に瞳をかがやかせたまま、少年は、ゆったりと唇をうごかした。
「娃魔」
己の真髄たる『真音』を、他者の口から聞かされる不快感。土足で踏みこまれるような冒涜が、そこにはあってしかるべきなのに。
流れるように沁みこんでくる。違和感さえ与えずに侵していく。
――その『心地よさ』の、なんと不快なことだろう。
「あなたは、しょせん、とるに足らない駒の一にすぎない」
そのようなこと。
言われるまでもなく、しっていた。
「だけど、必要な駒だ。あなたでなければ意味がないんだ。闇の女王――[叡魔]の【命令】でなければ」
おぼろげな記憶のなかで、そのとき白い異端児の浮かべた泣き笑いだけが、なぜか鮮明に焼きついている。
「娃魔。ミヅキを――僕の母を、消してよ。そうしたら、僕は、……こんな中途半端な配役から解放されるんだ」
ああ、滑稽なのではない。
哀れなのか、この子どもは。
異端児ユ=イフェン。孤独に溺れ、破滅を願い、さまよいつづけた突然変異体。
消えたいと。すべてを無に帰してしまいたいと。それが叶わぬのであれば、せめて、このセカイとのつながりを切り捨ててしまいたいと。願ったのか。
なんとも、哀れなものよ。
「ミヅキ」
凍えた月を思わせる女が、膝をつく。透けるような金髪を地に流し、淡い瞳をまぶたの奥に封じて。うつむいたまま、彼女は沙汰を受けいれる。
「――消滅せよ」
[叡魔]の望まざる、しかし紛れもない[叡魔]による【命令】が、無防備な[寒月]を襲おうしたときだった。
「そいつは許せねぇな」
割りこんだ声は、どこかなつかしい。軽薄でいて横柄、それでも、聞くモノをねじ伏せんとするかのような、圧倒的な存在感をたたえた声。
「餓鬼ひとりの都合で、無為に忠臣をうしなうなんざ冗談じゃねぇよなぁ、[叡魔]? なんせ、俺との決着は、まだついちゃいないんだ」
まるで、遠い昔。ともに遊戯を始めたときのような、不遜な口ぶりで語る、ヒトの王。
「生きろよ、[寒月]。お前を置いてほかに『ミヅキ』はいない――[勇聖]が命じてやる」
代を変えたばかりの幼い『ヒジリ』の姿をみとめて、イフェンは鼻で笑った。
「ヒジリ。きみが戻ったところで、なんになる? [寒月]が戴く王は、きみじゃない。【命令】の重みは、[叡魔]のそれに劣る――」
おそるるに足らず、と笑いとばしていたイフェンの顔が、そのまま固まる。衝撃に見開かれた目に、映る姿はただひとつ。
「なぜ、……そんな、早すぎる! 彼の継承が、こんなに早く終わるはずがない」
乱れに乱れた室内の空気を一掃する存在感。
どこからともなく現れた少年は、黄金のまなざしをめぐらせて、くちびるを固くかみしめ。
やがて腹をくくったように、声を張り上げた。
「[調停者]の名において、宣言する――」
かくして、崩壊の序曲は奏でられる。だれもが予期せぬ結末に向けて、舞台は大きな転換期をむかえ――終わりを願った異端児により、始まりは創られた。




