[2] 震えた天秤が掲げるは、(2)
「なにを……!」
馬鹿なことを。思わず口をついて出そうになった暴言を、あわてて呑みくだす。
しかし、浮いてしまった腰はごまかしようもなく、フヒトは机についた両手を支えにしたまま、グッと奥歯をかみしめた。
その様子を、エマは、紅茶のカップをもてあそびつつ観察している。動揺のカケラもみられないその姿勢に、フヒトは脱力して、ふたたび長椅子に身をあずけた。
「なにを、【参照】せよと、おっしゃるんですか」
とりつくろったように言いなおしながら、行き場をうしなった両の手を、ひざの上で握りしめる。
――落ちつかない。右隣のあいた長椅子が、広く感じられてしかたない。
エマの紅玉が、いまいちどフヒトを射ぬいた。非公式な場とはいえ、『王』とふたりきりで顔をあわせるのは息苦しい。部屋全体に圧がかかっているようにさえ感じられる。
ヒジリのときは、となりにアリスがいた。それだけで、どれだけ呼吸がたやすくなっただろう。
「さきに答えを聞かせよ。そなたには、【改編】もやむなしという意思があるのか?」
「それは……」
[叡魔]の手前、ないと言いきることもはばかられ、フヒトはあいまいに語尾を濁した。
学都の主――みずからが忠誠を捧げる、厳格な青年の顔が脳裏をよぎる。いつになく真剣な声色で告げられた忠告を、やぶるつもりは毛頭ない。
「与えられた【権限】の行使に、なにを迷うことがある? 望むがままふるまうがよい。リ=ヴェーダは、本来、[史記]の管理者でもあるまい」
鷹揚な口調で語ったエマは、そのまま流れるように嘆息する。
「フヒト。妾は、汝が役目を果たせ、と言っているにすぎぬ」
「できません」
エマの瞳が、スゥ――と細まる。本能的な畏怖をいだきながら、フヒトは、反駁した。真実は知りたい。けれど、【参照】は用いたくない。矛盾している。それでも。
「リヴさまが、ユ=イヲンが、……彼らが、そこまでしてひた隠しにしてきたものを、横から暴くようなこと――」
「それこそが、そなたの役目であろう」
容赦なく一断したエマは、ひるむフヒトを鼻で笑う。
「忠誠心を盾にごまかすのはやめておくがいい、[史記]。真実を求め、正史を編纂する。それが、そなたの存在理由。だれに咎められるものでもあるまいに」
それ以上の反論をゆるさない王者のまなざしでフヒトを射ぬきながら、エマは、決定的な【命令】を下さない。
いっそ【権限】を行使されてしまえば、リヴを裏切りかねない罪悪感も薄まろうというのに。[叡魔]は、口実を与えてはくれない。
フヒトが、自分の意思で選べというのだ。
(これだから、好きになれないんだ……)
より一層、かたく握りしめた両手が、こまかく震える。エマの視線から逃げるようにうつむいたまま、フヒトは、無言の抵抗をつづける。
もはや、ただの意地でしかない。そこに勝算など存在しないと、しりながら。
「……わかり、ました」




