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言葉の庭のAlife  作者: 本宮愁
第四話*観測者と『例外』
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[29] 感傷にゆれる平行線

 監査棟の屋上で、リ=ヴェーダは、天をみつめていた。激しいせめぎあいは、なりをひそめ、いまはただ穏やかな蒼穹が広がるのみ。


 香木の香りが鼻孔をくすぐる。年季の入った柵をなでるリ=ヴェーダの手もとに、ふと、影が落ちた。



「――いい表情をするようになったね、フヒト」

「唐突に、なにを言いだすんだ」



 どこからともなくあらわれた友に、リ=ヴェーダは、うんざりとした声で応じた。


 くすり、とのどを震わせたユ=イヲンは、不安定な柵の上へ、ひらりと飛びのる。



「ねぇ、リヴ。楽しみに待ってるといいよ。きっと、あと少しだから。あと少しで、きみは、解放される」

「どういう意味だ」

「すぐにわかるよ。わからないかな。わからないかも」



 あちらへ、ふらり。こちらへ、ふらり。踊るように足を運びながら、ユ=イヲンは、クスクスと笑う。



「だって俺はチガウから。キミタチのことなんてわからない。俺は俺の役割を果たすだけだよ」

「それは義務か? 望みでは、ないんだな」



 リ=ヴェーダの問いに、すぐさまユ=イヲンは答えた。



「俺は望まない。望めない。俺は、俺でしかあり得ない」

「……そうか」

「ふふ。ありがとう。きみの、下手な慰めを言わないところ、気に入ってるよ」



 ぴたり、と足を止めたユ=イヲンが、香木の上に、立ちつくす。風をはらんだ黒衣が、ばさりと膨らんで、ちいさな影を強調した。



「義務では、ないんだ……俺の選べる、たった一つの選択肢。だから俺は、迷わない」

「迷えないっていうんだろう、それは」

「そうかな? うん。でも、俺は、迷うことはないだろうね。もし、ただ一つの選択肢を奪われたら、そのときは」



 いちど息を止めて、ユ=イヲンは、かぶりを振った。



「――ねえリヴ。きみはそのままでいい。そのままでいいから」



 柵の上から、身を乗りだして、リ=ヴェーダの瞳をとらえる。



「奪わないで」



 ほどけかかった闇色の布地が、とうとう外れて、風に舞っていく。色の異なる両目が、痛ましいほど、まっすぐに、リ=ヴェーダをみつめる。


 ため息を吐いて、リ=ヴェーダは、その視線をそらした。わかっていた。ユイの真意など、とうの昔に。



「いい加減に、俺を口実にしてごまかすのはやめろ」

「ごまかす? 俺が、いったいなにをごまかしたっていうの? それはきみだ、リヴ。目の前のものから目をそらして、責任ごと【権限】を投げた」

「……そうだな。俺もまた、ごまかしつづけてきた」



 リ=ヴェーダの口もとに、自嘲がうかぶ。



「リヴ?」

「お前は、ただ、終わらせたいだけだ。あのときからなにも変わらない。いや、それも仕方のないことか。どれだけ時を重ねようが……この世界そのものが変質していないのだから」



 目をつぶりつづけてきた。長い間、変質しない世に甘えて。ようやく落ちついた水面を、二度と揺らすものかと、己を戒めた。


 波紋は、消えない。


 いつまでも、変わることのない日常が、ゆるやかに首をしめてくる。浅はかな己のあやまちを、際限なく突きつけられているようだった。



「もう、いいだろう」



 しぼりだすように告げた声は、思いのほか、感傷にまみれていた。



「お前は、俺をみない。イフェンの残滓ばかりを追いかけて、自分自身さえみつめようとしない。適当な口実をみつくろっては、イフェンが望んだとおりの絶対者であろうとする」



 互いに、十分、逃げた。終わらせてやりたい。哀れなこの異端児を、解放してやれるものなら、そうしてやりたいと思う。



「ユイ。……フェンは、いない。あの男は、『神』をしたてあげるために、自ら望んで消えた。やつの理想にお前が縛られる理由はない」

「――ちがう!」



 ヒステリックな叫びをあげて、ユ=イヲンは、両手で耳をふさいだ。



「ちがう、ちがう、ちがう! 俺は……俺は、望まない。望めない。だって、俺は、ユ=イヲンだ。俺は俺でしかない。俺でしかありえない。だから俺は」



 ――『俺』でなければならない。



「構わない。お前が真に望むのなら、そうすればいい」

「……うそつき」



 つぶやいて、ユ=イヲンは、身を返した。


 香木を蹴り、監査棟の屋上から飛びおりる背中を、リ=ヴェーダは、ただ黙して見送っていた。



「お前の【権限】が絶対だなんて、それは嘘だ――俺自身と、おなじように」



 ささやく声は、彼女には、届かない。



「お前が、言ったんだろう……? ユイ」

第四話*観測者と『例外』 〈了〉

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